寮監代行に備えろ
1996年07月09日(火)


 ミーティング。寮監の話の要点。
1, 部屋が汚い。ズボンが脱いだままの形で脱ぎっぱなし。次はシャツ、とどんどん歩いとる。
2, タバコ調査。高山氏、新たに申告する。
3, 最近さくらんぼの贈り物が来るが、寮の外を歩いていると、よくさくらんぼの種が落ちとる。
4, 寮監は明日休み。代行に反省書とられないように。禁止物、いろいろあると思うけれども。
5, 部屋汚い。ブタ箱みたいだった。押入はなおさら。
 これらの連絡事項のときは、寮監の話しぶりがおもしろく、笑い声も巻き起こったが、最後の話は一変して深刻になった。長い間休んでいた藤田君は、お父さんが亡くなって帰っていたそうだ。お母さんと藤田君のふたりだけになってしまった、とのこと。初七日も終わって明日帰ってくるけれど、皆、励ましてあげるように、とのコトバを聞いたとき、涙が目の中に溜まったのを感じた(溢れさせて流しはしなかったが)。両国は学費寮費すべて一括だから、父親が亡くなってもここにいて学び続けることは出来る。自分も母親とそういう話をしたことがあったが、身近で本当に起こるだなんて。布井君もおじさんが亡くなって帰省した。彼はその電話がかかってきて切るまで30分ぐらいかかった。急だったんだろうか。藤田君も、これから凄まじく気合いが入ることだろう。もし俺がそんなことになったら……国立大に進路変更か?それとも地元の公立大か。そうしたら法か経済に進路を切り替えて、死ぬほどやって、早く働かないと。

 ビクトリノックスのポケットナイフ落とした。多分風呂。でも見つからない。1,000円とはいえ心苦しい。
 明日に備えろ。日記は反省書とられないだろうけど、読まれたらどうなるか。アジとラとカと手。掃除は万全。
 トイレのトイレ紙の芯、俺が芯にカッターで穴を開けて、ドアのフックにひっかけていたが、2本目3本目までは俺だが今日は5つになっていた。誰かが続いてやってくれた。誰だ?


この日のカネの動き

月 アジ -600
宅 ペリカン -1,030
財布残高 3,924円


解説
 寮生のお父さんが亡くなったときは、全然親しくなく、話をしたことさえろくにない程度の寮生だったのだけれども、ミーティングで寮監からその話を聞いたときは、自分まで思わず感極まってしまった。彼の家がどういう状態であり、親御さんの死が進路やその学費にどう影響したのかしなかったのかはわからない。しかし自分の父親が浪人中に急死していたら、自分の進路はかなり大きく変更を余儀なくされたのは間違いない。もちろん留年なんかしないよう心がけたろうし、そもそも実際の学部時代のように豊富な仕送りにものを言わせて同じような境遇の仲間と享楽に耽りもせず、あまつさえ大学院まで行って20代の大部分を学生として過ごすこともしなかったのも間違いない。自分の父が死んだ場合は、実学と言われる法学部か経済学部に入って一生懸命勉強して早く働くと思い描くのは、いかにも素朴な発想でいまとなっては眩しい。
 それにしても、事情のひとつも知らない寮生のお父さんに死に対して、「これから凄まじく気合いが入ることだろう」と勝手に物語を見出すのは、誰に対しても口には出さなかったろうけれども、なんとも勝手な発想をしたものではある。

 「アジとテとカと手」というのは、よくわからない。日記を寮監や代行に読まれることを警戒して略称にしたのだろう。多分「アジ」はアニメージュ。出費のところにもその記述があるが分類の「月」は「月刊誌」の略だろう。「手」は禁制品の「手紙」。「ラ」と「カ」はたぶんラジオとカメラだ。そうした品物はコインロッカーに隠したり、持ち歩いたりもしたが、多くはペリカン便で実家に送りつけていることが見て取れる。


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