ついに反省書とられちまったか
1996年08月01日(木)


 廊下に貼ってあったものは、「退学処分」だった。いない奴に通告しても仕方がないもんな。

 TJ氏と少し話した。彼は埼玉県人。偏30台で高校の先生に5浪してもムリだ、と言われたらしい。ひでー先生だな。俺はならんぞ。俺は北海道だ、と。さすがに驚いたが。結構北海道人多いな。彼の寮にも2人いるらしい。あと沖縄人もいるというが、うちは熊本だな。
 彼のいとこだか知人がかは北大行って帰ってこないそうだ。札幌は先進的な都市だもの、帰化したい気持ちもよくわかる。俺は釧路。釧路・札幌間はここから名古屋ぐらい離れている(今測った。正距方位図法その他で測った。正確にはわからんが、似たようなものだ)。
 ここに同じ高校のやつがいると言ったらさらに驚いていた。彼の学校は自由で、こんなところには来ないらしい。

 英解。UO先生の講義は文の分解がメインで、俺には少しヒマかな。それでも重要な知識は落とさない。例文出して問うからよい。しかし寝ちまったようだな。
 何か、外からの力で目が覚めた。身体に接触はなかったと思う。まぶたを開けると、開ける過程ですでにお手頃サイズの反省書が目の前にあるのがわかった。ついに反省書とられちまったか。本当に、意識できてなかったよ、この眠りは。なんか、起きたら別世界というような感じだった。「あんりまあ」と無声音で言っちまったよ。ペン持ったままだった。行数は最後に聞いたところから2〜3行。せいぜい2〜3分か。ついてなかったぜ。まあ、仕方がない。俺のように屈辱に思うから、効果があるんだ。

 船橋屋にヴィクトリノックスの革ケースがあった。そのままポケットも勝手が悪いし、胸ポケットだと片方だけずり下がる。2,000円……まあ、必要なものだから。

 家にTEL。KGBにやられた、と。それはいい。手紙読んだ。父も読んだ。父さんはこのように進路で迷うのは選択肢が広がってきた証拠だ、と。本当に■■大学に間違って現役のときに入らなくてよかった。
 近所の伯母さんは、俺がクーラーをつけていないと聞いて、信じられない、と。昔の人が文明化している。猫のレオも毛皮を脱ぎたそうにしている、と。
 あと5日か。

 俺、英米文学科もメインとして受ける。社会学と英米文の2本立て。中大は?英米でいこう。英語とアメリカ文学の専門家になりたい。そして先生になるならやっぱ英語だ!学芸大は名門だが教育学部だ。やはり文学部で磨きたい。
漢文が要るな。夏休み、毎日やろう。『ヤマのヤマ』でも。それでけどもある程度いくはずだ。

 12:13。寝よう。


この日のカネの動き

のみもの 六条麦茶 -90
水 -200

財布残高 6,826円


解説
 「5浪してもムリ」とか、当時の先生はけっこう雑な認識で乱暴なことを言ったりしたものだ。現在ならばそういう人は少なくなっているのではないかと想像する。この頃合いの私は教師になることを漠然と思い描いていたが、やりたい学問と教職という進路の折り合いがつかず(教育学部には行きたくなく)、折衷案として英米文学をやって英語教師になろうと考えるなどしていた。高校時代に英文をまったく読めずasとは何かさえわからなかったぼんくらが、簡単なテキストと言えども何とか読めるようになってきた自信と悦びから、英語をもっとやりたい、そして人に教えたいと思うようになったのだろう。しかし文学部に行くなら漢文が必須である。両国の国語では漢文という授業は常設されておらず、補講のようにわずかに受けるだけだった。その上、その補講を受けるには申し込みが必要で、その方法もよくわからないまま申し込みもせず、結果漢文についてはまったく学習経験がないままだった。もし漢文の授業を受けて自信をつけていたら、文学部にメインに受験をしたかもしれない。夏休みには市販参考書である『ヤマのヤマ』という買っただけで積んでいた代物を読もうかと書いているが、結局やってもいない。自学自習が難しかったのか、実家では勉強できなかったのか。

 東京を中心として正距方位図法はたぶん社会科副教材の地図帳に載っていたので、それに定規をあてたのだろう。だが札幌−釧路間はメルカトル図法の地図に定規を当てたはず。どちらもまあ、だいたい250kmぐらいで、北海道のスケール感を関東人に伝えるには便利なたとえだった。


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