このページは中央大学棒術部の公式サイトではありません。初代管理人・晴天が個人的かつ懐古的に、2000年当時の公式サイトのファイルを自分のスペースにアップしているものであります。
 現行の公式サイトはこちらになります。

稽古外活動

「尋常ならざる」の旗の下に

▲ウォーキングラリーにて、発作的に組棒を


 我々棒術部は、「尋常ならざる」を、日々の大学生活の旗印に掲げている。
 棒術部の歴史に於いては、アホなことも多々行い、中央大学で「棒術部」と聞けば、多くの学生が「ああ、あのアホ連中か・・・」と漏らすことであろう。

                                  

アホ旅行
背広レンタカーにて、
放浪の旅へ
(富山県某所で撮影)    
ひゃっはっはっは、水じゃ水じゃあ!
バケツ(清潔です)に日本酒。
柄杓でそれを飲む      


 世の大学生の、なんと「常識的」なことか。
 ここで言う「常識」とは、「社会規範」のことではなく、「一般性」というステレオタイプのことである。
 ちょっとばかり変わった行動をとることに抵抗を感じ、奇異の視線を極度に恐れ、会話もあらかじめ内容が決まっているかのように、平淡なものに終始する。

 他者の学生生活の在り方をとやかく言う気はないが、我々はそんな退屈な学生生活を送ることに抵抗を感じている。
 世間の、他者の目を気にするあまりに、自己の興味関心を押し殺し、話題を合わせ、「常識」の範囲内でしか行動することができない。
 我々の「尋常ならざる」との旗印は、そんな学生生活に対するアンチテーゼである。

金だらい、ファミリーベーシック、北斗の拳の劇場用パンフ、その他諸々
▲すばらしい誕生プレゼ
ント
の数々(しかも学食
にて受け渡し)
七輪の宴よ
▲河原に七輪。魚を焼いて喰う。


  「尋常ならざる」とは、作為的にバカをやることではない。
 それでは、「オレ、次、イッキするから、お前盛り上げろよ」などと根回しした上で、サルのように意味に乏しいノリを造り出す軟派サークルと同じである。それは空虚である。


 「尋常ならざる」とは、気兼ねなくバカな話を延々と出来る雰囲気。突発的な珍妙な行動が許され、そしてバカをしたくなる雰囲気。どんな趣味・話題も認め合う、あるいは共存できる雰囲気。
 そうした中で、あらゆる人間が自己を殺さずに日々を謳歌する、その有様そのもののことである。

本人の尊厳とプライバシーのために、モザイク入れました。紫ナコっス。
▲勇敢なる仮装者(学祭にて)
イギリスの労働者は、こうしてタバコを吸うらしい
▲タバコを自作するの図


 棒術部は別に、奇妙奇天烈なことをやるサークルではない(やるときはやるけど)。
 棒術部は、奇人変人も、まともな奴も共存し、自己の狭い「常識」だけで他者や物事を安易に判定しない習慣が根付き、その結果としてバカなこと出来るサークルなのである。


 黒いネタが飛び交い、マニアなネタが公然とまかり通り、真摯な話題・学問の話題も平然と話され、そしてそれで盛り上がる。クラスやゼミでは、引くか「場」が冷えるような話も、棒術部では気兼ねなく話せるのである。
 日常に於いて、そんな会話が出来る「場」というものは、そうそうはない。これこそが、棒術部の「尋常ならざる」の根幹であり、棒術部が奇異なサークルである由縁である。

棒を持っているので、身元がバレる・・・
▲多摩動物公園駅
に現れた奇人

「稽古外活動」についての注意

@我々は、棒術の稽古を看板に掲げた武道サークルである。
 たまに勘違いしている人が来るのだが、当部は棒術を中心とした武道の稽古をするサークルである。「尋常ならざる会話」「尋常ならざる行動」は、あくまで稽古外での日常の在り方であって、それが主活動ではない。
 武道に毛の先ほどの興味関心もなく、ただ単に、冒険的な日々を過ごしたい者、奇妙奇天烈なコトをおっ始めたい者は、それが専門のサークルもあるので、そちらに行ってほしい。


A我々は、社会規範には忠実であり、行動に於いては公序良俗を旨とする。
 ただ単にバカをやるだけならば、サルでも出来る。
 人と違うことをすればいい、奇異な行動をとればそれでいい、というわけではない。無秩序に、好き勝手なことをやるだけでは、山賊や反抗期のガキと同じである。
 "freedom"と"liberty"の区別がつかない者は、当部としては遠慮したいところである。


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