池袋、おお池袋。また来たぞ
1996年07月07日(日)
池袋へ、山手線に久しぶりに乗ったが、なんたるよどんだ空気か。草のにおいのような。といっても草原のような爽やかなものではなく、草を堆肥にして集めて腐らせたような臭い。どことなくクソのような感じもする。自然公園の便所みたいだ。それに、おしろいだかなんだか知らんが化粧品の安っぽい匂い化学臭もまざって、もどしそうな代物になっている。別に耐えられないわけではないが、ドアが開いて、新鮮な空気が流れ込んでくるのが心地よい。ドアが閉まってまた出発するときに、却ってひどく感じるかもしれないが。
池袋、おお池袋。また来たぞ。新宿書店の横にゲーマーコミックの店が出来てビラを配っていた。俺にもくれたが、配る相手を選んでいるのだろうか。俺はいかにもな風貌だから、そのうち角刈りにきめてやりたい。
新宿書店、『たべた〜』の新刊なし。アニメイトも際だったものがなし。K-Booksにも久しぶりに(2度目)行った。『たべた〜』のバックナンバーを買う。18禁コーナーに学生服で入るあんちゃんがたがいた。
なんと万年筆ののりの悪い紙か。しかもしみている。
朝、坂本氏、心得を読む。壁に貼ってある心得を読むとき、彼は本間氏のメガネが要る。無言で坂本氏が手を出すと、本間氏は無言でメガネを外して渡す。けっこういい仲だな。 こういうのは久しぶりに見た。中学のときK氏が体育の卓球をするとき、同じぐらいの度のA氏のメガネをひったくってかけたのとはまたひと味違うやりとり。
「なまら」は新潟でも使うのか?用法が違うような。「手袋はく」「ゴミ投げ」はどうなんだ。しかし「じょっぴんかる」とは……「鍵をかける」と意味がわいる。けれど思い出しただけで吹き出しそうだ。イスパニア語か?
三浦の「社長」は帰省中。「めんかメシがうまいと思ったら」「平和だ」「胃の調子がよい」と人々が口々に。今朝寮監が言った、「寮生活は社会生活の訓練だ」とのコトバを三浦氏にも聞かせてやりたい、と田山氏。三浦の「社長」、将来は何になるんだ、との問いに対して、「宗教に走ってサラ金に手を出して破滅」との声。言うじゃないか。まあ、ないことではないな。三浦氏、「帰る」とも言わずに帰省の札を返していた。話をするのをやめたのか、それとも……?寮に火をつけて、出てきた寮生を散弾銃で撃ったりしないだろうな。俺や山田氏のように彼に悪意を見せない人もいるから、その気になったとしてもやらんだろう。
しかしバインダーのオマケだから文句は言えんが、安い紙だ。万年筆もどきが浦まで浸みる。
関東人は納豆大好き。カレーにかける。右のテーブルは誰もがやっている(全員ではないか)。うちの山田氏や江川氏までやる。たまらんのう。中部人の井上氏、死にそうにしている。俺もあんまり好きではないなう。
この日のカネの動き
鉄道 巣鴨 -170*2
鉄道 池袋 -120*2
同人誌 たべた「チャ」 -800
同人誌 のんだ4 -800
水 -200
財布残高 5,554円
解説
「池袋、おお池袋。また来たぞ」などと大袈裟な感嘆をしているが、やはりこのひとときは格別だったのだろう。日曜の2時間の自由時間で、白山から三田線で巣鴨、巣鴨から山手線で池袋に行き、短い時間で同人誌ショップを回って、禁制品の同人誌を買って帰ってくる、といういつものシャバの空気、文明の匂いを吸いに出掛けたひととき。電車で何やら悪臭がしていたらしいがその原因は不明。いろんな人間が乗っているし、梅雨時でいろいろと臭いが発生しがちな時期でもあった。
この時期は「社長」というあだ名で呼ばれていた三浦氏は、帰省していた。二度と戻らない寮生も何割かいた中、彼は最後まで続いた人間ではある。だが、トラブルメーカーで彼が単にいないというだけでひどい言われようである。高校時代に読んでいた犯罪心理学関係の新書で知っていたワグナー事件をヒントに、三浦氏が寮に火をつけて散弾銃で撃つのではなどと戯言を書いているが、自分や他の少数の人間は彼に悪意を表明していないから思いとどまるだろうという観測は後の目で見ると甘い。悪意を表明していなくても、憎まれるときは全体の一部として憎まれるし、さらに言えば悪意を表明していないからこそ、一方的に過剰な期待を寄せられて、過剰な期待に応えてくれないという理由でひときわ強く憎まれることもありえるのだ。まあ彼の心中など知るよしもないし、現在に至る彼のその後の半生についても知り得ないので、あまり勝手なことは言えないが。
安い万年筆っぽい筆記具のノリが悪いといっているし、紙は確かに引っかかるような感じがした。しかし万年筆も格安ならば、紙もバインダーに最初からついている安物で、そんなものではなかろうかとしか言い様がない。