時計のバンドがちぎれた
1996年07月01日(月)


 昨日、時計のバンドがちぎれたので、予備のデジタルをしてゆく。なんか、似つかわしくない。というか異質なものが腕にくっついているように見えるんだよな。そういえば人のしている時計も様々だが、別になんとも感じない。航海士がつけていそうなクロノグラフ。沖縄の海底を歩くときにしていそうなダイバーズウォッチ。質素な学生クォーツ。スポーツの計測に使いそうな多機能デジタル。千円札1枚2枚で買えそうなオモチャみたいなもの。さらには懐中時計。どれを見てもなんとも思わない。高校までなら、何か感じたろうに。もう、皆、好きなように買えるのだ。何をしていてもおかしくないのだ。流行や外見のよさ、服との調和、めずらしさ、何を意図していようと何も思えない。それはその人の人となりを知らないせいだろうか。
 俺はいずれ角刈りにして金縁メガネに金時計にしてみたい。ここまでやれば何か迫力があるだろうか。そうだ!金時計!これならまだ感じるものがある。高級そうな時計をしている人は数多いが、銀色に照り輝いているものばかり(つやけしマット仕上げもあるが)。金なら迫力があるな。
 しかしバンド2,000円?3回買えたら時計買えるではないか。

 世界史の復習したら、復習1/2しか出来なかった。予習もしていない。いい授業なんだがなあ……。世界史はあとまわしだとわかっているんだが……。復習しないのがもったいない気がしてさ。

 ハラがおかしい。胃が重く、胃の中心に吸い込まれていくような。ストレス?この俺が?まさか、勉強はうまくいっている。生活も。何も問題ない。だが、問題は内にあった。昔のことを思い出してはハラ立てるという愚かなことをしているせいだ。俺はそんなことでストレスを成すのか?まさか!きっとハラ具合がわるいんだ。というわけでもなさそうだな。バカバカしいな、まったく。

 学校(湖陵)に合格の知らせに行くところを想像してみることがしばしばある。そのバリエーションとして、学生服で行ってみるというのを思いついた。そう。学生服はまだ部屋でスタンバイしているのだ。毎朝着替えてあれで行ったものだ。学生服に対する思いが薄れているのか?3年の終わりまで多少なりとも特別な意味づけをしていたのに。いや目の前にないからじゃないのか?あれを着ることも、もうない。職場で特別な服、そうでなくても背広を着るようになる。それはそれで誇りを持てるだろうな、制服に変わりない。
 そうだな、1997年の2月3月に学生服で行ってみるかな。

 Iさんは私立の音大に行ってカネがかかるからと、節約倹約につとめているらしい。実家にも電話はよこさないし、親友のFさんにもポケベルの暗号で交信しているらしい。頭が下がるよ。浪人するつもりで浪人したことはいいとしても、しょっちゅう実家に電話をかけるし、コレクトコールも使う。ボールペンから傘にいたるまで送ってもらっている。なんとまあIさんには合わせる顔がない。俺ももっと気合いを入れ直そう。生活面で。


この日のカネの動き

なし

財布残高 9,579円


解説

 腕時計は人からよく見られるアイテムであり見せることも念頭に置いてつけるものでもあるが、はじめて学校に腕時計をつけて来るようになった中学時代から誰がどんな時計をしているのかに関心を持つようになっていた。映画や漫画で誰がどんな拳銃を持ってキャラクター付けされているのか気にするように、身の回りの人間について個性と紐付けられたアイテムとして捉えようとしていた。しかし予備校では様々な趣向を凝らした品を見てもなんとも思わない自らの無関心に驚いているようだ。やはり単によい品かわった品を見ても無意味で、それなりに交流して人となりを知っている人間と品物とを紐付けないと何も感じないということなのだろう。

 ちなみに角刈りはともかく、短く髪を刈り込んで金縁メガネに金時計は学部に入ってから実現して、それで闊歩していた。稚気である。

 世界史はやればやるだけ身につき、点数にも直結しやすく、何よりも面白く奥も深いので、ついつい時間をかけすぎる。しかし「あとまわし」つまり優先順位は高くないことに気をつけねばならないと繰り返し言われていたのだろう。実際問題として、英語や古文現代文は、勉強しても身につくには相当の努力量が必要であり、点数につなげるには相当な積み重ねが必要になる。だからこそ英国を優先して積み上げねばならず、世界史に溺れてはならないと戒めているのだろう。逆に言えば、ちょっとやったぐらいでは身についた実感もなく点数にも繋がりがたい英国を避けて世界史に耽溺してしまいがちでもあるのだろう。しかしそれはそれとしても世界史は文字通り全世界の歴史をなぞるので底は深く情報量はべらぼうに多く、なんぼやっても終わらないというのもある。配分が難しいところだ。

 IさんFさんは中学時代の同級生で、違う高校に行ったけれども親同士が仲がいいので、実家に連絡するとたびたび世間話としてそのへんのことを聞けた。ポケットベルというのが時代である。電話料は後の時代では様々な方式が発達して低く抑えることも可能になったが、当時は従量制しかありえず長距離ほど高い時代だった。そんな時代に、たびたびつまらん理由で実家に電話をコレクトなどでかけていたのだから、まったくカネばかりかけていた。これはまったくもって忘れていたのだが、傘やボールペンまで実家から送ってもらっていたことも驚きである。食い物ぐらいはともかくとして。


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