バリエーション

「魔人ハンター吾一・劇場公開版」

 1997年11月23日、有楽町国際フォーラムにて行われた「中央大学棒術部創部20周年記念式典」のために制作された自主制作映画。この当日に上映したバージョンを「劇場公開版」と呼ぶ。

 この編集作業は公開日に午前5〜7時の2時間で行われたが、条件は劣悪であった。8oカメラで撮った映像を、8o・VHSのダブルデッキでダビング編集する予定だったのだが、ダブルデッキではテープの最初から最後までフルダビングする以外の役には立たなかった。つまり、1秒以下の単位で好きな位置から再生側のテープをはじめ、録画側のテープの好きな位置から好きなように録画し、そして好きなような止めることなど出来なかったのだ。

 そこで急遽8oカメラからVHSデッキに直接ダビングすることとなったのだが、この8oカメラは壊れかけであり、接触不良のためか再生・一時停止の動作が鈍く、ダビングのタイミングが外れることしばしば。このダビング作業は私が一人ですべてをこなした(手伝おうかとの声もあったが、一人でしか出来ない作業であるし、また能力・経験・適性からもこの作業を行える人間は私しか居なかった)が、私が繊細な注意を行っても、なかなか8oカメラは私がスイッチを押しても動いてくれなかった。
 また、録画側のVHSデッキも、24分の1秒単位でコマ送り逆再生なんぞ出来ない大雑把な機種であった。そのため私は、テープ停止位置と録画スタート時の1秒未満のズレをテストダビングで記憶し、勘で録画側テープを巻き戻して位置調整を行った。

 また、8oで撮った映像素材そのものにも問題があった。いや、部員の熱演には満足している。問題は内容には直接関係ないところにあった。撮影開始時のカウントダウンや、終了時の「カット」の声。芝居の内容と時間的に近すぎて、どうしても監督の「3・2・1」の「1」や「カット」の声を切り取ることが出来ず、切り取ろうとしたら、肝心のセリフが欠けてしまうこと多々。
 もっと精密な機器と時間的余裕があれば、もっとうまくやれたのかも知れないが、このときは一つのシーンにこだわって何回も編集のやり直しは出来なかった。大量のNGと必要な映像が入り交じり、8oテープ数本分に無作為に撮られた映像を覚え、それを次々と1本のVHSテープにダビングするのには、時間がなさすぎた。
 また、カメラのスタートが遅すぎて、セリフ・動作が最初から欠けて写っているものも少なくなかった。

 それでも、やっと完成したのがこの「劇場公開版」、後のバリエーション全ての原点となったこのテープである。このテープは、現在も私が保有している。


「魔人ハンター吾一ディレクターズ・カット版」

 「劇場公開版」は、情報の欠けや監督の声など意図せぬ音声が多すぎ、また視聴者にはわかりにくい描写が多かった。これに不満な私は、個人的に再編集することとした。これを「ディレクターズ・カット版」と呼ぶのだが、私は編集兼カメラマン兼俳優兼ナレーターであって、決してディレクターつまり監督ではない。単に語呂がよく、また当時この名を冠した映画・ゲームが流行っていたため、「ディレクターズ・カット」と呼ばれるようになった。
 完成は1997年12月。それ以前に流通したのはせいぜい1〜2本で、以後現在に至るまで部員、OBに流通し、鑑賞されているものは「ディレクターズ・カット版」である。

 このダビングには、私の自宅にあるVHSデッキ(共にHiFi)と、借りた8oカメラを使用。撮影時の8oテープは監督I氏宅にあり、借りる機会がなかったので、上映時のVHSのみを材料に再編集した。8oカメラはVHSデッキと直結してマイクまたはカメラとして使用。

  まず「劇場公開版」を使って、単純にVHSデッキ同士でダビング編集をした。より精密に調節して、よけいな音声や編集のアラを減らした。そして次にやったのが荒技。再編集したテープを再生するVHSデッキからはコンポジットと右音声のみ録画側VHSビデオにつなぎ(もともとモノラルなので問題ない)、8oカメラの電源をいれて音声コードを録画側VHSデッキの左音声につないだ。

 そして用意したのはCDラジカセ。なんと、CDラジカセから音楽をながし、それを8oカメラのマイクで拾わせて左音声にぶちこみ、BGMとするという荒技。CDラジカセの音量は事前にテストを繰り返して、適正な音量を把握し、BGMをフェードするときは徐々にCDラジカセの音量をしぼった。

 追加ナレーターもこの8oカメラのマイクに向かって私が話しかけた。再生される「吾一」の音声は、右音声から録画側デッキに至り、そして録画側デッキからテレビに至って、テレビのスピーカーから流れ出た。これを8oカメラのマイクが拾い、左音声にも「吾一」の音声を入れることができた。
 追加ナレーターを入れる時間的余地がない場合は、録画側デッキを回したまま再生側デッキを静止画にし、そして私が8oカメラのマイクに向かってしゃべった。どうしても消したいが編集で削れない雑音は、そのときだけ録画側デッキにささる右音声端子を引っこ抜いて消した。

