ストップウォッチで計測しつつ池袋を闊歩する
1996年07月21日(日)


 35才まではどこへでも行ってやろう。何でもやりまくってやろう。でも35からはひとつの土地に腰を据えつけ、猫と共に暮らしたい。教員は主に数年おきに異動だ。家など持てまい。これはゆゆしきこしだ。異動のない私立高校?それもよかろうがどうかな。

 池袋へ。新宿書店に入らず。くだんの同人誌シリーズの新刊は入らず。
 布井氏とあった。白山駅まで。「今日は武装している」としてマグライトを見せる。まだある、と言いつつ見せず。
 アニメイトへ。やはり新しいものは目につかない。ジグソーパズルか。なかなかいいぞ。綾波のやつ多し。「綾波レイ」とのやつ。ありゃすごいわ。「時に西暦2015年」まで入ってて主役みたい。しかし気になる1コマがあった。ハダカのやつだが、あの状況は……?一瞬のシーンをぶった切って入れてあるだけでそんなに意味はないのではなかろうか。しかし「レイとアスカ」はすさまじい。名台詞みたいなものがところ狭しと入っているのはいかすけれども、カラミみたいで……。「絆」は発光するらしい。零号機とレイだが一番印象的だった。赤の色の微妙な使い分け、たまらん(芸術の説明は難しい。考えていないだけだが。しかもそんなに凝視していない)。2ndアルバムに使われたのは「願い」だそうだ。2つぐらい買ってきて来年壁にかけたいけれど、作られるか?できる。母の作った超大作に比べれば500ピースや1,000ピースはかるいものだ(言ったな)。

 時間をストップウォッチで配り、まさに分単位で行動する。5分は思いの外長い。

 あと数日と十日か。8/6はとっとと出て、荷物を駅のロッカーにでも入れて、アニメイトへ。池袋かな。新橋は空港に近いけれど、行ったことがないので不安。アニメイト池袋は10:00オープン。13:00の飛行機に十分間に合うな。それはともかく、10時まで何をする?8:00には出ないといかん。ゲーセンはやってないだろうし、合格までゲームはやらん。サンシャイン公園で単語でも開くか。しかし単語は終わらんなあ。今日中に4級一通りやって自習室でもつぶしをやって、とっとと進みたいが、そうもいくまい。2週間ある。1級ずつつぶせば大丈夫。しっかり確実にな。

 俺は今月いくらおろし、いくら使ったのだろう。絶対、預金どころか定期代まで侵食しているのでは?残金3,000強。医者代+2,000して、水で-1,000。4,000円繰り越せば定期代までいかずに済む。8月にはカネの補給ができるだろうか。

 思うのだが、万年筆もどきの方が書きごこちよいぞ。ボールペンはインクの出が一様ではない。
 (筆跡がかわる)こう、これだ。この書き味こそ、万年筆。でもインクないし、にじむし、裏にしみるからダメだな。
 (筆跡がボールペンに戻る)今日は綾波の「絆」を見て、腹の奥がクリーニングされた心地だった。別に勉強の妨げになる享楽ではなかった。だが、その浄化感をさらに求めようと、アニメイト広報などを広げたりしたけれども。

 朝はよくやったよ、立ち膝をしょっぱなから。あと立ったりしゃがんだり、足の裏と膝以外を床につけてはいけない。寝てしまう。実に心地よかったよ、朝の勉強も。寝るのは、どんなに眠かろうが、心に屈した者ができる。

