俺が順調にいっていると言ったら石井氏は叫びおった
1996年07月16日(火)


 すでに12:00を過ぎた。明日は世界史各テだし、あまり睡眠時間を削りたくない。速攻で書く。
 朝、石井・金田両氏と合流。俺が順調にいっていると言ったら石井氏は叫びおった。でも、ひどく落ち込んでいてカラ元気という。彼は俺なんぞよりはるかに勉強しているらしいが、結果に現れず焦っているようだ。やり方がわるいのか、薬や寝不足で無理がきているのか。ただやってから伸びるまでの空白を耐えられないのかわからんが。

 銀行でカネおろす。メガネ屋(というよりサングラス屋)へ。メガネの上からかけるやつを。するとクリップで挟むようなもの。う〜む、合わない。スポーツ用の上からかけるやつと思って、トライアスロンで使っていそうなのをメガネの上からかけようとするが、ハマらず。アホみたい。
 釧路帰ってから金縁のに組み込もう(もちろん着脱式)。でも上からかけられるやつがあっても、そんなデカいものはかけられない。

 英単。5級を1日で。堀部氏が1週で1級やっているというが、出来ないことはない。でも、そんなヒマないんだよなあ。英文全訳&復習の書き直ししているのはそうそういないだろうな。
 580語書いた。うむ。1週300語×2で何とかなるか?少なくとも3級は終わらせる。

 テストで書き込み、採点しているとき。間に合わない。延長届してねーぞ、と思ってたが、17時前に終わる。風呂に間に合うよう実家には電話せず。


 寮で岩淵氏と会う(すれちがう)。水を買ってきたことについて。冷蔵庫が俺の部屋にはないというと、「一気飲み?」と。1日1本ということにしておく。クーラーつけてないからな。でも1本飲んじまうときもあるけれど、1日0.5本かそれ以下だな。しかし水は安い。ジュースの1/10。それよりも東京は水が足らんらしい。

 風呂で山田氏と。英語の先生のこと、古文Hクラス⇒Wクラスのこと。古文はやらんと落ちる。英単580、帰りの電車と休み時間と寝る10分20分前くらいしかやってない、というと、集中力が違う、と。いや、ちょっとしたコツだよ。スピード優先。1級ぶっ通し、3段階遵守(この方が簡単)。社会は2日(テスト前)しかやっていない。やっとるヒマがあったら英語やっとる方が。でも50そこそこまで落ちとるからな。まあ英古できんと元も子もない。

 夕食、茨城で突風のニュース。字幕が出た。高山氏「なんで字幕入れるのよ。失礼だな。茨城なめて」と(茨城訛りで)。松下氏「高山、仕方がねって」と。
 寮に(夏休みに)残りたいという人いて、よかったねー、と寮母さん。

 ミーティング。6日泊まる人(夏休み1日だけいるということ)を聞く。けっこう多い。半分近くか?東京見物して帰るんだろう、と寮監さん。高山氏「勉強してー」「帰りたくねー」と。
質問多し。本田氏、20日風呂は沸かすか、と。答えは沸かす。誰だかが寮への宅急便はいつからいいか、と。20日から。江川氏「荷物は正確に何日何時ごろに(家に)送ったらいいですか?」と。そんなのまちまちだろう。高山氏「Tシャツないんで見つかったら持ってきてね」と。寮監さん、取りに来ないものはみんな捨てとる、と。

 まあこんなものか。
 ミーティングの最初、俺はエヴァのバンダナ。西内氏「晴ちゃん」と呼び、イカスぜと合図。石井氏にも。笑みを浮かべてうなずく。
 山田氏。ねじり鉢巻きのようなバンドを。髪が割れている。堀部氏(西内氏の向かい。コーヒーがわりにカフェイン剤を飲んで目がいっている)は頭全体に広くバンド。異民族だ。

志望校調査
法政 社 社
中央 文 社
法政 文 地理
法政 法 政
法政 経済 経済
と。法政の山じゃ。

来年、北教大受けて、面接で遊んでくるかな(カネもったいねー)。落ちるのは確実か。まあ行かんけど。
12:30!今すぐ寝ろ!


