電話ボックスと火災の話
1996年07月25日(木)


 久しぶりに家に電話する。石川は暑かったとのこと。34℃とか。多分ここより暑いだろうが、今の俺ならば耐えて見せる。兼六園が石川県にあることをはじめて知った(聞いたことぐらいはあるかもしれないが、記憶にないものは知らないのと同じ)。日本人は自国のことを外国の愛好家よりも知らないと言っていたのは誰だっけか?

 そんなことを話していた。そのとき、よしかかっていたガラスの顔の横を叩かれた。目を上げればジジイの域に片足を突っ込んだオヤジが立っておる。長えってか。無礼な野郎だ。とりあえずスンマセンのジェスチャーをして、無礼な奴がいおると電話をする。必要はないのだが、「すいません」と言って出る。すれ違いざま、「なげーなあ」と吐くように言ったきおった。んだとこの野郎。振り返って拳を握りしめる。奴がこちらを見ていることを期待したのだが、すでにあさっての方向をむいて電話をしていた。
 引きずり出して殴りまくってやりたかったが、裏の電話へ歩く。その途中で唾を地面にたたきつけて何かをって殴りたかったが、それらがどれほど見苦しく傍若無人か(さっきの奴と同様に)わかっているので平静を装い歩く。
 まったくあの野郎。俺には俺の用があるんだ。俺の用が重要ではないと何故言える。俺がバンダナをして、だらしなくよしかかって電話をしさらすガキだったからか。それに村一台の電話じゃあるまいて、あたりを見回せばすぐそばに4台は電話が目に入るはずだ。それにしても、いらだたし気に窓をたたくなど、自分の方が重要な用がある、自分の方が正しいと言わんばかり。いや、当然の前提とした横暴、てめえ何様のつもりだ。俺が背広を端正に身にまとい、直立不動でシステム手帳片手に電話をかけていたら、やらなかっただろう。たぶん、そこいらで携帯で遊んでいるようなガキが公衆電話でくだらねーこと話しているとでも思ったのだろう。
 今から戻って電話から引きずりだして、ヴィクトリノックスの切れ味を試してやりたい(名門のナイフが汚れる)。そんなことよりただ殴って殴って殴りたい。両肩から、いやその細胞のひとつひとつから湯気がわくように疼いていた。でも、もう遅い。やるんなら、あの電話ボックスからの出際に「私には私の用がある。自分の用だけが重要と何故言える」というようなことを丁寧語で簡潔に言ってやりたかった。奴はいきりたっているのに油を注がれ余計怒る。このガキが、とばかりに怒鳴るかもしれない。それでも理性的(な奴はそもそもこんなバカを相手にしないが)に丁寧に反論する。群衆も集まるだろうか。そうしたらもう存分にやってやる。相手がどんな腕っぷし人間であろうと、往来では先に後先考えずにやる気になったやつが致命的な打撃を与えられる。こっからどうする?俺は自分から引けない(ことはない)。奴を倒すのみ。殺そうとケガさせようと大変なことだ。殺しがどれほど心苦しい悪行化は、奴に痛みを投影できない怒りのさなかでさえ、わかっていた。それに両国もクビ。TVに出るか?少なくとも「口論の末、長電話(せいぜい5分だぞ!)を注意され腹を立て」などと書かれる。たとえ正当防衛となる状況(ありえない)に持ち込めても、ここまでやる必要は完全にない。どんなに相手を殴ろうと、破壊しようと、平気な顔をしていようと、すべては俺の問題として解決できない。痛みの投影(これは倫理と呼ぶ)の苦しみ、やはりこのバカの態度の腹だたしさ(絶対忘れられなくなるだろう)……。とんでもねえ。社会的にもおそろしい。家族にも友人にも顔を合わせられない。
 だから、こうやって男として己を殺し、屈辱に耐えてやってきたじゃないか。
 
