夏休み1日目・床屋
1996年08月07日(水)
床屋へ行った。床屋のにーちゃんに「晴天さん、ロン毛にするの?」と。とんでもねー。「角刈りにしてください」っつってら静止しちゃったよ。角刈りっぽくね。何度もいいんだね?と言って切る。別にやたらと髪が切られているとか思わん。でもなんか涼しいな。ほとんど見えない裸眼で鏡を見る。うっひゃー!すげーぜ!でもイカレてても浪人だからなんでもいい。ボウズにしてもいい。終わって鏡を見ずに帰り、家の玄関の鏡を見る!ひよー!これゃいかすぜ!でも、母さんに見せるのがためらわれる。上着で隠して入る。さて、母さんが見た感想は、やはり、ひょー!だ。いまだかつてない髪形。髪がない、とも。自分で鏡を見る。なかなかいかすぜ。軍人みたいだ。この髪型に組み合わせると銀縁メガネも、マニアっぽいというより、飾らない金属的な、剛健な感じになる。まさに理想の髪形。軍服(人民服)着たら、軍人だぜ。アロハシャツ着て、金時計に金縁に金のネックレスで、チンピラだぜ。
母さんの目が慣れるまで時間かかる。昼食に蕎麦屋の東屋へ。まさか父さんいないよな。
丸三鶴屋へ宿題忘れた代わりになるものを探しに行く。ここは今月で閉店。やはり、釧路も変わっている。友と歩きタクシー拾ったこの通りも、様子を変えるのか。まあ、仕方がない。高校のMB先生が進めていた日栄社の十九・英文解釈を選ぶ。この頭にして勉強の本。このギャップがたまらないぜ。アニメイト行ってもよし。うーん、実にさわやかだ。
しかし文を考えるヒマないとはいえ、下手くそ極まりない。ワープロ日記やけんしろ氏への手紙の方がよほどうまく書けた。
この日のカネの動き
なし
財布残高 10,430円
解説
床屋に行って、上京以来一度も切っていなかった髪を切った。長く伸びている髪を短く切るというだけでも床屋にとっては念入りに確認したいところだろうけれど、「角刈り」などという年齢や営みにまったくそぐわない髪形を要求されると、それは驚き困惑したはずである。しかし新しい髪形は自分としても大層気に入ったらしい。物心ついてから一度もしたことのない極端な短髪にして、それが新鮮だったのだろう。別に軍人でもチンピラでもなくたんなるボンズに近いアタマをしている小僧ではあるが、当時は物珍しかった。正直このあたりは書き起こすのがしんどいぐらい恥ずかしいのだが、風体を気に入るのも自信を持つのもよいことだ。
地場百貨店の丸三鶴屋がこのときはまだ辛うじて営業していた。本を買うならとりあえず行く場所であり、ここでごく狭いミリタリー関連書籍コーナーに入るごく少ない書誌を真っ先に買うことに焦り、ごく狭いがPCソフトのコーナーもあり、文明への窓として通い詰めたものであった。それももう閉店であった。そして友とささやかではあるが充実した日々を送っていた舞台のひとつでもある。高校時代からタクシーを使うなどなかなかカネを使っていたらしい(4人で割れば大した額ではないとは言え。当時なら無理やり5人で乗ったりもしたかもしれない)。
ちなみにこの日の出納の記録はない。つまり床屋代も参考書代も、すべて親が出してくれていたのだろう。所得がなく、仕送り額もごく限られていた予備校生としては、親に依存するしかなく、また、はじめて東京に暮らした年のはじめての帰省だから財布の紐も緩んだのだろう。これで極道ファッションを目指すとか稚気というほかないのだが、当時は一貫してそういうものに憧憬していた。もちろん仕送り額は限られていたといっても、学費寮費はべらぼうに高く、実際小遣いの必要性は低く、さらには大学入学という巨大な出費が待ち受けていたので、まったく大変な話である。