クラス上がること
1996年07月31日(水)
朝、世界史をやっとったら、TJ氏に話しかけられた。文化史やった?とか、Jクラスはいいとか、そんなこと。KY先生はJクラスの3倍やる。スピードじゃなくて密度が。うるさいやつはいない。下におりた(Vクラスの先生はそのサルにキレかかっている)とか。思いの外、話したような気がする。
TN氏来て、TJ氏と話していた。そのときO107って知ってる?と。TN氏は知らんので俺にも聞く。いや、ぜんぜんわからん。聞けばそれはO157のようだ……。TN氏、いつものようにO107っていうから新種かと思った、というように。俺にもO157は常識で、すでに話題が古い話だということを確認。なんだ、俺にも話しかけるくるじゃないか。俺は、いつも自習やっているからな。別にいいけれど。
「退学通告」なるものが廊下に貼ってあった。
今日、早く帰って洗濯してから勉強する。ノルマは完全にこなしたが、たまっているのは世界史の授業復習だけ。なかなか消化できないな。休日、休みなしか?
三浦の社長と風呂で一緒になる。判定やらないのすごいねと言われ、「あんなのは時間のムダ」という。クラス上がることよりも授業をこなしたい。クラス下がっても大した変化ではない。下にいけばうるさい?先生の話聞こえていればそれでよい。授業寝て、判定ばかりやるのは、クラス上がっても意味がない。判定、復習すれば役に立つけれど、みんな先に進むことばかり、あまり役にたたない(両国はそれでいいという。俺もわかっている。無味乾燥な暗記も授業やっているうちに生きてくると。でも程度問題だよ)。そして俺は結果に出ている。社長は結果に出ていない。そんなことを話した。彼について相対していても、別に何とも思わん。当人とやはり離れているときにひとりで勝手に腹が立つんだな。
この日のカネの動き
水 -200
財布残高 7,116
解説
高ランク・クラスの授業の密度が高くスピードが速いわけではないということは、教科書を消化するスピードは他のクラスと同じだけれども、言及する情報量が多いということか。低いクラスになると情報量が少なくなる。その上、授業を聞く人間が少なくなり、うるさい人間が現れるとなれば、やはり高いクラスにいないと効率が悪そうではある。もちろん、基本的に知識量がとてつもなく少なかったり、情報処理能力や理解力がやや未発達だったりしたら、やはり的を絞って要点だけ叩きこんで骨格を作っていくのは合理的だ。しかし授業に参加していないばかりか妨害する人間がいるのは困ったものである。それは高いクラスに上がりたくはなる。しかし狭い予備校内の序列にのみ価値を見出し、クラス分け判定テストの勉強のみして授業に参加しないのは本末転倒にすぎる。クラス分け判定テストは予習の側面があるようで、意味もわからず先のことを繰り返し暗記しておけば、授業で理解しやすいというのは合理的である。仕組みとしてはよくできている。が、肝心の授業を利用しないのは意味がない。だから三浦の社長は成果を出せなかったような気もする。
三浦氏は、「両国でなければ他の寮生らに殴られていた」という記述があるほど、人を不愉快にさせる人物で、私も決して快く思っておらず、「83寮生は仲間だ」と一体感を讃えるような日記の記述においてさえ、「三浦にだけはそう思えない」と書いてあった。だが、私の対人感情の特徴として、実際に相対しているときは特段何も思わず、後になってから言動の不快さに腹を立てはじめる。他者そのものではなく他者の記憶に怒るともいう。理解が遅いのか、感受性が鈍いのか、実際に相対しているときには共感や仲間意識が働くプリミティブな仕組みが働くのか、それはよくわからない。
「退学通告」の4文字は読み間違えだったことは翌日にわかる。すでにいない人間に対して「通告」をしても意味がない。