 まだ50分ある。単語4級、もう1周できるかな。この分だと火曜にでも、4級おわるな。

 しかし俺はホントに幸せだよ。この寮の仲間も(ハラ立つこともあるけれど)気のいい奴らだし、本当に楽しめるよ、寮生活は。同じ仲間の意識ってやつかな。俺はあまり話さないし、友人もここにはほとんどいない。でも、皆仲間だ。本当に全身でそう思う。そう感じる。三浦氏だけは何か、別の感情(言うまでもないが、怒り、わずらわしさ)が邪魔をしてよくわからない。もしかしたら、俺も彼を仲間と認めていないのかもしれない。
 中学校の学祭の準備中、先生と仲間数人とで歩いていたとき、全身で感動していた。中学生らしい集団だ、と。それと先生との行動に。中学生としての、組織の一員としての意識なんだろうね。やはり仲間、連帯意識に入るのだろうか。人から見て「いかにもそれらしい集団だ」と思われるであろう集団であると認識することに、身を震わせて感動していた。きっとそうなんだろう。


この日のカネの動き

交通 白山→巣鴨→池袋 -170 -120 = -290
アニメイト 綾波テレカ -1,000
交通 池袋→巣鴨→白山 -290
水 -200

財布残高 2,489


解説
 35歳は18歳当時からみて17年後、およそこれまでの半生と同じだけ未来なので、非常に遠い未来のように感じていたことだろう。どこでも行く、なんでもする、そしてその前提として自分はそれらの艱難辛苦に乗り越えその成果を得る、若者らしい意気込みと成功への確認を見せているが、やはり一場所に腰を据え付けたいというのは田舎や郷里が好きなのではなく、猫を飼うのには落ち着く必要があるとの発想であった。この両国日記の書き起こしは思い出したようにして行ったいるので、7月21日の日付を書き起こしているのは35才をさらに押し越した年齢になってからなのだが、結果として猫は30代半ばから飼い始めた。その点では目論見通りである。しかし一場所には落ち着いていない。猫を連れて引っ越したり、ほかに手段がなくて実家に猫を預けたりしてきた。猫を飼うには、一場所に落ち着くのが理想であるが、なかなかそうはいかなかった。

 なお、教師にはならなかったしなろうともしなかったが、もし本当に教職課程を履修して教員採用試験を受けて採用されていたら(私が卒業した頃の倍率は高く、念入りに準備しても困難だったと思うが)、定期的な異動+官舎暮らしでやはり猫は飼えなかったかもしれない。難しいものである。

 日曜日などの外出時には、腕時計のストップウォッチ機能を使って分刻みで行動を制御して、短い時間の中でシャバの空気、シャバの文物に触れて喜びとしていた。そのときにほんの一瞬目に留まった、序盤しか観ていない『エヴァ』のグッズには、かなり心動かされたようだ。貞本義之画の綾波レイのパズルは、後に購入して実際に組んだものだった。刺激と変化とが少ない生活においては、いかに日々の営みに悦びを覚えていようと、外部の新しい刺激にはかなわなかった。それでもよくその悦びにうつつを抜かしすぎずになんとか勉強する生活、リズムは維持したものである。
 そして帰省の日の行動計画を立てているが、インターネット接続で乗り換え時間を知るようなことも出来ない時代(例えサービスがあってもPCや携帯電話は禁忌の生活)で、雑に移動を考えているが、余裕というものがない、何かを見るにしても滞在時間がろくにない計画にように思える。しかし当時はそれでも十分非日常だったのだろう。

 私は当時も今も愛想はよくなく、社交的でもなく、口数も少なく、ましてや新しい環境に入ってすぐに他者と打ち解ける特殊技能も持ち合わせていないが、しかしこの寮における生活と寮の面々とは愛していた。それが見て取れる。そして中学校で、親友というわけでもない同じ学祭準備で居残った面子と先生とが帰りがけに一緒に歩くだけで感動したという記憶は、他者から見るといかにも中学生らしい営みをしている集団であると他者から認識されるであろうと思い描くことがよかった。組織の一員、というか、群、tribeの一員であることに原始的な悦びを見出していたのだと思う。これはのちに学部時代においても濃密な人間関係の武道部に入りそこの居心地のよさに浸っていたことからも、構成員の一員になることに悦びを覚える性向はうかがえる。


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