俺って意外に読んでないよ
1996年06月25日(火)
昼食とらず錦糸町アニメイトへ。エヴァのTシャツを買う。タオルも買うべきだったかな?
さして腹の減りも気にならん。かえって調子いいくらいだ。
水買わなかった。荷物多かったから買わなかったが、結構気になるな。水は開封しなければ1年は保つから、安いところ(生協か?)で大量に買い込もう。俺が持てる限界って何リットルか?
林氏、漫画60冊所持、と反省書の表に。要領わるいなー。第一、読んでいるヒマないでしょうが。『両国ジャーナル』のプロは遊びを犠牲にして〜というの、それさ。そのつもりで高校でサボってきたんだから。
布井氏と本田氏、『ソフィーの世界』を買った(本田氏が。んな時間ねー!)、読んだ(布井氏)と話している。俺は読んでいない。高い!布井氏は近所に図書館があるので自分の本棚同様に読めるそうだ。それでも俺は買わないと気が済まないがな。
俺って意外に読んでないよ。岩波や中公の新書は読んでいるけれどさ。持っている本はマンガかそれに準じる小説が多く、あまり本らしい本はない。専門書は多いかな、『KGB格闘マニュアル』とか。あと鉄砲の雑誌。1977年の号から札幌で集めた。
君、マニアだね、と。いえ、それほどでも。俺は模型部というと、斉藤氏は「ガンダムのプラモ?」と。いや、これ(銃を構える姿勢を)だけと。すると斉藤氏は「シュワルツェネッガーが使っていたすげーやつ(M134か?)がすごい」と。俺は「毎秒数百発だものかな」などと寝言を。数十発だろう!
懐中電灯に電池をくくりつけようとしたが、やめた。使い勝手がわるくなる。それに、ライトだけ持ち出して使った後、電池を取りに戻ればよい。寮がつぶれるような災害だとどうだろう?電池も持ち出すヒマがあるか?ないね。まあ、仕方がない。外出時の携帯用は予備があってもいいね。
とにかくH&K MP5に予備弾倉3本も束ねるようなことはイモだ。バランスがわるくなる。マガジンなんてポーチに入れればいい。俺のポリシーだ。
ミーティングで聞いたが、寮監の息子は阪大に落ちて、京都の予備校へ行って、京大に行ったという。高校の先生に、書類出してもらいに行ったとき京大を受けると言ったら、気が狂ったかと言われたそうだが。
浪人、つまり受験のプロになったからには1ランク上だ。法政の上?早稲田?そのつもりでやろう!
湿度90%。これが体験したことのない状態ってやつか。俺は平気だ。ちょっとダルいけど。息苦しいけど平気だ。眠くならなくていい。この状態で寝たら最低の目覚めになるだろうな。
この日のカネの動き
交通費(両国−錦糸町) -240
Tシャツ エヴァ×2 -4,120
月 UTB -490
財布残高 16,204円
解説
昼休みに食事をしないことで時間を捻出して、錦糸町アニメイトに赴き、買い物をしたりあるいはただ眺めたりするだけで随分と心が弾んだことを覚えている。デジタル腕時計のストップウォッチで厳格に時間わはかりながらのごくわずかの滞在であっても、シャバの空気には昂揚した。この日買った費目として「月 UTB
-490」とあるのは何なのかはよくわからないが、「月」じゃなくて「同」で何らかの同人誌の略語かもしれない。
漫画60冊を隠し持っていた林氏はなかなかの剛の者で、これからも何度も漫画を大量にため込んでは発見されていた。没収されたものは富士見書房などのその手の趣味のものも多く、話せば気が合ったかもしれないが、あまり接点はないままに終わった。ちなみに、漫画を読みつつも彼は進学でも成果を出した。
「プロは遊びを犠牲にして」という文言は、社会人経験も持つ身になってからはそれは仕事以外の人生のない虚しい人間だろうという思いを抱くが、しかしたかが1年の修行ならばそれもありだ。しかも「浪人すればなんとかなる」という見立てで、高校3年間はほとんどまったく勉強しないで、気の合う悪友たちとささやかではあるが思い思いに趣向を凝らし自分なりに精一杯過ごしてきたのだ。何の後悔もやり残しもない。そして1年を過ぎればまた、それなりに自分なりに営みを出来るのだ(そしてそれはこのサイトで示されている)。1年限定で禁欲するのも、その前と後に奔放な暮らしずあると思えばわるくはなかった。
「俺って意外に読んでないよ」のくだりは自分が寮生たちとの談話で話した内容である。読書家だと思われて、そんなことはない、と。並木書房の『KGB格闘マニュアル』ははたして「専門書」と称するべきになのかはよくわからないが、とりあえず活字の本といったら新書と並木書房とライトノベルであった。
高校時代は模型部だったというのは、入部届を書いたことはあるが一度として行ったことも活動したこともなく、模型部自体が賭け麻雀で活動停止に追い込まれたこともあり、気がついたら入部した事実自体なくなっていたので、模型部だったと称するのは適切ではない。ただ帰宅部と称するのもつまらないと思ったのだろう。ましてやトイガンなんかは模型部となんの関係もないが、まあ話を盛り上げるために話せそうなことをどんどんつなげたのだろう(ちなみに模型部は、わりとリアルな校舎の模型を作る部だった)。
非常用品を集めたり装備したりするのに凝っていたようだが、懐中電灯に予備の乾電池をくくりつけるべきか迷ったり、非常時に予備の乾電池を取りに行く暇などないと考えたり、柘植久慶本が好きだっただけあり、そういうことが好きだったのが窺える。さすがにMP5のマガジンになぞらえて、トイガンさえ持っていなかったMP5のマガジンの保持の仕方まで「ポリシー」を語るのは、さすがに若い(しかし装飾過多を嫌う心情は今も変わっていない)。MP5の予備弾倉を束ねるのは『ダイハード2』や『ネイビーシールズ』を意識しているのだろう。
第一志望は長らく法政大学だったが(ほんとうにまったく勉強が出来なかったししなかった高校生当時は、それさえ漠然とした現実味のない夢であった)、しかし早稲田はあんまり入りたいと思った記憶がない。とりあえず「1ランク上を」というから思いついただけで、やはり第一志望は長らく法政であった。