錦糸町・アニメイト・皮膚科
1996年07月19日(金)
TJ病院は14時から。30分だけ自習も何だし、錦糸町へ。あんまり変わらんのォ。エヴァの設定IIIも風呂セットもないし、なかなかに涼やかな表紙の同人とフィルム8を買う。それと『サムスピ』と『KOF'95』のノートも。前の人がアニメイトカード使うとき、身分証明書を見せていた。もしや俺は、両国のを見せることに……?前の人のIDはどこのだろう?錦糸町の専門学校か?
はじめて錦糸町に来たときに迷い込んだ本屋にも行ってみる。もう、4台あるゲームマシンも聞いたことのない曲を発していた。変わっているな、確実に。
TJ病院。午後の受付までまだ時間があるが戻る。これが自由な時間というやつか?解放感もないわけじゃなかったが、自分でそんなにいい思いをしたら、後でつらくなるのではと思った。高校の友人・■■君の「人間は自由な時間がないと云々」というのも一理ある。しかし自分のための自分の勉強だもの。大丈夫さ。楽しいくらいさ。なまじ、そんな楽をすると切り替えが面倒だ。
両国駅で便所へ。100円で紙を買う。こんな、20年前のちり紙みたいなものを使うのか。カバンをフックに引っかけ、上着をまくって和式で……。たぶん、この日一日において、最低の時間だったと思う。面倒なんだよ。拭くのも大変だ。出たとき、汗が目に流れ込み、しみるほど汗をかいていた。
TJ病院も、今日は皮膚科やっていた。のど乾いて仕方がない。1Fでドリンクを……。ホットが。ホットを買っちまった。別にぬるかろうとあつかろうと構わないのだが、熱すぎる。舌をヤケドする。一瞬で飲み干したかったのに、いつ診察に呼ばれるかわからんので、熱いウーロン茶は廃棄。新しいコールドの緑茶を買う。なかなか渋い味。ヨーロッパに緑茶を出品したら砂糖をいれられたというのもわかる。でも、いちおううるおった。
皮膚科へ。時計はしない方がいい。Gパンの紫の生地が一番よくない(Gパン着てた)とのこと。もっともですが、俺はこれから何を着れば?時計はポケットにしまって帰るが、なんか軽く、不安だ。左腕が。
この日のカネの動き
のみもの 麦茶 -90
交通 両国⇔錦糸町 -120x2
紙 WCちりかみ -100
茶 ホットウーロン -100
茶 緑茶 -100
医者 -530
くすり -820
財布残高 7,230
解説
「フィルム8」とはたぶん『新世紀エヴァンゲリオン フィルムブック』の8巻のこと。『エヴァンゲリオン』は 入寮前に発売された4話までしか観ていないので、初めて観る喜びを大切に温存するべく、巷間にあふれていたアニメ雑誌や各種グッズは慎重に核心となりそうな情報が含まれていそうなものは見ないようにしていた。しかし物品は確保しておきたいので、危険を冒して予備校時代にも目に入ったものは買い集めては安全圏の実家に送りつけていた。フィルムブックはまさに核心的情報に満ちているので見るわけにはいかず、しかしただでさえ娯楽に飢えている上に、激しく焦がれた『エヴァンゲリオン』の断片がそこにあり、開かないようにするのになかなか苦心したものだった。
どうも世の中には勉強を絶対悪であるかのように扱う風潮があるように感じていたが、しかし私は基本的に勉強をするのは楽しく、両国ではこれまでサボっていた分を急にたたき込まれたので知らなかったことを知り、出来なかったことが出来るようになっていったことが悦びだった。また、生活も余計なことをする必要がなく、規律と規則に適応すること自体がどこか心地よい面もあり、快適だった。だが友人の■■君には、高校末期に両国行を告げたところ、「人間は自由な時間がないと云々」と猛烈に反対されたものだった。この言動について私は、たかが予備校でどうにかなると私を侮っているのかと憤り、また、日頃から勉強を罪悪であるかのように称する口ぶりも気に入らなかったこともあり、このコトバはかなりひっかかっていた。このコトバに代表されるような侮り(そんなものが本当に他者の心のあったのかどうかは不明だが)への反発が当時の私の原動力となっていたのは確かだ。だが、思いがけず病院に行くというちょっとしたイレギュラーな事態に際してちょっとばかり長めに自由時間を満喫したところ、急に自由時間があるとこれまで通りの生活に戻るのがつらくなるのではと危惧したのであった。危惧しただけでどうということはなかったが。
両国駅の便所で用便をしたことを最悪の時間と称しているが、私は和式便所になじみが薄い上、当時の駅の便所はおそらくなかなか古く汚く、服を汚さないようやや不自然な姿勢できばったのかもしれない。そして自販機の紙は質が悪い。そして気温は間違いなく暑い。だから汗だくになっている。その上、間違いなくくさかったのだろう。馴れない条件での用便というのも疲れるものである。この15年以上を経た後に途上国に住んだり旅したりしたときの教訓としては、どんなに汚くても設備が破損欠損していても、用便できるときに用便できるところで用便しなければならないのは鉄則だということである。当時は当時でそのぐらいの覚悟で普段使わない駅の便所に駆け込んだのだろう。
私は高校時代までGパンばかり履いていたが、予備校時代に急にGパンを忌避するようになって今にいるまでGパンを履いたことがほとんどまったくない。それはちょっとかっこいい両国生の服装を参考にした面が強い。が、もしかしたら皮膚科でGパンが皮膚に悪いと言われたこともGパンを止める理由としてあったのかもしれない。