この日のカネの動き

ドリンク アイスコーヒー -110
銀行 +9,900
名札 -80
水 -200

財布残高 9,802


解説
 浪人生活も3か月半も経つと、成果が出る者、出ない者とに分かれてくる。私はもともとの学力が低すぎたので、やればやるだけ伸びた。しかしもともとそれなりだった人間はさらに伸ばすのは容易いことではなかったのかもしれない(高山氏がどのぐらいのものだったのかはわからないが)。高山氏は、睡眠を削り、「おかしくなった」と言われるほどカフェイン剤を摂取するなど無理をしていた。それほど努力して思うような成果につながらなかったとしたら、それは焦燥感を募らせることだろう。ただ、睡眠時間削減とカフェイン剤依存は逆効果だった気が強くする。

 英単語をやる時間の捻出に苦労している様が見える。私は電車と休み時間と決まった時間に決まった形でやるスタイルを確立したので、コンスタントに進めることができた。語学の勉強を生活に組み込み少しでも進めていくのは、今なお有効な方法だとして励行している。また、集中力ではなくコツだと述べているとおり、方法論を確立してそれを続け、そしてやりながら適度な負荷を脳にかけるよう改善を重ねていくことが大切だ。しかし改善するにも安定して走るにも、まずは走り出し、走り続けることが必要なので、やはり集中力も必要かもしれない。

 水に関しては、田舎者らしく、飲みなれない上に評判のよくない東京の生水(ましてや古い建物で配管がよくない)は避けて、ペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいた。当時のペットボトルは1.5〜2リットルの大きなものばかりだった(ちょうど500mlのものが出るかどうかだろうか)。しかし奢侈品の冷蔵庫を私は必要とせず(インチキな口実で親からカネを無心するぐらいは平然とする私だが、間食をせず、3食支給される寮では本気で要らないと思っていたのだ)、水はペットボトルに口をつけて飲み、そのまま机の横に常温で置いていた。その日1日で飲み切るのならともかく、2日ぐらいは平気で飲んでいた。今考えると不衛生で、腹をこわすリスクの高い行為といえる。

 夏休みには寮は閉鎖されるが、帰省の便利などを考えて、1日延長して滞在できた。当然、電車でそのまま帰れる近場の人はすぐに実家に戻り、朝から移動をし始めないとならない遠方の人ほど残ったのだと思う。高山氏が失くしたTシャツについて見つけたら持ってきてと呼びかけているが、寮監は届けられた遺失物について、申し出がないと廃棄処分するとはこれはすごい。今になって読み返すと細かい規則よりもびっくりする。

 『新世紀エヴァンゲリオン』のバンダナを鉢巻きにして、しかもろくに床屋にも行ってないとか、本当に絵に描いたようなむき苦しい浪人生である。しかしなぜか頭に巻物をするのが流行っていたようだ。床屋にいくのを横着して髪が伸びていたということか。

 志望校、やはり当時は法政大学にどうしても入りたかったようだ。当時は社会学部志望だったが、法政大学ならば学部は特に問わず、大学案内を読んで、どの学問にも面白そうだと素直に関心を抱いていた。将来入学する中央大学も候補にかろうじて入っているが、やはり社会学、文学部社会学科だった。

 支出に「名札」とある。これは予備校近くの雑貨屋で売られていたもので両国生の間ではわりと需要のある品だった。両国生(教職員も含めて)は予備校及びその近辺では、名札を必ず身につけることを決められていた。規則では「外出時」だったかもしれない。予備校内だけでなく近隣でのトラブルを防止し、襟を正すために、予備校周辺でも名札をつけていないと取り締まられた。しかし持ち物は忘れるもの。そういうときのために両国が配布していた名札とまったく同一(のように見える)名札が近所の雑貨屋で売られているとあれば、売れるのも道理であった。私は、職員がフルネームを筆書きした名札の紙をコピーして適切な大きさに切り、買った名札に仕込んでカバンにひとつ忍ばせていた。幸い世話になったことはなかった(はずだ)が、こういう冗長性は安心材料になる。

 なお、アイスコーヒーとあるのは見過ごしていたが、これは珍しい買い物である。当時の私はカフェインを採る習慣がなかった。何かの気の迷いでつい飲んでしまったがため、この日は午前2時頃まで寝付けなかったという。


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