燃えてやろう
1996年07月12日(金)


 自習室は眠い。眠りはしないし、できないが、ボケている。勉強にならん。貴重な英単語テスト1回を放棄して帰る。あそこでいつまでもボケててもラチがあかんもの。電車の中の方がよほど集中できた。

 窓から外を見ると、日が暮れかけていた。その太陽の色、まさに「落日」というやつだ。爆発寸前の老星というか、衰星というか、いかにも「落日」であった(「老星」は、地学的には「爆発寸前」ということになるのだろうけれど、そんな力があるような感じではなく)。釧路湿原の夕日にここいらの人間が感動するのは、ここいらに自然が少ないからさ。別にどちらがいいというわけではない。俺にとっては雄大には違いないが、なんとも思わん釧路の夕日よりも、この東国の密集した住宅をテラス落日の方が感慨深かった。

 英語よりも古典の方が不安だ。授業にせよ、テストにせよ、十分に読めん。最近●(判別不能)にも出ている。単語力のなさか?文章読解力か?両方だろう。しかし当時の人々の考え方、書き方を忘れてしまっているような……。とにかく毎日1文は読んでみろ。

 めずらしく時間余った。そんなことあるわけはない。やろうと思えば何でもある。とりあえず優先すべき英単語をやった。

 関西大のパンフレット見ながら思った。法学でも経済学でも燃えてやろう、と。面白そうな感じもしてきたし、それよりも立派な社会人としての技をきわめてやろう、という気になってきた。サークルも燃えてやろう。なんか万事気合が入ってきた。でも射撃部は入らんよ。.22LRのスモールボアでしょ。それ、俺の趣味じゃない。やれば楽しいのかもしれないけれどさ。スキートやトラップは.22LR、いや、ライフルよりも設備が面倒だからな。散弾銃持っている漫研部員とか、そういう特異なものになってやろう。幸い、浪人として1年稼いだ。鉄砲の所持許可も1年早まったのだ(大学においては)。

 贅沢はできんけれど、同窓会に行けないような仕事だけは嫌だ。釧路にいるのなら、たいていのことでは行けるのだがね。


この日のカネの動き

銀行 +4,000
切手 -270
判別不能「かわや?」 -600
水 -200

財布残高 6,054円


解説
 勉強は眠気との戦いだ。学部を卒業して職場で自動的にコーヒーが出されるようになるまでカフェインというものを忌避していたこともあり、ましてや他の寮生のようにカフェイン錠剤をとることもしなかったので、自室では立ったり膝をついたり工夫をしたり、そういう工夫のできない自習室よりは電車の方が集中出来たりと、拘束される中でも自分なりの工夫をした方がよいことが見て取れる。

 ここでいう英単語テストとは、毎朝課されるテストではなくて、放課後に自主的に受けるもの。配布の英単語帳の意味を覚えて、それを試すというものである。試験問題は単語帳の英単語のみ示されて、その意味を日本語で書くだけの簡単なもので、賢しい人間からは「文脈を無視した一問一答の役に立たない勉強法」と言われる類のやつだ。しかし驚くほど基礎力がない人間には、文脈以前に一定数の英単語を機械的に注入する必要がある。まったく語彙力が欠如していると、文脈どころか文字列を文として認識できない。類推もできない。だから、機械的にまとまった数の単語をひたすら覚えさせるのは効率的な仕掛けだった。もちろん丸暗記はすぐに忘れるのだが、それでも一度でも覚えたものはまた文章で出くわしたときに「一度覚えたものだ」ということには気づき、その単語の復習をすることにつながり、同時に一度訳読した文章を多読することをも繰り返していくうちに定着していく。

 ただ単に日が落ちているだけの夕方の光景に心動かされたり、はじめて実家を離れて異郷に暮らし始めて3か月半、まだまだ何もかも新鮮だったようだ。こういう感受性こそまぶしい。

 未来に向けての意気込みはもっとまぶしい。大学で何をしたい、何をできるという意気込み、そして立派な社会人になろうという意気込み(大学の延長線上にまったく断絶もなく企業官庁の仕事があると素朴に信じていたのだ)、学部卒業後、瞬く間に失ったものだ。
 
 実銃所持許可は今に至るも取っていないが、在学中に取っていたら面白くなっていたかもしれない。

 しかし当時の良識ある私がいう「同窓会に行けない仕事」ってなにを連想していたのだろうか。


戻る