スイスアーミーナイフを買った
1996年06月28日(金)
英文法の時間、TN先生曰く、マッカーサーはI shall return.とを「日本」に戻ってくるとして言った、とのことだが、フィリピンじゃないのか?そして教室から帰るときに、「メンバーかなり入れ替わっているんじゃない?」と。そういえば、と名簿を覗きこんで言う。下のクラスで結構見かけると。「高校で同じやつが上に行きました」との声が上がる。気にしていると思ったのは、「まだ、これからじゃない」と。おっしゃる通りで。
船橋屋でスイスアーミーナイフを買った。中学生の頃、高い値段と、さらに入手方法の不明瞭さで、ほとんど物語や遠い国のもののように感じていたが、目の前にあって、見比べられて、しかも安い。手ごろな太さの「ハンター」を買った。それて980円の小型のも。ブルーのグリップか。スイスアーミーといえば赤に白の十字と思っていたんだが。手に取ってみると、これはこれで優れたツールにふさわしい。
5,000円があとで足りない、困る、ということではなく、本当に手に持っているものが存在しているのか、なんて感じがする。昨日は手にしていなかった。してし買う前と後とでどれだけ物事が違うというのだ?
はじめて遅く帰った。飯の後の風呂となる。金曜で医歯系が少ないのでせめてもの幸い。岩本氏、お守りを拾ってとどける。そして鎖(ネックレス?)を拾う。部屋の前に落ちていたと。よくものを拾うな。その鎖は宗教儀式だ、とのこと。岩本氏「こえー」と。
沖縄で中学生が野郎二人に車に押し込められて拉致された。手がかりなく被害者の氏名・写真を公開。バレー部のユニフォームを着ていたという。そのユニフォームの写真を見て、迫水氏「こりゃぜったいマニアだわ」と。
しかし気の毒だ。きっと暴行されているのだろう。もう殺されているかもしれない。もっと変態的な、恐るべきこともされているかもしれない。まったく気の毒だ。世の中結構とんでもないことが起きるからな。小説にしたらいかにもわざとらしく、そんなことあるわけないだろうといわれそうなことが、現実には。オウムだって事件の前にそういう筋の小説にしたらアホらしくて仕方がない娯楽小説ととられただろう。まあ虚構とリアリティとのことは来年考えよう。けれども書くのは楽しい。そのうちパソ通で作品流すかな。
明日は模試か。今のうちに志望校を探しておこう。九大、いいところなんだけれども数学がなあ。東京広しといえども大学少なし。結構選ぶと少ないね。漢文がなければもう少し広いのに、人文系(本当は社会学だけれど人文に含まれることが多い)で漢文がないとなると狭くなりすぎる。
よく調べたいな。どんな学問をやっているのかを。まあ法大・社に入れば問題はない。
学風は質実剛健!……法政はバンカラだが、質実剛健?いや、そうだ。リベラルと相反するものではない。あの校舎、ありこそ大学だ。もっとも多摩のは小ぎれいだと思うが。
この日のカネの動き
ヴィクトリノックス・ハンター -3,640
ヴィクトリノックス・クラシック -980
財布残高 10,915円
解説
ついにスイスアーミーナイフを買ったのだが、上京して目の前で見るまでは、それが実在するのかどうかさえ確信が持てないほど物語の世界の代物のように思っていた。インターネットが発達した今日では信じられないが、手近な店でディスプレイされてないものは、雑誌広告の多くは白黒の小さな写真や下手したら小さな文字だけの印刷を見ながら、どんなものが来るのかもよくわからないまま、現金書留や郵便振替で通信販売するしかなかった(しかも届くまで1カ月以上かかるのもざらだった)。それを考えると、店舗で実際にモノを見ることがどれほど新鮮な喜びを持っていたか。実際に購入してもなお、まだ手にしているものが実在することが信じられないといった風である。
