隅田川の花火上げの欠片
1996年07月27日(土)


 今日の模試、現文はブロークンなほどの口語文なので簡単だった。だから偏差値はあまりいかないだろう。バカな間違いした。いや、これが実力だけれども。もう1つの文は中島敦の文。漢文とあまりかわらん。いや和漢混交文か。俺、こういう重みのある味わいは好きだよ。でも、読解はできたけれど、問題はなあ。ああ、こっちでバランスとれるわ。
 英語、読めた。おもしろい。問題わかる。書く時間ねえ。
 世界史、やったぞ。わかる。でも書けねえ。

 なぜかPM7:30ミーティング。屋上へと。隅田川の花火上げを見る。地平線(ビルだが)のわずか上に見える。宮村氏など、手すりにのぼり(手すりに向こう側はよその空間というだけで、危険はない)、口を開けて見ている。こんな時間の夜に外に出たのは久しぶり(他には避難訓練があったか)。ぬるいね、風が。なんとも、心地よい。薄い酒のような味わいだ。浴衣を着て歩きたくなる気持ちもわかる。日本人の心というやつか。釧路じゃなかなか日本人の心はわからない。しかし、いい寮監だ。「本当は下で見るのがキレイなんやけど、来年合格してからやな」と寮監。

 夕食のとき、TVで福岡の教師が生徒を殴り殺した事件を。俺も「アホらし」「まったく」と声を上げる。声を出していれば話しかけてくれるものなのか、多少なりとも話をした。ま、たいした字数じゃないけれど。

 いかん、12:15。ねる。


この日のカネの動き

のみもの ラムネ -109

財布残高 11,586


解説
 両国予備校の校歌にもある「隅田川の花火上げ」である。変化の乏しい生活において、こうした季節の催しを断片だけでも見せる心遣いはなかなかにくい。もちろん文京区白山から隅田川の花火は微かにしか見えない。それでも新鮮な体験となった。そもそも夜に外気に触れることさえめったにない生活、ぬるい夏の夜の空気に触れるだけで感動している。「薄い酒のようだ」というのは、当時は未成年で、もちろん田舎のぼんくらだったので仲間内で酒を飲むようなことはあったし、当時は売るのも買うのも飲むのも気安く同年代からも周囲の大人からも特段問題視された記憶もない。しかしそれでも酒の味がわかるわけでなく、ましてやそんなにいろいろ試したわけでもなし、どこからひりだした比喩なのかはよくわからない。「下から見るのがいいので、合格した暁にはきちんと花火を見に行くように」というありがたいお言葉をいただいたが、受かった大学は八王子にあり、隅田川は遠く、そうでなくともこうした人ごみの催事にいく理由はなく、結局今にいたるまで隅田川の花火大会へは行ったことがない。

 まだ18才、高校を出たばかりということで、学校で教師が生徒を殺したという事件には強く反応したようだ。どんなバカバカしい理由で暴力を振るったのかはわからないが、私がテレビに向かって声を上げても不自然ではない程度に他の寮生もテレビに集中したり声を出したりしており、だからこそその後その話をしたりしたのだろう。皆若かった。若いからこそ、直近の12年間を過ごした場のおける権力関係の話題に敏感になる。歳を食ってからは失われた感覚である。


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