猫の連携プレイ
1996年06月15日(土)


 洗濯機の脱水が終わるまで、洗濯室の窓から外を見ていた。いつもの猫アパートの方を見ていたら、カラスが地面を歩いてまだ小さな子猫を攻撃していやがる。一匹でアパートの階段に座っているのを、寮へ帰ってくるときに見た子猫だ。いかにもはかなげで、人間に踏まれないかと心配になるほど小さい。それがカラスの野郎、正面から堂々と地を歩いて、子猫を威嚇しやがる。3.5階洗濯室の窓からでは見えるか見えないかといったような小さな手で子猫は必死に抵抗するも、カラスは意に介していない。
 このままではあの固いクチバシで突き殺されてしまうのではないか。眼でもやられるのではないか。そう思うといてもたってもいられず、自室に戻って消しゴムでも取ってきてカラスに投げつけてやろう、いや、寮監に見とがめられても玄関を突破して私がカラスを駆逐しに行ってやる!と思っていたら、アパートの階段の下から、あの子猫の兄弟だろうか、この子猫よりは少しばかり大きい子猫が走り出てきて、幼い子猫に体当たりするようにしてそのまま植木鉢の影に子猫を押し込んだ。そしてその直後、植木鉢の影からカラスなんぞよりも遥かに質量のある大人の三毛猫でゆったりと出てきた。そして階段の影からもも三毛猫よりは小さいが別の成猫が出てきて、カラスに歩み寄っていった。カラスは後退し、そのまま飛び去っていった。
 なんと劇的な。人間が「勝手気まま」と称することの多い猫だが、猫社会にも猫同士の気遣いと連帯意識が存在するのだ。


 それにしても、カラスに歩み寄っていったあの三毛猫。実家で飼っているオスのアメリカ猫のレオよりは小さいのかもしれないが、いかにも強力な兵力のように思われた。まあそれだけカラスにやられていた猫が、信じがたいほど個々の構成部品も存在そのものも小さく感じられたせいだろうけど。
 ちなみに幼い子猫は白地にシマぶち。
 小さな子猫に駆け寄ったやや大きい子猫は黒。
 三毛猫ではない方の成猫は白地に黒ぶち。
 それにしても、あのときの様子を写真に撮っても、デジタルで撮影しても(注1)、現像したとき再生したとき、ある三毛猫の重み、劇画ならば筆字で「ぬっ」という擬態語がつきそうな迫力、この子猫の駆け寄りたくなるか細さを感じることは出来ないだろうな。
 ここまで書くのに30分。日記が時間のムダとは思わないがべんきょうしたい。では、これにて。


 現代文80点。なにか、おかしい。読解できなかったのだ。注意して1文字1語を潰していくつもりで読めば、接続詞の問題ぐらいわかっただろう。今読み返してみると、不注意で、ろくに文を読まずに思い込みで解いた、もとい書いたことがよくわかる。さて、今ここで注意して文を読み直してみよう。だけれども、なんか紙の上のインクの記号を読みとっているだけで、文どころか句の意味も頭に入らない。ただ、脳内で音読しただけに感じられる。意味としてとれない。
 古文にしても、いつもの高得点が本文をそう理解しているわけでないのに取れている実の乏しいものとは思っているが、あまりにも愚かな結果だった。古文についても、意味の読みとりがうまく出来なかった。
 現代文にせよ古文にせよ、明日別の文を読めばうまく読解できるかもしれないが、テストのときにいつでも自らの体勢を整えられなければならぬ。「今日は調子がわるかった」という言動など、自らの読解力の不確実さと体勢を整える能力の弱さに対する逃げ口上に他ならない。今回の読解の問題点は、解決しなければならない。今までどのようにして文を読んできたのか。それを洗おう。調子という都合のよい文句ではないが、「文との相性が合わなかった」ということはありうるのだろうか。


 現代文のテキストを予習してみた。最初の1回目の通読から、そのまま頭に入るような感じがあった。今回の文は文芸評論。しかも私の好きな近代文学についてだ。すぐさま文と同調できた。記号である文字は読まれると同時で私の内でコトバとなり、文章となった。そしてほぼ全問正解。やはり、私の文章に対する受け入れ態勢の問題だったのか。今回の模試は角張った表現が多く、そのまま呑み込めなかったのだろうか。だけれども模試の体たらくは、ちゃんと読めていたはずのところもミスをしていた。要するに出来る範囲での注意をする気迫に欠けていたのだ。


 ところで、太宰についての文はおもしろかった。文を書くことは正義面すること、威張ることだという。私も、一応人に対してものを書いていた人間だから(注2)、そのことはいつも頭にあった。自分の非を認めることも、懺悔も、全ては自分のことをよく宣伝していることになる、というのも、ものを書くときに私は漠然と考えていた。しかしこの文章で、はっきりと理論化された諸点を気づかされた。
 文章を書くということは、怖いことだ。自分をさらけ出す恥がある。本音で人と当たるの葛藤も覚悟しなければならない。それにもう一つ恐怖が加わった。自分の正義を押しつけることを避けられない、ということだ。まさに「威張る」ことだ。まあそれでも、私は書くことを辞めはしないが。
 しかし今は書く時ではない。しかし就寝時間まであと15分だから続けよう。


