火も煙も見えず
1996年06月30日(日)


 6月が終わり?次7月?道理で暑いはずだ。湿度のせいか。空気が重く、まとわりついてなおさら暑い。平日のこの時間は22度に保たれた両国の教室にいるんだもんな。てせも俺は、クーラーつけないよ。カネがもったいないし、耐えられない気が散るというほどのものではない。7月か。あと何ヶ月か?7ヶ月ぐらいか。まだあるじゃねえか。今年の半分過ぎるといっても、年度で半分ではないし、それなりに俺の力はついている。前期(A日程)都立で後期東大文Iにしたりして。なに、これからさ。どのみち法政メイン。国公立はてきとうに受けよう。信大は受かりそうだし、どうせいなら東京都立ぐらいはな。

 勉強はやっている中で洗練してゆく。当然のことさ。向上心をもってやり続けることが王道さ。合理的で気の利いた方法など、最初からはできない。できる人は、もっと出来るようになる。なあ伊佐坂、受かれよ。お前は頭脳は優秀な人間だ。

 白山駅の通りで火事があった。火も煙も見えず。消防車、パトカー、救急車は何台も来て、何かやっとるが、何があったのだ?XXX号室、なんとやら、と聞こえる。どこで何が起きているのか、どこから火が出たのかわからんようだ。火、でてるのか?たった1枚残っている「写ルンです」で撮った。偶然、なんか事件があったときに使おう、単発銃だ、なんていっていたが、ホントに事件に出会うとはな。気の毒な様子もなく、警官と野次馬とがそれほど重要とも思えぬことを話しているのだから、撮っても大丈夫。なんか古めかしい一眼レフを持ったじいさまが、しきりに撮っていたけれども。やはり持つべきはカメラとフィルムか。本当はペンだけでいいのだが、今年は何もやらない。


この日のカネの動き

コピー -30

財布残高 9,579円


解説

 さすがに東京の蒸し暑さがむずらしいようだが、耐えることに愉悦を覚えていたらしく、ついでにカネまで温存できるということでクーラーはつけなかった。結局予備校時代の夏はクーラーなしで過ごした。

 私は高校入学時から数少ない私立大学専願で、予備校でも法政大学に入られれば万々歳というつもりでいたし、国公立大学をありがたがる気持ちはまったく持っていなかったし今も持っていないが、いちおう前期後期あるいはABC日程でどこか受けてみようかという気持ちはあったようだ。結局、面倒だったり教科がたりなかったりして、国公立はどこも受けずに終わったが。

 伊佐坂とは、別サイトのタイトルにもしている高校時代の悪友のこと。もちろん仮名。最も親しく付き合っていた人間のひとりであり、口頭だけではなくコンピューター通信などまったく身近に存在しなかった当時としてはめずらしく膨大な文字情報での遣り取りもしていたため、交流における情報量は濃密で、それゆえ互いの問題点を意識しそれに対する反感なども色濃く持っていた。伊佐坂は高校時代の仲間では最も頭の切れて弁も立つ人間で読書量も執筆量も最も多い人間だったが、(これはお互い様だが)勉強量が絶望的に少なく、それゆえ時間の進展と共に持ち前の頭の切れだけでは試験の点数を稼げなくなっていき、高校3年次の後半あたりでは模試の度に「今回は調子がわるかった」「こんな試験なんか無駄だ」と毎回弁解を繰り返し、それでいて勉強することについても「量より質」「無駄な勉強はしない」などと称して努力そのものを忌避する言辞を繰り返していた(何を口に出すか出さないかの違いはあれど、私も試験結果が劣悪で、勉強もしなかったという行動と結果は同じなので、同じ穴の狢である)。そうしたことが念頭にあったので、「量より質」とか寝言いってないでまず「量」をやって「質」を向上させるしかないという考えに至ったときに、彼のことが思い出された。そして彼の拳闘も祈ったのである。
 余談だが、彼も浪人の結果、それなりのところに入り込んではいる。

 火事というか、消防車が緊急出動して野次馬も集まっていたが火事らしい様子もないというだけなのに、えらい興奮している。デジカメなど解像度も35万画素にも満たないようなものがガジェットマニアの玩具として若干出ていたかもしれないが、基本的にカメラはフィルムで、フィルムは24枚や36枚しか撮れず、現像にも時間とカネとがかかり、現像してから出ないと写り具合もわからないという時代だったが、その貴重な1枚を単に火事かどうかもわからない騒ぎに使って「こういうときのために1枚残していた」などと称しているのも、何もかもめずらしかった若き田舎者らしさが窺える。しかしこのときの1枚は予備校時代の写真に見当たらなかったので、撮れてなかったのかもしれない。

 「本当はカメラではなくペンだけでいい」というのは、ペンによる文筆だけで物事を描写できるようになりたいということ。当時は文章力というものに強い価値を置いていたし、そういう方面に進むこともどこかで意識はしていた。


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