大学出たらどうするんだろうか
1996年06月06日(木)


 今思い出した。昔のことを。幼稚園にも入る前のこと(注1)。私はよく、母に3点セットの要求をしていた。ただ、叫ぶだけなのだが。1つは哺乳瓶。あと二つはナンだっけ?多分もう1つは私が昼寝するとき気に入っていた緑と薄緑のバスタオル。最後の1つはなんだったか。寝かしつけてくれるよう要求していたのか。とにかく私がこの3つを叫べば、母が飛んできて、要求を叶えた。が、私はこの3つを言う順番を毎回変えることをおもしろがっていた。そして何通りあるのか紙に書いて確かめようと思った記憶がある。字など書けないほど幼かったので、絵でパターンを並べようとしたわけだ。実際にやったかどうかまでは覚えていない。
 ちなみに、もちろんこれは6通りだ。ABC、ACB、BAC、BCA、CAB、CBA。


 今日も昼食は5分。出来る限り速く歩き、電車を予定より一本遅くなったが、それでも25分でついた。こうした郵便局に寄った。先日の手紙の原本を実家へ、返事を相手へ送るために。しかし郵便局寄っても、学校から35分で寮に着いた。帰寮時間は1時間。これでどうやったら帰寮時間オーバーするんだ。意外に時間は作れるものだ。だが、「あまる」ということはありえない。明日のテストの予習を!


 さて。私は大学出たらどうするんだろうか。大学はレジャーランドではないとは考えている。もちろん4年間しかいない(注2)。そして最後の高等教育だ(注3)。十分勉強はする。社会学部か文学部とは決めてある。理由も小論文で書けるぐらいだ。その後は?多くのサラリーマンと同じように、特別変わった仕事ではなく、事務とか営業とかやるんだろうか。それはそれで構わない。だが、大学の勉強をどう活かすべきか。また、中級官吏という道もある(注4)。まあ考えてこう。    


この日のカネの動き

郵送料 -700

財布残高 10910円


注1・・・
今思い出した。昔のことを。幼稚園にも入る前のこと

 哺乳瓶はやがて隣に住む伯母さんに強制廃棄されたのだが、それも幼稚園前のことだ。果たして私のこの記憶はいつのときのものか。2才か3才か、それとも入園直前の4才か。
 さらに言えば私は幼少期、隣の伯父夫婦の家でたらい風呂に入れられていた記憶があると発言したらしい。それこそ、何ヶ月か1才程度の話だろう。もちろん虚言と決めつけられたが、5才までのガキは母胎の中にいたときの記憶を持っていることもある、と今の医学界では言われている。さすがにそんなときの記憶は今現在は保持していないが、あながち寝言だったとき限らないかもしれん。三島を気取るわけではない。


注2・・・
もちろん4年間しかいない

 大学は、3年次を終える段階ですでに、4年では卒業できないとわかった。


注3・・・
そして最後の高等教育だ

 これも中大の学部が最後ではなくなりそうな気がする。


注4・・・
中級官吏という道もある

 何で上級ではなく中級としたのか。上級なぞ自分には無理だと思ったか、中級の方が楽そうだと思ったのか。わからん。


解説

 日記と言いつつ日常生活とはあまり関係ないことも書かれているが、これが娯楽であった。だから、思いついたこと、思い出したことは、すぐに書き留めたものであった。


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