 洗濯室では西内氏と会った。「暑いね」と彼が言うので、私は「まだまだ」と(注3)。「どこの人?」と聞かれたので北海道と応える。彼が驚くので、「暑いところへ行って覚悟していたから」と日頃用意していたセリフを言った。確か彼は茨城人だっけ。 
 北海道じゃあ帰れないねと言われ、往復で飛行機代が6万円かかるとか、空港が山の中にあって鉄道も通っていないから交通の便が悪いなど、軽く話した。そして彼に「大学出たら何になるの?」と聞かれた。「さあ、どこかの会社にでも入るでしょう」とお茶を濁したら、先生になったら?と言われた。「いや、俺は生徒殴るから」と言うと、「そういう人だったの?」との返事。権力を傘に無辜の生徒に暴力を振るう人間と思われたら嫌なので、「不良とか見たら、殴りたくなるだろうから」と付け加える。すると「いい先生になるよ」と言われた。いや、別に「更正させる」とかそんな大それたことを言っているわけでなかったのだが・・・。それでも、教員というのもおもしろそうだ。もし将来的に教師になったら、この会話に触発されてとでも言おうかな(注4)。 


この日のカネの動き

水 -200

財布残高 5545円


注1・・・
様子を写真に撮っても、デジタルで撮影しても

 ここでいう「デジタル」とはデジタルスチルカメラのことではなく、デジタルビデオカメラ(以下DVと記述)のことである。私の高校時代に最初のDVが市場に登場し、アナログしか記録媒体がなかった時代に於いて「劣化しない」DVは革新的な記録手段だった。当然私にとってDVとは「高画質撮影」の代名詞であり、「思い出や情緒の保存」にこだわっていた私にとって大きな意味を持つ機器であった。予備校を出て数年。未だにDVは所有していないが。
 ちなみにデジタルスチルカメラも高校時代から市場に存在していたし、私もそのことはPC雑誌で読んで知ってはいたが、当時の画質はあまりにも悪かったため、銀塩の代替どころか、大切な記録の手段に使おうとさえ思わなかった。


注2・・・
私も、一応人に対してものを書いていた人間だから

 インターネットもろくに普及していない時代だったし、かといって小説を書いて投稿していたわけではない。私は高校時代、友人達の間で文章をやりとりしていた。と言っても、よく授業中に回されていたちょっとしたギャグや事務連絡を記した手紙とは違い、長文であった。その為、伝達手段は郵送であった。徒歩過数分に住んでいる奴の家にも。
 しかもその交換書簡は、アニメや変態性欲の話も含まれていたが、次第に相手や仲間内の第三者への猛烈な批判や自己批判が含まれるようになってきた。この書簡は全身全霊をかけた真剣勝負だった。大切な友人を失うわけにはいかないが、それでも下手な妥協や融和はしたくなかったからだ。私が予備校入寮直前までやっていた「やるべきこと」とは、それまでの交換書簡の大精算とも言うべきもので、ワープロ書きしたその厚さはバインダー1冊分となった。
 この交換書簡と精算の大書簡は、私の文章と人間関係に対する姿勢の、大基本となっている。


注3・・・
「暑いね」と彼が言うので、私は「まだまだ」と

 別に自分が暑さに堪えられる根性ある人間だと示したわけではなくて、私にとって暑さはそれほどの苦痛ではなかったのだ。「北海道人なのに暑さを意に介しない」ということは相手を驚かせるので、「暑さを覚悟していた」というセリフをわざわざ用意していたのだ。まあ覚悟してきたからと言って、それで涼しくなるわけではないのだが。


注4・・・
もし将来的に教師になったら、この会話に触発されてとでも言おうかな

 結果として私は教職課程はとらなかったし、塾講師や家庭教師のバイトさえやらなかった。だけれども、このときのこの会話によって、私は教師という仕事に対してかなりの興味を覚えるようになったのは確かだ。劣等生だった自分が勉強してそれなりにわかるようになってきたので、その方法論を伝授したくなってきたのかもしれない。教師になることを選択肢から消したのはいつだったのかは覚えていない。教育学部に入るつもりは最初から毛頭無かった。そして様々な学部を受けて結果として法学部政治学科に入った私は、そこでは「公民」「倫理」の免許しかとれなかったので教職課程をとらなかったような気もする。


解説

 カラスのような大型の鳥は、猫にとっては天敵である。もしかすると犬よりもタチが悪いかもしれない。この日カラスに嬲られていた子猫は、生後1ヶ月ぐらいの小さな子猫だった。歩くのもやっとだったかもしれない。それにあの恐ろしいクチバシを突き出すとは、何て悪辣なカラスか。消しゴムでも投げてやろうかと思ったのは上述の通りだが、私の腕ではカラスに当てることなど出来なかっただろう。かと言って、本当に罰を受けることを覚悟で玄関を突破したかというと、疑問だ。エアガンがあればと臍を噛んだものであった。兄弟猫や大猫によって助けられて、本当によかった。


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