こんなんで大丈夫かな、とは思う
1996年05月29日(水)
不安はあんまりないけれども、こんなんで大丈夫かな、とは思う。ちゃんと時間は活用している。が、予習はやっていないようなものだし、復習も一回しかやっていないし。こんなんでいいのか!こんなんで記憶できるのか!そうだ、もっと素の英文を読もう。1度じゃなくて3度は(注1)。
世界史はいい。現代文もまあ。今のままでいい。
古典は?読め!とにかく語学は暗記と反復なのに、同じものを何回もやっている時間がない!
いいか!絶対に法政レベルだ。それ以下はすべり止めだ!
0005時!寝る。
そうそう、夕食時に「おとなのふりかけ」を持参したら、井上氏に「リッチマン」といわれた。いや、それほどでもあるよ。
この日のカネの動き
なし
財布残高 15649円
注1・・・
もっと素の英文を読もう。1度じゃなくて3度は
ここでの「素の英文」というのは書き込みをしたテキストでも、和訳したものでもなく、何の書き込みもしていない英文のことだ。それを和訳しながらではなく、今を捉えながら読む。どうしてもわかりにくいところ、はっきりしにくいところでけ、気を付けて和訳しつつ読む。そして和訳を脳裏に留めておいて、今度は訳しないでそのまま読んでみる。こういうことの繰り返しが、語学の勉強というものだ。と、未だに語学と格闘しているとよく思うよ。今のやっているのは英語ではないが。
解説
当然のことだが、私も予備校生活では不安に駆られることもあった。けれども私は不安の解消方法を、前進することと、その方法の研磨に傾けていた。今振り返ると、手を抜きはじめた予備校生活終盤を除けば、ずっと前進し続けていたことになる。不安なときには、役に立っているかどうかわからないが、何かをすることこそが最高の払拭方法なのであろう。やっているうちに、手応えもつかめてくるし、方法論も確立できてくるしね。