世界史J
1996年06月24日(月)


 模試のときのゴミは、やはり2番目に来て、毎朝大口開けて喰いさらす音をまき散らすアホだった。
 そして周囲の人に「あいつ(IU先生のこと)むかつく」「おかしいのはお前の方だ」などとほざきおる。一時の感情ゆえのただの愚行かと思ったりもしたが、やつめ、心底のクソだな。親の顔が見たい。

 高村君、朝礼遅刻。呼ばれてきたときの表情、さぞかし悔しかったのだろう。これで反省書ゼロは井上、田山、晴天の3人になった(すぐ消えたM君もゼロだが彼はいないものとする)。

 世界史J。4人来て、8人落ちた。Mさんもいた。さすがだな。
 このクラス、出席を取らず、帳簿を回して自分でつけるという。すごいな。声がでかいし、楽しいし、いい先生だKY先生(東大大学院卒)。ただ字が読みにくい。自称「きたない字を読むのが得意」の伊佐坂(高校時代の悪友)もノックダウンだ(やつは総統の字も読めない)。
 すごいハイレベルだ。実質的に東大クラスなのか?そんなことはないけど、テキストは2倍!同じテキスト使っていても、情報量が尋常ではない。暗記のコツはつかんだし、十分やれば早稲田の政経も解けるかもしれんが、俺は英語・古文が大切だから、まあ、うまく乗り切れるだろう。

 帰り、千石氏と。新クラスで「千石さんはいませんか」「『くん』です」と。まあ、ちょいと見では女性名に見えるよね。グラサンひっかけて、寮内と同じ草履を履いていた(帰ったら一回脱いで、拾い上げてまた履く。気をつけていなければ、同じ履物で室内外を闊歩しているとは思われない)。

 ああ、もう12:10か。ねる。目から血出たらまずいもんな。


この日のカネの動き

CCレモン -110
銀行

財布残高 21,014円


解説
 私は、今でもものを食べるときに上下の唇を密着させることを怠って、咀嚼する音を直に周囲の空気に響かせることが本当に生理的に堪え難いのだが、当時からそれは同じだったことが伺える。気にくわないやつが、気にくわないふるまいをすることにますます内心の軽蔑を深めるのは勝手だが、しかし親は関係ないだろうとは思うが。

 世界史Jは、この時期では文系世界史では最高レベルのクラスであり、人数も少なかったはずだから、入れ替わりの激しさもうかがえる。Mさんは、毎日わき目も降らずに教室で猛烈な自習をしている人物だが、やはり相応のクラスにいたわけだ。テキストについては「テキスト量が2倍」「同じテキストを使っていても情報量が」と並んでいるが、これはそれまでの低いクラスとの共通のテキストと、Jクラス固有のテキストと2種類について述べているのだろうか。そりはもはや記憶にない。どちらにせよ解説やプラスアルファの知識が多く、とても情報量が多く欄外の書き込みも多く、それも貪欲に読み返して暗記もして吸収していった。しかしそれよりもレベルが低く、その向上には多大な労力が必要な英語と古文の方が大切で、世界史に浮かれていてはいられないというのも、その通りであった。

 千石氏は、上記の通り洒落者で、横着な面もあり、上履きと外履きとの区別がないなど人によっては眉を顰める行状もあったが、しかし私はこういう抜け目なく規則と折り合いをつけて、手を抜いたり監視の目をごまかしたりして、自分なりにウェイオブライフを貫く人々にはなかなかやるなという好感を抱いていた。それはやはり、当時の権威主義的性向から鑑みると、体制に大っぴらに逆らわずに一見従順な姿勢を示す器用さに感心したのだろう。逆に、体制に大っぴらに挑戦してかみつく「模試のときのクズ」氏には、大っぴらに激高する点に不快感を覚えていたわけだ。

 あと銀行でカネをおろしたようだが、金額が記載されていない。残高から逆算すると18,745円おろしたことになるが、そんな半端な額をおろしたのか、それとも現金過不足の帳尻をここであわせたのか。なかなか雑な帳簿ではある。


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