このページは中央大学棒術部の公式サイトではありません。初代管理人・晴天が個人的かつ懐古的に、2000年当時の公式サイトのファイルを自分のスペースにアップしているものであります。 |
Q.ここって、アホをやるサークルですよね。そう聞いたんですが。 |
A.棒術部は、「尋常ならざる学生生活」をモットーとしており、稽古外活動に於いては、アホなことも多々行ってきた。中央大学で「棒術部」と聞けば、多くの学生が「ああ、あのアホ連中か・・・」と言うことであろう。
常識(「社会規範」という意味ではなく、「ステレオタイプ」という意味での「常識」)から乖離することを恐れ、周囲の奇異の目を恐れ、世間から逸脱することを常に恐れて、話題を周囲と合わせ、当たり障りなく行動し、「フツーの学生」として時を過ごす・・・我々は、そのような学生生活の在り方へのアンチテーゼとして、「尋常ならざる」の旗印を掲げている。
しかし、注意して欲しいことが2つある。
@我々は、棒術の稽古を看板に掲げた武道サークルである。
たまに勘違いしている人が来るのだが、当部は稽古するサークルである。「尋常ならざる会話」「尋常ならざる行動」は、あくまで稽古外での日常の在り方であって、それが主活動ではない。
武道に毛の先ほどの興味関心もなく、ただ単に、冒険的な日々を過ごしたい者、奇妙奇天烈なコトをおっ始めたい者は、それが専門のサークルも(多分)あるので、そちらに行ってほしい。
A我々は、社会規範には忠実であり、行動に於いては公序良俗を旨とする。
ただ単にバカをやるだけならば、サルでも出来る。人と違うことをすればいい、奇異な行動をとればそれでいい、というわけではない。無秩序に、好き勝手なことをやるだけでは、山賊や反抗期のガキと同じである。
"freedom"と"liberty"の区別がつかない者は、当部としてはお断りである。
管理者コメント
私は流行や芸能・スポーツに関心がない人間である。
あらかじめ決まっている話題を提示し合うかのような会話が出来ない人間である。
何かからの「逸脱」を恐れているかのような会話が出来ない人間である。
それ故に、私はクラスでもゼミでも、大した人間関係を築くことなく過ごしてきた。「奇人」として名を売り、酒を飲み、合宿などの仕事も無事にこなしてきたが、どうも軽佻浮薄な雰囲気の中では、大層な人間関係を構築する気にはなれなかった。
高校時代は、アホな友人に恵まれ、悪友の下宿に溜まり、随分とバカをやったものだった。常日頃、凄絶なる会話を楽しんだものだった。しかし、大学に入ったら、「平々凡々な生活」を余儀なくされると覚悟を決めていた。
しかし、97年の4月5日、棒術部に勧誘され、その日のうちに行った飲み会の場に於いて、私は「ここだ!」「私の求めていた学生生活はこれだ!」と思ったね。
「一般人」が眉をひそめるようなドス黒いネタが飛び交い、「一般人」が引くようなマニアなネタが公然とまかり通り、そして「場」が冷めるような真摯な話題も平然と話され、そしてそれで盛り上がる。
私の求めていた学生生活とは、このような日常会話が出来る場であった。
それからの3年間、私は充実した学生生活を送ってきた。
他のサークルも覗いたが、今ひとつ日常の話題が平淡なので、結局入部することなく私は去った。
「尋常ならざる」とは、作為的にバカをやることではない。
それでは、「オレ、次、イッキするから、お前盛り上げろよ」などと根回しした上で、サルのように意味に乏しいノリを造り出す軟派サークルと同じである。
「尋常ならざる」とは、気兼ねなく常日頃バカな話を延々と出来る雰囲気。突発的な珍妙な行動が許される雰囲気。どんな趣味・話題も認め合う、あるいは、「認め」はしないまでも共存できる雰囲気。
そうした中で、あらゆる人間が自己を殺さずに日々を謳歌する、その有様そのもののことである。
注意:私管理者は芸能・スポーツに関心のない人間だが、野球ファン・相撲愛好者・芸能好きもちゃんとおります。ただ、そういうことだけで会話が終始せず、私のような芸能・スポーツ・流行に疎い人間でも話して盛り上がれる、というところが棒術部のよさである。