公開模試の結果は
1996年06月29日(土)
公開模試の日。公開模試の結果は、公開模試の日に返すらしい。
なんとAとBの山!法政C!
東京国際Aはともかく、東海までAとは。しかも国立の信州大までA。国立だぞ。東洋と関東学院がB。これはすごい。Bなんてはじめて見た。そして法政C。EとDばっかりだったのに。
わかっているけれど、旺文社の問題は易しいし、まだ弁筐の進んでいない高校3年生も数多く受けている。したがって、どれほどこの偏差値が通用するかってことだ。まあ現役生と一緒に俺も成長していくからね。現役生と違って、こちらはプロだ。高校は人間を作るところで、勉強は二義的というか、方便に過ぎないが、こっちはまさに勉強するところだ。しっかりやってるぞ。
しかしこんな点数で英語偏差値50いくとは。やはりこの結果は信用してはならない。
なんにせよ、高校3年のときは40台後半だったのに大したものだ。いちおう、それだけは評価しておこう。
今日の模試、英語は読めたし、なんとなくわかった。ただ最後の長文のとき、時間がなく、2/3しか読まずに問題にいっちまった。読んだらわかる文と問題だった。
国語も時間が苦しかった。最後の現代文なんぞ10分!かなりの速読、速解。しかも全問正解。やはりさしせまった方が気合いが入るのか。
あと時間配分とか問題の順を考えた方がいい。
まったくわからん問題はほとんどなかった。どちらか迷う、なんか気になる、そういうところを間違った。そこを直そう。
しかし古文は解釈を誤った。誰が何を話し、行動しているのか、もっとしっかり把握せよ。
帰り、山田氏と一緒になった。法政−法(彼は役人志望だ)Dだったという。後ろから来た石井氏(坊主にした)にデータみせる。うお、マジかよ、と。
山田氏、やる気出てきた、と(彼はやりすぎるほどやっている)。晴天師匠だ、と。勝ってやる、とのこと。その意気だ。だが倒されんぞ。共に法政か?
佐々木監督(監督は彼のあだ名だ)、風呂で会っても何も言わず。ふだんはよく話す人なのに。きっと出来が相当だったんだろう。湯船で1人、何事か考えていた。岩淵氏の「土曜はゲーセンの日だろう」という声にも、ダメだよ、晴天君、そうだよね?と。
洗濯室にて。岩淵氏、布井氏、晴天。
岩淵氏がエロ本買っていると聞いて、布井氏「いやらしー」と。彼はいちどたりとも買ったことがないし、友人はいても、彼女とかいう意識も願望も乏しいそうだ。俺に、いやらしーねー、と言っているところに「晴天君、マニアだもんね」と。「通好みだよね」とのこと。布井氏「すごいこと言うね。髪が異様に長い人が好みとか」と。そういうこだわりはないッス。「太もも太い人が好みとか」
とんでもないッス。 「おしりがでかい人がいいとか」 そういうのもないッス。ここで迂闊なことを言ったら83寮の有名な変態ということになっただろう。
窓の外を見て、このへん高校生とか通らないからつまらない、と布井氏。俺はあれで十分だ、とネコを指す。「爪研いでいる。おもしろいね」と。ネコがエイズ持っているって知っている?と。うむ、だがFIVは人には感染しないよ、と。うちの近くにはキツネがいるが、病原菌を持ってきて迷惑だ、という話を。
窓から東洋大を見る。あそこで試験受けた、と。岩淵氏も受けたらしい。俺は社会学部。彼は?
偏差値60で機嫌がいい、と言われる。布井氏は英語40台らしい。たいへんだ。高校では校内偏差値50いったというが、うちでは40台前半だぞ。
俺は1日10時間、最高で週66時間、日曜14時間。布井氏は実質2時間。岩淵氏は自習室のみ、と。おいおいしっかりしてくれよご両親が泣いて怒るぞ。
俺が10時間と聞き、やはり、やってるから実力がつく、と。当然のことね。
寮監さんが回ってきたとき、データを見える位置に置いておいた。見て、ほほう、と。「コツコツやっている者が勝つ」と。その通りですね。
まずいなやり残しが多い。明日中に模試世界史と今週の古文世界史演習の復習をしないと。各種テスト、国語もあるし。休みなしだな。もう00:20、ねろ。いますぐ。
この日のカネの動き
ポケットティッシュ -103
水2L -200
レモネード -103
財布残高 9,609円
解説
公開模試の結果で、禁断の一喜一憂をしている様が見て取れる。もちろん6月の試験なんて、上で書いているように高校3年生の進度に合わせているから問題は易しく、発展途上の現役生を分母に多く含むから偏差値も高めに出る。おそらく信州大の判定が甘いのも、地方大学だから志望者が地元民ばかりで少なかったせいだろう(時期が差し迫ってくると、入れそうな国公立を探す人間が急増するので変化したはずだ)。予備校側からも「一喜一憂するな」と警告を出されていたし、それはその通りだった思ったが、それでも結果に一喜一憂はするものだ。当時自分としては一喜一憂しているつもりはなかったのだが、結果データを人に見せたり寮監にわざと見えるわようにしたり、かなり舞い上がっていたようだ。まあ現役時代の模試では、志望校の合否判定はDとEばかりしか見たことがなく、AどころかBさえ見たことがなかったのだ。
それにしても、それなりに有名な大学に入って、それなりに賢しい人間とつきあい、さらには大学院に行ったり、シャバに出て学歴について一定の評価をされたりしていたので忘れてがちだが、私は高校時代には下から数番目ぐらいの劣等生だった。だからこそ後の目からすると入試難易度がとてもGENTLEうに思える大学のA判定にもよろこんでいる。というかA判定は、大学の名前以前に、「自分は来年度どこかには行ける」という安心感をもたらしたのだろう。
勉強時間については、高校時代実質まったく勉強していなかったからこそ、「最大週66時間」もしてようやく結果らしきものを出しはじめたのだろう。「最大週66時間」もやって難易度の易しい大学の良判定に喜んでいるのが隔世の感があるが、しかしは当時はそれぐらいしてはじめて易しい大学の門をどうにか叩ける程度だった。そして周囲にいた同じ両国生も似たり寄ったりで、やはり勉強をろくにしたことがなく、勉強する習慣もなかった。それで、こんなところに来てまでゲーセンに行ったりわずかな勉強時間でお茶を濁したりしていては、結果には繋がらぬのもうなずける話ではある。ただ、山田氏については「やりすぎるほどやっている」という評判だったが、彼がろくな結果を出せなかったことを鑑みると、どこまで真実だったのか、机に向かっているだけであまり集中していなかったのか、やっていたとしても効率の悪いことしかやっていなかったのか、それとも基礎学力が義務教育レベルのところから欠けていたのか、根本的に勉強に向いてないのか、それはわからない。だが、彼が「やりすぎるほどやっている」というのは解せない話である。
キツネの「病原菌」については、エキノコックスの寄生虫のことか。