きっとだよ、と念を押された
1996年07月22日(月)


 日曜に予習を気合いれて詰めたおかげで、今日の朝30分も時間があまった。もう1通り2通りやればいいのだが、寝た。各テはじめ……脳が疲れてしまっている?オリジナル問題を解けない。現文が読めない。しかし起きていたとしても読解できただろうか。

 布井氏に「今日は武装は?」と問われる。スイスアーミーを取り出し、無難な缶切りを見せる。今度見せて、と。別にかまわん。きっとだよ、と念を押された。そんなに興味あるのか。それはいいけれど、彼と俺との接点は結構少ない。「きっと」と言われても、いい時間に彼からきてくれないとどうにもならない。まあ持ち歩いていれば、見せる機会もあるだろう。

 あと何日か?15日!なんとも早いもので。しかしここで急に夏休みがなくなっても、別にどうもしないぜ。その程度のことで。目前の希望が消えるとイカれる奴もいるけれども。

 そういえば崎元氏、自宅通学になって1週間と何日目か。学校では見かける。大丈夫かな。勉強、家でできるのかな。

 寮監さんの巡回のとき、教科入れ替えりときだった。机の声に閉じた古文テキストしかねえ。勉強しておりますよ。でも、ちゃんとわかっていたみたい。それにどう思われようと、結果を出せばいいのだ!明日、英単語4級やっちまうぞ!

 Books武蔵野で『レイアース』の資料集を見かけたけれど、あれ、買ってたっけか?でも触れずとも、存在を感じるだけで浄化される気分。

 アニメイトの注文書出したけれど、俺のいるときに来るだろうか?


この日のカネの動き

水 -200

財布残高 2,649


解説
 くどうようだが、防災用であろうと刃渡りが短かろうとスイスアーミーナイフのような刃物を持ち歩くのは、軽犯罪法に触れる。もちろん後年になってからは寸鉄も帯びていない。災害時に缶詰を開けられないリスクより、警察官に見咎められるリスクの方が高いと判断してからだ。だが、当時は柘植久慶本の影響で些細なサバイバルグッズの用意が安心をもたらし、また、刺激の少ない日常において少し変わった持ち物は確かな満足感をもたらした。だからこそ布井氏も興味を示したのだろう。

 崎元氏をはじめとして、東京やその近郊に実家がある人の中には、寮を出て自宅通学に切り替える人々を散見した。しかしやはり実家ではうまく勉強ができないからこそ両国に来たのであり、自宅通学になった人々はやがて学校にも来なくなった。そうした人々が受験の結果どうなったのかは一人としてわからない。

 アニメグッズを見かけて連呼する「浄化」という言葉、本当に外部の刺激が乏しく、かつては浴びるように享受していたアニメの絵を1場面だけ切り抜いただけの些細なグッズを見ただけでも心地よさを感じたのだから、禁欲するほど刺激への感受性が増すのかもしれない。そのあたりも得難い体験だった。

 アニメイトの注文書云々とは、アニメイトに何かの品を予約したということで、自分が東京に、両国の寮にいるうちに品物が入荷するだろうかという心配だろうか。実家あての通信販売ならそんな心配はないはずだから。


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