けんしろ氏への手紙
1996年07月09日(火)
手紙、本当に感謝します。手が震えるほどに感動しました。私は今まで、かようにも真摯な手紙を同年代の人にもらったことはありません。その返礼に一筆申し上げます。
私は快調であります。東京の季候は泳げそうに湿って重い空気が停滞し、あまり気持ちのよいものではありません。特に休日の昼間の電車など"I
feel half choked by stale, unventilated air, flavoured with cheap face
powder and men's sweats"という感じで、欧米人から見たらアジアの蛮国の三等客車というかもしれません。それでも楽をしたら気がゆるむ、とのことでクーラーなど一度もつけず、いつでも長袖、Gパンで平然とすごしております。
勉強の方はかつてないくらい充実しております。貴殿も気づいていたかもしれませんが、私は高校時代、ろくな勉強をしていませんでした。さすがに高3の後半には夕食後は机に向かい娯楽から離れていましたが、基礎も知らないのに応用問題にとりくみ、結局何もわからない、解説見ても全くというていたらくでした。基礎が何よりも肝心とは聞いていましたが、この時期にそんなこととの思いと、人からのまだこんなものかとの評価を避けるために、そんなことをやっていました。勉強の進み具合や時間は、実のない自尊と妙な安心感を与えて皆の足を引っ張っては、との思いのためにウソを言っていました。この点はあやまっておきます。
しかし、基礎を何よりも重視する両国で、英語は中学生並みの単語力で、当地も強調構文も知らなかったのが、人並みの偏差値を出せるようになり、実は何書いてあるのかほとんどわからなかった古文も校内模試で上位者リストに載るようになり、イスラムの外側は何も知らなかった−ギリシア、ローマさえも−世界史も2回目のクラス分けで東大大学院出の先生による最高級クラスにまで上がりました。旺文社模試でも見たこともなかったA判定やB判定を昨年度落ちた**大学や**大学に見ました。このまま精進をつづけ、洗練を極めていけば、法政大も合格圏に入るでしょう。
志望校は法政のままですが、今新しい目標を持っています。それは東京大学文科III類(後)です。寝言と思われるかもしれませんが、浪人−いわば受験勉強の専門家になった以上、そのくらいの意気でやってもいいと思います。私は決して勉強を嫌いではありません。高校のときから、このような全てを切り捨て、最初から順々に本気でやってみたいと思っていました。それが今できるのですから、これをフル活用しない手はありません。数年前に偏差値35で東大文Iに受かった人は明け方まで勉強していたそうですが、私は何があうと12時には寝ています。しかし、他の多くの人のように半端な仮眠などせず、眠いときは立って勉強しております。大学に行ってからも、この気構えで学問をしようと思っております。
両国の厳しさは他の予備校よりは際立っているかもしれませんが(ただし**予備校は両国生も震え上がる)、私の予想よりもはるかにぬるいものです。始末書が3枚たまっても、何人か出された人はいますが、多くの場合は執行猶予処分とし、せいぜい生活指導部(両国で一番強烈なところ。元海軍もいる)に気合いを入れられまくる程度のようです。ただ、暴力事件は自宅謹慎にしてその間に調査し、その後退寮退学とともに警察を介して処理するようです。1度刃傷沙汰があったとき、その時間学校にいた生徒全員が指導部事情聴取を受けました(私も含めて)。その点はやはり感心しております。ついでに私は反省書・始末書など1枚もとられていません。我が寮(32人。1人減った)ではゼロの人は私含めて3人しかいません。週に1度は反省書をとられる夢をみます。これは意地でもとられてたまるか、という気迫とゼロとの誇りなのでしょう。
A君(※高校の同級生。ここではここのみのアルファベット表記とする)については、本当に大丈夫かと思います。B君からの手紙に、A君の絵もありました。何をやっているのでしょうか。容器がかわれば心構えも変わると思ったのですが。まあたるんでいるように見えて実際はやることをやっているのかもしれないので、3月まで評価は保留しますが。しかし1人でゲーセンに行って楽しいものですかね。1人かどうかは知りませんが。隣室はC氏だといいますし。D君も大学をレジャーランドとでも思っているのか気が抜けたのか、他にやることがあるからか、わかりませんが、そんなことでは後々苦労することでしょうね。それではそろそろこのへんで。貴殿はしっかりとした大学生活を送っているようで何よりです。
1996年7月9日 フロと夕食時間けずって書いたけれど、少しオーバーしてしまった(これは私の責任なので気にしないでください) 晴天
1日のスケジュール
06:00起床。軍歌調の校歌、寮歌、応援歌その他が流れ出す。俺は3つの目覚ましとこの歌で起きる。顔を洗ってふとんを上げて、朝テストの勉強をする。
06:25放送が止まり、朝礼5分前。ここで4つ目の目覚ましが鳴る。
06:30朝礼。遅刻は反省書。当番の者が「日常の厳守心得」「禁止事項」を叫び、皆で復唱。連絡事項の後、朝食。
06:50出寮。俺はたいてい3番目。皆が遅すぎるのだ。地下鉄三田線・JR総武線を乗り継ぎ、両国へ。その間も貴重な勉強時間だ。
07:30両国予備校12号館612教室着。ここは両国駅から一番遠いところだ。しかも6階。最初は吐きそうになったが、今は面倒なだけ(生徒はエレベーター使用禁止。運動のため)。鍵が開いたばかりの教室に1番乗り。
