一時帰国の日
1996年08月06日(火)
今日で帰省する。2週間ぐらい前にはカウントダウンしていたが、ここいらになるとどうでもいい。というか、明日の今頃、今日の何時頃には実家にいるんだろうなあ、とはわかってはいても、そんな気がしない。この寮生活がそのまま続くような気がし、その方がいいような気もする。
出寮リミットのAM08:00ギリギリまで勉強し、掃除機をかけて、出る。寮監さん寮母さん、気を付けてね、20日に元気で戻って来てね、と。俺が最後の出寮か。名札を裏返し、出る。何と言えばよいのか?「行ってきます」と言ってみる。なんか、白山の駅までの道中、寂寥感が鼻に目にこみあげてくる。なんか泣けてくるようだ。映画の別れのシーンにひたってそのマネをするかのような。ここちよい感覚だ。
白山の駅の伝言板に、感極まって、「We, the 83th dormmate, shall overcome! 309 釧路人」
と残す。見る者は誰もいない。ただ、俺ひとりの自分自身への演出だ。それでも格好の良い別れに浸って楽しんでいた。
行動力を鈍らせる荷物を持って山手線の電車に乗る頃には、そんな感傷はふっとんでいたのかな?池袋でコインロッカーを探すが見つからず、ようやく東口階段下という最高のところに見つけた。
アニメイトの開店はAM10:00。それまで池袋中央公園(それについては別紙)。
AM10:00開店。何人か、待っている人いた。とりあえず消耗品(使うのか?)のレタリングシールとリリーナのメタルブックマーカーを。エヴァのヴォイステープは見当たらん。「ADAM」は8月中旬に。
まんがの森。コミックバンク(ノートコーナーがなくなっていた!)に立ち寄る。いかす銃の本、いや、役に立つかもしれない銃の本がけっこうあった。釧路にいた頃は、目についたのを買うだけでよかったが……選べ!
ミリタリ屋2号店に行く。11:00開店。もう羽田に行く時間だが、30分までなら間に合うだろう。M16本物の30連マガジン、ガスマスク、対空機銃、レーション……すごい。やはり、何がどうして欲しいのかはっきりさせないと。俺の目的は服。上着になるようなものを。ベトコンパジャマでもいいが、中共人民服!こいつは安いし、いかす。AK47とも合う。特号(180cm以上の人用)と1号、2号のサイズがあるらしい。俺は1号は脇がきついんで2号。ズボンが少しあまりかけているが、これでよし。
スタンプカード……スタンプがSS……。ちょっとこれは……まあマークは模様に過ぎない。
山手線へ。そしてモノレール、間に合うか?PM12:45着。やったぜ、間に合った。ナイフとカメラを預け荷物に入れて、搭乗手続きしてgo!もう飛行機のバスの乗車がはじまっていた。WCへ行ってから乗る。
観光客が多そう。単語やっていたが、やがて寝た。寝た方が早く着く。けど、ホント、帰るって気がしないんだわ。飛行機から出てみると、羽田みたいなガラス張りの通路。変わったな。「おかえりなさい」との看板が!おお、帰ったぞ。ひげ面長髪を見て、母さんは何というか。見つけられるか?母さんがパーマ屋に行ったばかりのような頭をしていて、少し自信がなかったが見つめた。母さんはとっくに俺を見つけていた。「サイパンから帰ってきた人みたい」と。ヒゲか……ふふふ。
自家用車だ。そもそも自動車自体久しぶりだ。広い道路、何も人造物がなく広がる光景、東京に慣れた俺は、帰るとそれ不思議に感じるかもしれんと思ったが、なんてことのない風景だ。釧路人たぜ俺は。もうこっちの人にもどっちまった。83th dormのことも東京もすべて夢のよう。
家も変わらんが、庭には少し驚いた。緑がこんなに。東京は草地もほとんど見られない。
家の中も少しかわったところもあるかもしれんが、昨日、今日もなんてこともないにいたようだ。
何度も送った荷物を整理してたら時間がなくなった。楽をするな!明日はやるぞ!
人民服着た。エヴァの黒いTシャツとはロ位ズボンに上着を羽織るとなかなかいい。Gパンならばヘンだけれど。ズボンもはいたらちょっと怖いな。母さんが上着を着てみると似合った。エリート党員みたいだ。父さんも早く帰ってきたが、話少なし。互いに何話していいかわからん、か。それにつかれているようだ。
ねーちゃんに電話。学芸大のこと聞いても先生の有名な大学ね、とおどろかない。母さん、教職志望を言ったのかな?いや、言っておらんそうだ。まあいいや。姉ちゃんいうには両国以外じゃこうはならんかったと。うーむ、そうかも。東海A、東洋Bといったら蹴ってやれ、と。やったる!
さて寝る。AM12:44。生活を崩すな
この日のカネの動き
交通 白山→巣鴨 -170
交通 巣鴨→池袋 -120
交通 池袋→浜松町 -250
コインロッカー -300
のみもの 玄米茶 -110
銀行 +4,000
アニメイト リリーナ・ブックマーカー -500
アニメイト レイアース・レタリングシール -300
上2行にTAX -24
週刊誌 プレイボート
銀行 +5,000
服 中共人民服 -2,800x1.03=2,884
収入 母より補填 +5,000
財布残高 10,430円
解説
帰省の日をカウントダウンしていたのは、両国の暮らしから逃れたいわけでも、実家が恋してわけでもなく、単に刺激、新しい展開を期待していただけだと思う。それほどまでに両国の生活には適応しきっていた。寮生の多くは前日に帰省し、当日についても自分が回りたい商店の開店時間を考え最後まで寮に居座っていた為、すでに寮生が目にすることもない掲示板に、感極まって一筆書いたほどである。「83th」は「83rd」のような気もするが、そういう書き方もすると辞書で調べて敢えて選んだのか、何も考えずにthをつけたのかはわからない。
「池袋中央公園(それについては別紙)」という記述があるが、「別紙」とは何なのかは日記からはわからなかった。アニメイトの開店まで公園で退屈していた間に、メモ帳にでも何か書き付けていたのかもしれない。
ベルトにヴィクトリノックスをつけているだけでも軽犯罪違反だというのに、恐ろしいことにそれで空港まで行っている。さすがに預け荷物にしているが、当時は預け荷物にいればそれで済んだようだ。もう少し時代が下ると、預け荷物もX線検査をされるようになり、危険物は探知されるようになった。まったく若さゆえの蛮勇というか。当時は治安や安全について巷間がそんなに神経質な風でもなく、職務質問で寸鉄を探す身体検査をされるようなこともよほど不審な風体でもない限りされない時代だったとは思うが、それでも空港はまずい。
両国入りするまで移住という経験がそれまでなく、過去いたところが恋しいわけでも新しい居所に馴染めないわけでもなく、東京では時々、単純に目の前の風景と過去に済んでいた場所の記憶の風景との断絶に戸惑っていた。郷里が夢だったのではないかとさえ思うほどに。しかし郷里に戻ったらその途端に、今度はずっと途切れなく郷里にいたような気になり、東京が夢のような気さえしてきたらしい。移住も長距離移動もめずらしかった若き日の感性というべきか。
それにしても、夏休みまで床屋も行かず、髭もそんなに剃っていなかったのか。非常にむさ苦しい。不審である。もう少し後の時代ならたちまち職務質問されてヴィクトリノックスを咎められていたであろう。