顔を赤土のように変色させて
1996年06月22日(土)


 模試の日。朝、ネコアパートの方へ行き、ネコに接触しようとするも、あまり近づきすぎると逃げられそうなので、ある程度距離をおいてしゃがむ。それを井上氏、窓から見て折おった。「いってらっしゃい」とのこと。

 模試はなかなかの出来だった(わるいといっている)。英語は、なんとなくわかりそうな気がするも、英文を読んでいるだけで時間が終わりそう。しかし問題を解けるほどではない。
 現代文・古文ともに、いまいち。不注意ではなく考えの不徹底というか、実力の問題か?現代文は自分の頭で考え、本文に則していないのが敗因か。
 世界史、よくやったけれど、よくわからんところ多し。反復する時間を取りたい。

 ここで07席の人が居眠りで注意された。すると「眠っていませんよ」と力を込めて抗議。目をつぶるな、眠くなるような姿勢をするなと言われ、「してませんよ」が、やがてあらん限りの大声で「ふざけるな」「やかましい」「いいかげんにしろ」になった。いい加減にするのはお前だクソボケ。何様のつもりだ。随分いい態度じゃないか。お前は何を考えて両国を選んだ。なめてんのか。先生も黙っているなよ。両国の教師なんでしょう。指導部の帝国軍人あがりの先生に気合い入れさせてくださいよ。あんなクソをのさばらせておくなんて両国の名折れですよ。
 そいつは何度も舌打ちをし、「ふざけるな」「やかましい」と1人でほざいていた。
 テストが終わり、そいつのツラを見てみた(左の後ろだから、試験中は見られなかった)。顔を赤土のように変色させて、焼いた石が頭の皮を被っているかのように熱を発していた。醜い。頭に血が上がりまくっているな。そいつは先生が何もいう前に床も目の前の空気すら破壊するような歩調で出て行きおった。ドアを開けて、まさに出ようとしていると、U氏が丸めて筒にした問題用紙でやつを指して、「おう、あいつ〜」と言う。それを見るや否や、怒りを見せつけるようにドアを投げて閉じて行きおった。

 なんたるクズだ。手前勝手な感情を爆発させ、そのままにぶちまけさらし腐って、何様のつもりだ。手前みたいなゴミは、会社で上司に態度を注意されて、くだらねえ捨てゼリフをたたきつけて辞めていくんだよ。あるいは復讐だの、自分の意志を見せるだのとほざいて、上司を刺すんだろう?社会をなんと心得る。いや心得るなどという高等思考などできないか。いつまでもガキみてえなことをしやがって。俺がその権限を持っていたら射殺しているところだ。

 612教室に隠れたゴミか。分裂症の山田(83寮のとは別人)は病気だから大目に見るけど、やつはゴミだ。貧乏ゆすらーの06席や大声で試験直前に話す馬力のある面々、あまり勉強せず寝ているW氏、など、ずいぶん上等、とは言わないが、まともな人々だと思うよ。
 U氏なんてすばらしいよ。彼は腹がわるく、毎朝テスト中に用を足しに行くが、そのとき「先生、おトイレ行っていいでしょうか」と言うんだわ。けっこう育ちがよかったりして。つっぱったような感じがするけれどさ。1回、再三の居眠りの注意に「いちいちうるさい」とつぶやいたのは感心しないが、しかし07みたいな感情の叩きつけ方なんかではない。07より人格者ということだ。IU先生も彼が何度も起きようとしている姿を見て、反省書を取るのは控えました、というんだからまだ素直なのだ。


この日のカネの動き

なし

財布残高 3,339円


解説

 両国では居眠り禁止である。授業中、試験中に居眠りをすると起こされて反省書を書かされる。それがどの程度、緊張感を醸造するのに役に立ったのかは人によるとしか言いようがない。だが、せっかくこうした外圧のある環境に来たのだから、それを利用して自分なりに緊張感を高めて、自分で自分を拘束してやっていくのが一番合理的なやり方である。そのために学費提供者は半端ではない学費を払っている。
 もちろん居眠りは、団体が規則で禁じているからといって、別に法令違反ではないし、人殺しやかっぱらいのような倫理にもとる悪行でもない。居眠りをとがめて反省書をいちいち書かせて親に報告したり、反省書が貯まると始末書を書かせたりするのは、言ってしまえば茶番ではある(緊張感を醸す仕組みはこうした儀式ぐらいであって、教職員も有形力の行使はできない)。だが、茶番だからといって、そんな烈火のように怒り狂ったところでよいことはひとつもないことだけは確かだ。本当に居眠りをしていたのかどうかは知らんが、「まぎらわしい格好、姿勢をするな」「居眠りのような姿勢をしていると居眠りをする」というような規則もあったはずで、まあこれもシャバの感覚ではバカバカしいかもしれないが、「まぎらわしい格好」自体が居眠りとみなされる規則違反であり抗弁する術はない。不条理な扱いを受けたと思うのならばそれに対して抗弁を試みるのは勝手だけれども、自分がいる場所の制度や慣習に逆らうのは大変困難なことである。ましてや烈火のごとく激高したところで、何もよいことは起きないばかりか、教職員からは目をつけられ(あまり派手に暴れると、実際にされることはまずないが、退学退寮処分により前納した高額な学費寮費を無駄にさせることも可能である)、同じ予備校生からはバカにされ、結局自分が消耗するだけだ。
 この日記は例外的にサイト作成終了後(つまり学部卒業後)に更新しているので、1996年06月22日付のこの日記を書き起こしている私は、すでにそれなりに社会経験もし(年齢には比例していないが)、政治学で修士も取り、予備校時代とはもちろん同じ延長線上にあるがかなり違った人間になっている。だから、(試験中に大声を出して耳障りだったことではなく)自分が従っている規範を破り、自分が従っている権威に反逆したことについて、07氏に対して私が激高していることが新鮮に思えた。今規範や権威に楯突く者は後に社会人としてもクズになるであろうという素朴な規範意識にも、無意識に自分を体制側の人間であり体制の中でうまくやっていくのだという含意が伺い見えて、そのシンプルな社会認識と楽観性には赤面する。これは一度就職して挫折するまで学部時代も一貫して続いていた感覚である(学部在学中にはいみじくも自らを「権威主義」と自称していたりもした)。そういう性向を持っているからこそ、両国に適応してモチベーションを高めて結果を出したのかもしれない。ま、合わない人間には合わなかったのだろう。学校も会社と同じく文化風土といったアトモスフィアが合わなければやっていくのは難しい。そして合わないこと自体は恥ずかしいことでも何かが劣るわけでもない。ま、大声で激高するのは、当人にとって噂もされ思い返すも格好悪くて不正解な振る舞いだったとは思うが。

 「分裂症の山田」とは5月11日に刃物を振り回す刃傷沙汰を起こした人物のこと。もちろん「山田」は本名ではなく、似てもいない仮名をつけたもの。本当に統合失調症だったのかどうかは不明だが、そう噂されていた。 


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