乗ってきたな
1996年05月07日(火)


 朝飯。イタリアンケーキ2つ(注1)。足らん。


 早めに寮を出る。電器屋の前の黒猫をいじる。いつものように。あの猫は、近づくときによほど気をつけないとすぐに逃げてしまう。


 古文。少ししか寝なかった。英語のようにはっきりした説明がなされる授業ではない。しかしやれば伸びる教科とある。何をどうやるのか?この授業はどう活用する?模索あるのみだ(注2)。


 昼。錦糸町アニメイトへ。エヴァのトランプとうちわが入っていないか確認したが、ない。アニメイトにエヴァ談義をする学生が数人いた。観る前に余計なことを知ってしまってはたまらん。とっとと店をあとにする。池袋では「レイアース」(の原作コミック)について余計なことを聞いてしまった。用心せねば。


 カバンが重くて肩に刺さる。このまま両国を通り過ぎて帰る(注3この日は午前授業だったらしい。メシの時間をはかって帰ったわけだ)。1330時、帰宅時間だ。問題あるまい。


 帰寮。勉強の条件反射が出来てきた。勉強することが当然と感じられるようになってきた。こんな勉強が役に立つのか、法政に届くのか、とやはり不安だ。改良すべきところは改良せよ。不安はいらん。


 風呂。顔が見えないので誰だかわからんが、その人は私の名を覚えていた。9時間自習したと言ったら驚いてた。さらに、模試でリストに名前が載ったことで、少しは名前が売れていたようだ。勉強については「GWでダレたから、今気合いを入れている」と話したら、皆ダレたから差は付かない、とのこと。しかしこれは自己の問題だ。というようなことを言ったら、相手も「オレもやるかな」と。彼が勉強により気合いを入れれば幸いだ。


 ミーティングで「自衛消防隊」なるものが。隊長:寮監。副隊長:田山。避難誘導班:五十嵐他2名(各階1名で計3名)。連絡班:井上他1名。救護班:宮村(任命のとき、かれはよろこんでいた)。初期消火班:千石他数名(千石は逆に火をつけそうだ、との声が)。この発表は、大爆笑の連続であった。


 部屋巡回。寮監に自習報告書の9時間15分という前日の記述を観て、「乗ってきたな」と。確かにエンジンかかってきた。


この日のカネの動き

インデックス
シール
ステッカー
ルーズリーフ
など、エヴァグッツ 錦糸町アニメイトにて -1545

財布残高 12665円


注1・・・
イタリアンケーキ2つ

 私は現代文だけ最初から「H」クラスで、前述の模試でもわりといい点を出した。だが、私は現代文で勉強したことなどはない。せいぜい朝テストで出てくる漢字とか頻出語なんかを抑えたくらい。後でより上位の現代文に移ってからは、かなり本格的に勉強をやったのだが、それまでは「現代文対策」なるものをやったことなどない。けれども、本読んだから出来るようになる、というものでもない。現代文が苦手な文系受験生にとっては、現代文対策は頭の痛い問題だろう。努力しようものにも、大抵はやり方がわからない。だからといって、こういう質問されても困るね。
 結局、書いている人は何を言いたいのか、どんなつもりでこの語をつかっているか、こういうことにどんなイメージ(ないし偏見・悪意/善意・ステレオタイプ)を持っているか、ということを見抜くことなんだけれどもね。単語を見ただけで、決まり切った意味や自分だけのイメージをわき上がらせて、勝手な解釈をするような人には出来ない、ということ。つまり、「本を読めば出来るようになる」「マンガだけ読んでいては出来ない」などというような扁平な思考に支配されている山田氏には出来ない、ということだ。


注2・・・
オレも読んでいるし実家には2000冊はある。マンガマニアだ、と答えておく。すると山田氏の隣にいた江川氏が笑った。山田氏は「自分は写真マニアだ」と。撮る方かと聞いたら見る方、と

 山田氏のいう写真マニアというのは、ようするにエロ本エロ写真集大好きだ、ということである。もしかすると、私がマンガ2000冊持っていたというのはエロマンガだと思われたのかも。だから江川氏は失笑したのかもしれない。


注3・・・
乱暴なドアの開け閉めの方が気になる。というか、驚く

 静かな寮で、いきなり叩きつけるようにドアをしめられたら、一瞬飛び上がるというもの。健康に良くない。私はドアを閉めるとき、ノブの金具の音まで最大限殺すように心がけていた。つまり、ノブをひねったままドアをゆっくりと閉めて、それからゆっくりとノブを戻す。するとほぼ無音でドアは閉まる。実家で、親の目を盗んで外出するときに、よくやったから慣れたものだ。


解説

 私は受験に必要なことの多くを知らなかった。勉強をしようものにも、足がかりとなるべき基礎知識に欠けていた。それを補って勉強の効率を上げるのに最初のころは必死だった。こうした地道で、単調な作業があったからこそ、英語も感覚的になんとなーく読めるようになっていったし、世界史もどんな流れだったかなんとなく想像できるようになっていた。そしてそれらは、大学に入ってからの研究に直接役立った。地道な作業なくして、発展はなかったわけだ。 


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