08:30〜09:50朝テスト。授業の復習のと、クラス分け判定の2種類ある。追試など受けたこともない。
授業を終えて自習室(居眠り、私語など決して出来ないところ)へ行くか、そのまま帰るか。帰りは1時間以内。オーバーは反省書だし、自分の損。もちろん帰りの電車も何かは開く。
帰って30分整理に使う。掃除洗濯があるときはもっとかかるが、終わればすぐに勉強。フロは20分以内。
18:00夕食。遅くとも30分で食う。
18:30勉強再開。
19:00「絶対勉強時間」 このときまで話しとるバカはまだしも、その後30分はバカの声がする。ただし俺の両サイドは医系なのでマジメ。
23:00「絶対勉強時間」終了。はじめて部屋に鍵をかけられる。俺は23:20〜23:50に終える。
23:50やり残しがあろうと何があろうと寝る。12時まで10分だけ日記を書く。両国は決してムリをさせないので6時間は寝させる(医系の連中は起きている時間が超過しているが)。マンガやラジオなど、あったところでそんなヒマはない。
土曜は校内模試。月に1度は旺文社模試。
実にいい生活だ。高校のときからこういう生活をしてみたかった。たいへん充実している。ここに来て良かったと思う。
解説
高校の同級生、けんしろ氏(仮名)へ出した手紙である。かなり大仰に書いているが、それだけ彼からの手紙がうれしく、そして興奮していたのだろう。
東京の電車について、換気されていない安物の化粧品と紳士用香水臭い空気で息が詰まりそうだ、と表した文章は、英語のテキストに載っていた文章の書き写しである。確か電話ボックスが嫌い(文章全体としては電話自体が嫌い)という話だったはず。すでに現役で国立大学に合格して、大学生として切磋琢磨しているであろうけんしろ氏なら、大学で英語に慣れ親しんで自在になっているだろうと思い描き、自分もその域に近づきつつあると示したかったのだろう。
後に「高校時代1秒も勉強しなかった」と私はよく喧伝したが、実際には勉強らしきことをしようと試みたことはあった。だが、高校1年のうちに勉強を放棄してしまい、一度取り残されたら授業にはついて行けず、焦ってどうにかしようとしても基礎が出来ていないのに応用に手をして結局何もわからないし身につかないという有様で、実質何もやっていないようなものだった。それにも関わらず、上でも謙虚に認めているようにプライドを保つため勉強をしっかりやって偏差値もそこそこ出しているかのように振る舞っていた。自分がサボっていると殊更に喧伝することによって、仲間に「俺もサボって大丈夫だ」という安心感を与えないという意図も多少なりともあったのだろう(しかしそれでも、上のA氏には「お前のせいで俺は勉強できなかった」と卒業寸前になって詰め寄られたが)。勉強を怠ったのは自分の責任であり、かつ、当時としては勉強より優先するべきことがあつたと確信していたのだから、別に何の後悔もないのだけれど、しかし「ゼロからやりなおす」「基礎を徹底的に固めていく」のは次々と進度が進む高校生のうちには難しいことではあった。だから仕切り直しのチャンスが欲しかったし、その点、両国は勉強しやすかった。
東京大学云々は、ちょっと意気込みとして書いたみただけだけれども、結局本気でそこを目指した勉強したこともないし、受けようともしなかった。私学3科目コースの勉強で受けられるルートは乏しく、あったとしてもベラボウに競争率が高かったはずだし、漢文は受講さえしていなかった。結局国公立大学は信州大学などはA判定をとり、多少は意識していたが、国公立は1校も受けることはなかった。
高校時代の他の友人達の話については、おそらくけんしろ氏からの手紙で知った情報に対する感想なのでしょう。A氏とC氏とは札幌で浪人し、こともあろうか仲良し同士で同じ学生会館の隣室に住んで(しかも後に同じ仲間がさらに1人わざわざ引っ越してきた)、ゲームなどやっていたという。B氏はすでに進学していたが、私へのB氏からの手紙にA氏もアニメイラストなどを描く寄せ書きをくれたりした。これはとてもありがたいことのはずなのに、A氏が勉強をしないで遊びほうけている(であろうこと)が気になっていた。A氏は高校時代には敬意さえ覚えるぐらい知識が豊富で考察も深い人物だったので、彼については彼が願っていたように名門大学文学部にいってその方面で活躍して欲しいとの思いが強かった。だから遊んでいるというのが残念だった。もちろん私自身が高校時代に遊び呆けていたトンマであるし、それが勉強をしはじめて3ヶ月ちょっとで人の行状を裁くなどおこがましいにも程があることだが。D氏は現役で国立大学に進んだ、在学中はどちらかというと模範的な優等生に近い人物だったのだが、大学ではかなり変わってしまったという話である。ただ我が身を顧みたら(浪人中には与り知らぬことだが)、学部時代はほんとうに学業も素行も何もかもどうしようもなかったので、人をとやかく言える話ではない。ちなみに、A氏もD氏も大学を出て堅い仕事について立派になっている。
1日のスケジュールについては、自分はこんな風変わりな生活をしていると紹介しているだけで両国を出て月日が経った今となっては当時を伺い知る貴重な一次資料なのだが、しかしあくまで理想通りにうまくいった日のことでしかない気はする。日記に時間をかけている日は10分どころではないし、ラジオは聞かなかったがマンガは隠し持っていた。しかしこれぐらいムダを排除して勉強しようという意気込みでは生活していた。談笑に夢中になって時間を過ごす人々のことを「バカ」と蔑んでいるのは聞き苦しいが、とりあえず、近隣住民がマジメな人々なのは本当によかった。