「はじめて遅く帰った」というのは寮の帰宅時間に間に合わなかったのではなく、自習室の利用などで帰寮時間が遅くなる旨の書類を交付してもらった上で、遅い時間に戻ったということ。いつもは私立文系コースは授業コマ数が少ないので風呂に入ってから食事だった。この日は食事をしてから風呂となった。夕食後の風呂は、授業コマ数の多い医歯系でごった返すのだが、この日は曜日の関係かまだ空いていたようだ。
犯罪についてテレビ報道(シャバへの復帰に支障をきたさないよう、夕食時間のみニュースが流される)で知り、おそらく性犯罪であろうことから下世話な声が飛び交ったが、私はすぐに創作に結び付けるあたりがまた、フィクションに入れ込んでいたことが伺える。小説などの創作活動をしてみたいと思い続けて、パソコン通信(古い)で作品を流してみたいなどと称しているが、実際には大学に入りインターネット回線を引いてからも、そうしたことはほとんどしなかった。したのは友人の作品を代理でアップしただけであった。創作したいというのは単にフィクションを消費者として享受してその世界に憧憬していただけで、実際には生産者になる意欲などなかったのか、大学に入ってそこでの生活が面白すぎてそれ以外のことを考えられなかったのか。とにかく予備校当時は創作についても意識していたのは間違いない。
志望校について調べて選ぶというとても幸せな時間を過ごしていることが見て取れる。最初から(高校1年次から)私立文系志望で、予備校でも私立文系コースの英語・世界史・現代文・古文だけのカリキュラムをとっていたが、このカリキュラムでは漢文はオプションだった。オプション履修の仕方もよくわからず、特に漢文の必要性も感じていなかったので特に履修しようとも思わず、漢文のない学部学科を受けることにして実際そうなった。
法政大学は、後の目で見るとそれほど入試難易度の高い大学ではない。しかし高校時代にほとんどまったく勉強しなかった私にとっては、スイスアーミーナイフと同じぐらい、宝くじの高額当選とも比較するぐらい、自分が入学するなんてことが絵空事と思えるぐらいかけ離れた高難易度大学だった。余談だが法政大学は時代によって入試難易度やそれについてのイメージの乱高下の激しい大学で、私の親ぐらいの時代には低難易度大学のイメージが強く、しかし進学率の上昇と受験人口の増加に伴い倍率は跳ね上がり難易度も格段に上がり、第二次ベビーブームから3〜4年遅く生まれた私の世代はまだまだ人数が多く、「昔と違ってなかなか難しくなっている」と語られていた(としても法政あたりはそれなりに勉強すれば容易に合格できるレベルであり実際合格したのではあるが)。そして少子化の進行と大学定員の拡大に伴い軟化が進んでいく。それはともかく、当時の私は、自分が大学なんてものに入れること自体が一種の奇跡か、さもなければ死ぬほど勉強しないと入れないと確信していたので両国に来たのであるし、自分のようなできない人間が結果につなげには科目数の少ない私立文系コースしかありえない、もっと科目数の多いコースだと努力しても結果を出せないとして私立文系コースを迷わず選んだわけだ。それでも大学選びでは使える科目数の少なさが選択肢の少なさに直結して、戸惑っていたようである。
ちなみに別のカリキュラムを選んでいたら、おそらく数学が出来なさ過ぎることもあり、現代文以外の全科目が出来ないので復習の徹底反復をしなければならないが何科目もそれをやるとこなしきれずにパンクしていたかもしれない。医歯系の人々は自分に課したノルマが終わらず就寝時間が過ぎてもなお勉強し続けていたものだった。私が血迷って国立医歯コースなんか選んでいたら、結果以前に精神状態を維持できなかった懸念がある。それを考えると科目数の少ないコースで十分に反復復習を出来て、ついでに雑貨屋で趣味の品を見たり日記に好きなこと書いたりしていられる余力があってこそ、充実した余裕ある浪人生活を送れた、ともいえよう。