 別の公衆電話にいって母に話を続けたら、近所の家で放火があったと。そこの家にはバカ息子がいて、高校中退して、結婚してすぐ離婚して、何人もの女と関係して、職を転々とし、そしてカネをせびりに親に元になんとタクシーで(ほかは予想できたがタクシーは予想できなかった)。あそこのオヤジさん、足も目も不自由でカネなどない。すると怒って火をつけさらしやがった。灯油をまいて。
 典型的!身近でこんなことって言っても、どこでも、いつでも事件は起こるといつも言っているのは俺だ。
 こんなサルも悪事を犯すまでは野放しだ。それが国家の治安の限界だ。未然に防ぐ(バカを処理する)ことはできないものか。できねーよ。やるまでわからないもの。たまんねーな。しかも襲われてもこっちから殺したら犯罪だし。
 母がドアを開けたら長いマイクが突き出され、ワイドショーが来たという。どうだったとインタビュー。外に出てみたら燃えていた。「火の回りが普通より早いようでしたねー」といったらそのセリフがテレビの冒頭で使われたという。やはり来たかワイドショー。この田舎のクソ事件にまで。ご苦労なことだ。さぞかしセンセーショナルにしていたのだろう。そこのオバさんが、オヤジさんを引きずるも、オバさん自身の服に火がつき、ハダカで逃げてきたという。すさまじい。
 12:15。やばい、今すぐ寝る。あのクソオヤジのことはもう腹が立たないな。その時限りのことか。


この日のカネの動き

水 -200

財布残高 2,449


解説
 他者の横暴な態度に激怒し、自分に非がどの程度あるかないかはともかくとして、その場ではそりあえず穏便に済ませつつも、やはりやるべきだったと腹を立てる、よくある話である。そして、あとでつまらんことを思い返すことはともあれ実際には何もしなかったという点では、これ以上ない適切なふるまいである。私が「長電話」をしていたかどうかは今となってはわからないが、自己申告では「せいぜい5分」、実際問題として昼休み等の隙をみて、時間を測りながら電話をしていたので多分その時間は正しいだろう。近況報告をしてさらに火事の話があったから、くだんの人物に止められなかったら5分は超えて10分ぐらいになったのかもしれないが、しかし果たして電話ボックスの窓を叩くという行為が適切なのか。「見える範囲だけでも4台の公衆電話がある」当時の大都会の環境で数分から10分程度電話をすることが公共物の占拠として度を越しているのかも当時の感覚としてどうかもわからない。どちらにせよ、こちらを侮って横柄に出る人間を相手にしてもいいことは一つもないし、ましてや事を起こして殴り倒しても無様に殴り倒されてもまったくもってろくなことにはならないのも確かだ。しかし18歳という若き日においては、一瞬にして湯沸かし器のように沸騰した。それでも面倒事を恐れて不必要にへりくだって他の場を立ち去りはした。しかしその直後からそうしことを後悔したり、寮に帰って日記に乱暴なことを書きつけたりしているわけだ。怒りに任せて強い感情を日記に書き連ねながらも、直後に相対化する文言を差し入れるなどして、努めて自制しようとしているのも印象的だ。どちらにせよ、まったくもってよくあることだし、どうでもいい1コマである。

 実家の近辺の火事の話は、引っ越し前の古い実家は玄関から門までが遠いのにも関わらず、報道陣は玄関先まで押しかけていたそうだ。また、火事のさなかには多くの人間は火災現場の方を見ていたのに、ひとりだけ実家の方を見つめている人間がいたらしく、母はすぐに家にもどり戸締りをしたという。人々が慌てて戸締りもせずに外に出てくる火事において、短時間盗みに入る火事場泥棒というやつだったのかしれない。もちろん今回の放火犯の燃えた家の息子なので、実家を眺めていた人物とは異なり、もちろん「火事場泥棒をするために火をつけた人間」などこの場面では存在しないのだが、近所で火事が起きたら、まっさきに盗みを連想する人間もいるのかもしれない。。


戻る