模試のデータ、寮での激励
1996年07月26日(金)


 テストのデータ返ってきた。
 校内模試では久しぶりに67までいったぜ、現文が。古文も60台(62.5)か。やったぜ。でも、自分ではあまりいい結果とは思っていない。皆ができていないだけだ。まあ入試もそうだから別にいいけれど。EZ先生も、成績順位表(限りなく下まで続く)を見て、何か思ってくれたかな。
 公開模試も返ってきた。前回の現古68はうまくいったためで、次はいかないと思っていた。その通り、いかなかったが、今回64。そんなにできないな。それより前回56の英語が今回60までいった。60にいくのは高1以来だ。やはり英語は着実に伸びている。本当に、俺は現古世よりも英を信頼している。安定しているもんな。3教科合わせると少数まで同じになる。62.4。法政C(40)。日東駒専はB。大東亜帝国はA。本物だったか、偏差値62.4は。この意気だ。このままのペースでも(つまり62.4のままでも)法政は何回も受ければ入りうる。どうせなら絶対確実を狙え!東京都立も学芸もだ!都立受かったらやっぱり法政蹴るよな。レベルも名も高いし、学費は安いし。社会学も伝統と規模・設備でこそ劣るが第一線のものだ。しかしとんでもない少人数。蹴られねえよ。俺は東京しか受けないので国公立は都立と学芸だ。

 家に電話した(自費)。教職課程をとることを言った。驚きもしなかったけれど(以前言ったっけか?)、ただ、一生涯を教育に、などとは言わなかったけれどもな。

 両国から寮へ先生が来た。先生は青森出身で、やはり訛りがすごい。でも、言われなければ東北とはわからない。北海道・釧路、と。リストに出身地、出身校まで載っているみたいだ。北海道には小学の修学旅行で函館に行ったとの話で、最近の高校はハワイに行くが、自分は奈良だったと。先生、写真を見つける。「自分以外はあらかた良いところに入った」というと、「これ見て、こんちきしょうってやってんだな。その意気だ」とのこと。とにかく1年では入れ、入れるんだ。これ以上ムダにするな、これだけやったら入られる。あなたクラスいいから絶対入る。特Gからでも入るんだから、ということを親しみのある訛り言葉でいう。偏差値、現役のときより15上がりました、というと、現役のときろくに勉強していなかった印だね、と。
 なんだか知らないが、楽しかった。こういう心のある指導なんて両国ならではだろうな。声は2部屋ぶち抜くほどデカく、近所のおやじと話しているような親しみ。なんだかわからんが、激励される。いいところだ。
 部屋入って、クーラーつけてねい熱気に迎えられ、具合悪いの?と。なんという心遣いだろうか。


この日のカネの動き

TEL -200
銀行 +10,000
ボールペン 黒・中性 -90
袋 -250
水 -198
上3行の合計-536 TAX-16 -554

財布残高 11,795


解説
 校内模試はぼんくらが多いのか、それとも自信をつけさせるための高く出る計算規則を使っているのか、偏差値が高く出やすい。小さな予備校内部の校内偏差値にはあまり意味がない。それでも「限りなく下まで続く」成績順位リストのそこそこ上位に自分の名前があることについて、尊敬している先生が気付いてくれているかなどとひそかに思うなど、狭い校内世間について心が動いていることが見て取れる。
 外部の模試である公開模試の偏差値はそれなりに目安になるが、現役生は履修範囲を消化しきっていないこともあり、まだまだ一喜一憂はできない(一喜一憂するなとは両国の規則で定められてさえいた)。しかしそれでも、中学時代の貯金が通じる高校1年次の最初の模試以来、はじめて英語の偏差値60に到達したのはさすがにうれしかった。また、現代文と古文は得意と言ってもそのときの出題によってムラがあり、世界史も得意分野とそうでない分野でやはりムラがあるようだが、英語力はコンスタントに身に付き、そして安定した結果が出るとして心強く思ってさえいる。積み重ねてきた結果が出ることほどうれしいことはない。
 「法政C(40)」の「40」とはおそらく合格確率40%を意味していると思うが、中ほどのC判定まで来ると「なんどか受けると入られるのでは」という期待も膨らむ。より難易度の易しい日東駒専や大東亜帝国についてはおそらく入られそうな判定が出たことも心強かったことだろう。後年に接する賢しい人々の渡世においては、こうした入試難易度の易しい大学について一喜一憂していたなど言ったらどんな反応を受けるか想像に難くないが、しかし現役のときはそうした大学すべてに玉砕し、模試の結果でも入れなかろうという判定だった。それを考えるとどこかには行けそうという安心感は大きなものだったことだろう。

 寮へ来た「先生」というのは、学生の寮での様子を見て、ひとりひとりと話す生活指導と上記のようなちょっとした対話のために来る役割で、教科を教えている教師なのか、それとも職員なのかはわからない。もちろん、大勢との学生と会うことから、話す文言や対話の入り方などは事前に用意されているパターンなのだろうとは思うけれども、それでも人々に普段話さない人間と話す刺激、自分の話を引き出されて話すひと時、そして激励される言葉は感動を喚起した。こういうところでも、なかなかうまくやっている予備校だった。
 ちなみにクーラーをつけていない蒸し暑い部屋に入って、いきなり具合が悪いのかと聞いてくるのは、やはり私は毎日その状態にいたからそれが普通だと思っていただけで、やはり他の部屋と比べると異様な熱気だったのだろう。それは一声かけたくもなるはずである。


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