缶切り
1996年05月14日(火)


 今日も0649時に出発。今日は自分が出発するときにまだ食事中の人はいなかった。


 今日も授業中、ボケていた。予習を徹底せんと、授業の意味が80%減だ。


 寮。夕食後。五十嵐氏が部屋に缶切りを借りに来た。部屋がきれいだと感心していた。桃缶だかミカンの缶詰だかを食うそうだ。
 後で迫水氏もおなじ用でやってきた。遠慮がちなノックなので、カゼでドアが揺れたのかと思った。勉強時間だからって私はそんなに神経質ではないよ。それにしても缶詰買っている人多いね。


 見回りに来た寮監、私の10時間という勉強時間を見て、6月のクラス分けでは上がらないとね、と言った。上がらなかったらたまらんよ。別に今のクラスでも勉強はできるからいいが。私が勉強に時間をかけているのは要領がわるいせいだ。二度訳したり、コピーを切り貼りしたり(注1)。


この日のカネの動き

コピー -50

財布残高 5272円


注1・・・
二度訳したり、コピーを切り貼りしたり

 要領は悪かっただろうか。ノートを二度書いたり、切り貼りしたりというのは、「ノートマニアの無意味な自己満足」と言われるが、私は作り上げたノートでもっと徹底的に復習を行った。ノートの清書や切り貼りで、自己満足したわけではない。ボールペンで(消しゴムを使う手間で情報の聞き逃しが起きるからボールペン)徹底して授業の情報を取捨選択せずに書き殴り、帰ってからそのノートを再構成。訳はもう一度自力でやり直す。わからなかった点は、その際に徹底して調べて埋める。そしてテキストとノート二冊ならべて勉強する手間をはぶくために、テキストのコピーを切り貼りする。そうすればノート一冊で、どこでも電車の中でも読み返すことが出来る。徹底的な復習を行うための手間である。このスタイルそのものはしばらく変わらなかった。それで第一志望よりも高い大学に入れたのだから、無駄ということはなかっただろう。


解説

 缶切りの話だが、最初五十嵐氏が借りにきたとき、私はいじわるをしてヴィクトリノックスのアーミーナイフを貸してやった。すると、案の定、日本にはない押し切りタイプの缶切りの使い方がわからなかった。私が実践して見せたが。けど、それは面倒なので、二回目以降は引ききりタイプの缶切りを貸すようにしたわけだある。 


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