薄い壁
1996年04月19日(金)


 今日は朝テストで1秒たりとも寝なかった。でも0.9秒くらいは意識が遠のいた。常に意識を強く持っていないと、すぐに眠ってしまいそうだ。テスト帳をみて、解答用紙をみる、書く。こういった動作のひとつひとつに気合いを入れ、細胞の一つ一つを叩き起こす。でも、動き続けていないとまたすぐに眠ってしまいそう。鉛筆が机を削るぐらい強烈に書き付けたが、おかげで何書いているかわからん。背筋も伸ばし、万一意識が落ちたら上半身の落下速度・距離を最大にしてすぐ気づくようにする。


 寮で夕食。井上氏と二人。向かい合わせなのにただ食い、たまにテレビ(注1)を観る。しばらくその状態が続いてから、「晴天君は文系だっけ」「どこ受けるの」「東洋?すぐそこじゃない。しゃくに障らない?(注2)」「近くていい」とか他愛もないことを話しはじめる。


 世界史を書き殴って覚えていたら、鉛筆の音が響くと隣室の高村氏に壁越しに言われる。さらにはセキをするがカゼか、うるさい、とも。すまんね。ノート一冊を下敷きにして、鉛筆がダイレクトに堅い机を叩かないようにする(注3)。自分の気づかない点は、注意していかねば。 


この日のカネの動き

爽健美茶 12号館前にて -120
アニメージュ 白山駅近くにて -600
ゲーマーズEX 白山駅近くにて -480(注4)

財布残高 3710円


注1・・・
テレビ

 両国生活で唯一テレビを観られるのが夕食時。1800〜1830の30分だけ民放のニュースを放送する。シャバの電気屋のテレビを眺めるようなことはしなかった。この1年間では寮の食堂でしかテレビを観ていない。逆に言えば、ほぼ毎日30分近くニュースを観ていたということである。大抵は時間が惜しくて15分程度で食堂を出てしまったが、それでもこの時間が数少ない情報源であった。おかげで、この1996年度に世間を騒がせた事件については漏らさずに見聞きしたことになる。
 そして民放なので、CMがなんともすばらしいもののように見えたものであった。


注2・・・
東洋?すぐそこじゃない。しゃくに障らない?

 そういうことを言う人は少なからずいた。どういう反応をしてよいのやら困る。ただ文京区に寮があり、徒歩数分のところに大学があるというだけではないか。私の志望校が心底東洋だったかどうかはさておき、第一志望の大学が寮の近くにあったらなぜしゃくに障るというのか。自分よりも立場が「上」の大学生が日々謳歌しているのがムカつくというのか。意味不明な価値判断なのだが、こういう論法はわりとまかり通っていた気がする。
 井上氏は83寮で私が一目置いていた数少ない人間の1人なのだが、その彼さえもこんなくだらない物言いするとは思わなかった。自分達浪人生よりも先に進路を決めて、安定し、そしてあらゆる娯楽を享受している大学生を「共通の敵」と見なし、共感を得ようという小手先のセリフ回しだったのか。それとも僅かなりとも本気だったのか。それはわからない。
 とにかく、こういう規定の価値判断があるかのようにこういうよくわからんことを言われると困惑したものであった。


注3・・・
世界史を書き殴って覚えていたら、鉛筆の音が響くと隣室の高村氏に壁越しに言われる。すまんね。ノート一冊を下敷きにして、鉛筆がダイレクトに堅い机を叩かないようにする

 最終的に私は「書き殴る」という勉強法を完全に放棄する。数日前の解説にも書いたが、効率がわるいし、手が疲れる。腱鞘炎にさえなりそうだった。そして、あんまり書き殴りすぎると、薄い壁を隔てた目の前数十pセンチいる高村氏の神経を逆撫でることになったから。
 共同生活に於いて、騒音をたてたことは問題だったとは当時も今も思う。それが勉強のための音であろうと遊んでいて出る音だろうと、他者の迷惑となるのは同じだ。だから、私は音に気を遣うようになった。それにしても、ここまで壁が薄いとは思わなんだ。
 しかしまあ、高村氏はいきなり壁を2発ぶん殴った。私のペンの音が気に障ってやったことだろう。殴ってから彼は壁越しに言ってきたのだが、この態度には私も頭にきた。最初から口で言えば済むことだ。壁をノックしてからでもいい。しかしまあ、私が迷惑をかけているらしいということと、1年間暮らす隣人とトラブルを起こすのはまずいということから、私は怒鳴り返す衝動を抑えて譲歩した。本当は、パイプ椅子つかんで部屋に乗り込みたかったのだが。
 実際問題として、私のペンの音がどれほどうるさかったのか、は異常だったのかは今となっては確かめようもない。私があまりにも強烈な音を発していたのかもしれないし、あるいは大した音でもないのに高村氏が騒ぎ立てただけかもしれない。しかし朝テストで寝ぼけながら書き殴っていたのとは違う。0.5ミリのシャープペンシルで細かな漢字をいくつも書くような音量なんか、たかが知れているのではないか。そう思わないでもない。とにかく、ここは私が譲歩して場を収束させたが、高村氏の神経質な態度にはしばらく怒りを覚え続けていた。

注4・・・
アニメージュ 白山駅近くにて -600
ゲーマーズEX 白山駅近くにて -480

 もう日記本文には記述さえないが、この時期すでにアニメ雑誌やゲーム雑誌を平然と買うようになっていたようだ。そしてこうした雑誌や書籍はカバンに入れて学校まで持ち込み、ある程度ため込んだら宅急便で実家に送りつけたのであった。


解説

 高村氏とのちょっとした対立の日であった。高村氏はかなり神経質で、私の鉛筆だけでなく、他の人間の違法な談笑はもちろん、隣近所(寮の外の民家)の人間の話し声にまで怒り狂ったものであった。自分の尺度が絶対正義といわんばかりの彼を、私は長い間快く思わなかった。だけれども、遊びほうける奴、人の迷惑を顧みない奴が徐々に増える中で、最後までマジメに学び通し、成果も上げている彼の姿勢には敬意を持っていた。それは明記しておきたい。


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