 そして新たにスタッフロールも作成したが、これは8oカメラとVHSデッキをサシでつなぎ、直接VHSテープにリアルタイムで写している画像と音声を録画した。スタッフロールは藁半紙に筆ペンで書き殴った粗末なものだが、ページをめくるタイミングはBGMが終わる時間と計算して、的確な時間配分でめくった。最後の「総監督」と「劇終」だけは、やや長めにしたのも計算に織り込んでいた。

  こうして出来たのが「ディレクターズ・カット版」である。「劇場公開版」ですでに8oからの1stコピーなのだが、この「ディレクターズ・カット版」はダビングを3回重ねていることとなる。さらにこれを原版として配布されるコピーは、4thコピー。かなり画像は劣化しているが、もともと壊れかけのカメラで撮ったもの故、そう気にはならない。
 パソコンで画像のデジタル編集など、大金を積めば不可能ではなかったが、1997年当時、一介の学生にとっては夢でしかなかった。


「魔人ハンター吾一ディレクターズ・カット版」MPEG/VIDEC-CD化

 「吾一」撮影から3年。PentiumIIIマシンとMPEG1ハードウェア・エンコーダーの購入によって、デジタル保存と編集が可能となる。この貴重な映像はデジタル化され、これ以上の劣化の心配はなくなった。生産もVIDEO-CDならば容易に出来、流通にCD-Rが使われるようになる。
 内容は「魔人ハンター吾一ディレクターズ・カット版」とまったく同一。


「魔人ハンター吾一・ディレクターズカットver.2」

 MPEG1化した「ディレクターズ・カット」をデジタル編集したもの。基本的に音声が小さい「吾一」は聞き取りにくいところが多く、一方大きな音声で取れているところもあるため、入力レベルをあげればそれでいい、というものではなかった。そこで、複数の入力レベルでMPEG1データを作り、適切なレベルのものを切り取って組み合わせたのが、この「ver.2」である。
 内容は、まったく同一。今後の流通は、これが主となっていくであろう。
 完成は2001年8月21日。


「魔人ハンター吾一」DVD版

 ハードウェアMPEG2エンコーダーのMTV1000とDVD-Rによって、この映像のDVD化が期待された。この汚い画像をMPEG2にするのは難しかったが、なんとかクリア。そしてオーサリングソフトでDVDビデオにしようとしたのだが、画像が汚すぎて、音と画像がはげしくズレてしまう。キャプチャーしたMPEG2ファイルの段階では音ズレはないのだが・・・。結局、DVDにデータとしてMPEG2ファイルを保存することしか出来なかった。
 この問題は、2002年1月現在、解決の糸口も見えていない。ビデオデッキとDVDビデオレコーダーをつなげて録画すれば、解決できる問題なのかもしれないが、現在の設備・資金力では無理な話である。だが、いつかはDVDビデオになるかもしれない。DVD用タイトル画面はこちら

 ところが、2003年3月にDVD-RAMビデオレコーダーを購入したため、「吾一」のDVDビデオ化は簡単に達成された。ソースが汚くても、家電のDVDレコーダーならば映像と音声との差が出ない。テレビをさほど観ない私が高価なDVDレコーダーを購入したのは、「吾一」DVD化のためと言っても過言ではない。
 こうした実現したDVDビデオはPCのDVD-Rドライブで量産され、今後の配布の主流となっていくことであろう。


「魔人ハンター吾一・ディレクターズカットver.3」

 上記DVDをPCで取り込んで、頒布しやすいMPEG1と圧縮に優れるDivx5.03の2方法でエンコードしたバージョン。「ver.1」「ver.2」は、MPEG1ハードウェアエンコーダーで取り込んだ際に、若干音と映像にズレが生じていたが、家電のDVD-VIDEOで録画したものをそのまま取り込んだので、「ver.3」ではそのズレが解消された。さらには、主音声にセリフや撮影時の物音、副音声にナレーターとBGMが別々に入っている不自然さを払拭するため、モノラル化。しかし「ver.2」よりも音声レベルは小さくなってしまった。
 完成日は2003年12月15日。


「魔人ハンター吾一・ディレクターズカットver.4」

 DVD-VIDEOから取り込んだ動画から音声だけ分離して、小さなセリフの増幅、雑音の低減、「カット!」などの監督の叫び声の消去を行ったバージョン。これでやっと、スピーカーやテレビの音量を常に操作しながら鑑賞しなくてもいいレベルになった。モノラルでMPEG1とDivX5.11の2バージョン用意。完成日は2004年9月17日。
 おそらくはこれが最終版。監督I氏がまだ撮影時の8mmテープを保管していて、その譲渡ないし借受に成功したら、また1から編集し直すかもしれないが、それがない限りは、もう「吾一」を改変することはないだろう。



戻る