立ち膝で机に向かう
1996年07月11日(木)
いつぞやナイフなくしたと思ったが、その日の夜、かけ布団カバーから発見。朝の着替えでなくしたか。
今日は復習おわらんかった。でも、ボケてる時間も何分かずつだがあるし、なんか、いまいち集中してない気がする。Fight!
各種テスト、復習していねーや。何のためのテストか。ムリにでも復習させるためのテスト、でもそれは半分。
机の前の畳に『蛍雪時代』を置いて、それに膝を立てると、ちょうどよく机に向かえる。(イラスト。畳の上に本を置いて、その上に膝をおいてひざまずいて机に向かっている) 膝がつらいので目が覚める。今では立っているだけでは半分寝ぼけているし、読む作業しかできなかった。でも、これはいい。寮監さん来た時もそうしていた。来年、いや今年のミーティングでも「こうしている人もいる」と言われるか。
もっと時間を効率的に使いたいな。
冬物のコートはトレンチコートがいいな。その下にトンプソンでも隠していそうに。でも太い人がやると、何でもしまらないんだよ、服って。まあ、大丈夫だ。
藤田氏帰還。台風のため遅れた。皆、ただの帰省のように声をかける。「おお!サーファー、お帰り」「久しぶりに俺の前に顔がある」と。普段とかわらず、何気ないことを話し、笑う。別にムリとも感じない。それはそれ、これはこれ、というやつだろう。大人だな。
この日のカネの動き
コインロッカー -300
財布残高 3,124円
解説
両国はとにかく毎日テストをして、強制的に復習をさせる仕組みがあった。テキストの復習としてのテストはもちろん、テストの復習のテストも。勉強はとにかく反復につきる。方法論を確立していない人間はとにかく新しいことばかり次々とやりたがるので、復習の徹底反復を強いるのはある程度有効だったろう。しかし復習について「それは半分」と記しているが、残り半分はどういう意味なのだろう。
戦間期のマフィアみたいな感じでトレンチコートを着たいという稚気を発露しているが、「太い人がやると、何でもしまらない」として、当時は自分が太っているという自意識があったことが窺える。両国では、規則正しい生活をし、徒歩で鉄道駅まで歩き、エレベーターの使用を禁じられて階段も歩き、そんな規則とは無関係の駅などでもエレベーターやエスカレーターを忌避し、そして自分の小遣いから食い物に使うことを忌避する吝嗇ぶりから間食もしなくなり、両国を終えたときには10kgはやせていた。こうしたところでも両国の経験は自信となったはずである。
お父さんを亡くして急遽帰省していた藤田氏の寮への帰還に対しては、みな、気を遣っていると思わせないように気を遣っていた。もしかすると本当に気を遣っていなかったのかもしれないが、いつも通りに振る舞い、接していることに感じ入った。