夏休み3日目・『攻殻機動隊』、親戚宅の離れ
1996年08月09日(金)
久しぶりに映画を観た。世界の名作『攻殻機動隊』だ。やはり、いい出来だ。まず83分というのは物足りないような感じもするが、観てみると実によくまとまっている。ムダもムリもない。原作やSFを知らない人には少し難しいかもしれないが、最終的には話はわかる。観ていればわかる。母さんもわかっていた。わかるといっても設定等の解釈のことではない。
今の俺は実銃からとった銃声(「バキューン」という効果音なら興ざめになるが)や銃のメカニズム(目立って間違っていたり、わざとらしい描写があったら気になるが)は気にしなかった。ただ、観た。電脳のことも、わざとらしい説明もそれを示すデモンストレーションもなく、観ていればわかる。最後、草薙が新しい義体で目覚めるシーン、原作とは異なり少女になっていたのは驚いた。人形使いとの子供を連想させる意図もあるのだろうか?しかし「俺の趣味じゃない」は笑った。バトーが腕で弾道をそらすのも本当、わざとらしくなく、無理もなく、本当に素晴らしい。こういう手放しの評価、形容詞だけの評価は本当に陳腐だ。表現力はもっと磨かないと。
いや、すっきりした。『エヴァ』は続き物だから1回観て満足できないと思ったから、『攻殻機動隊』にしたのだが正解だったわい。久しぶりに浄化された。胸の内を洗われた心地だ。しかし『エヴァ』は来年か。今、7巻まで観てもまだ全部ではないからな。全部観た人が本書いて(描いて)いるから気を付けないと。余計な情報が増えてしまうから。気を遣うんだよ。
『エヴァ』のコレクターディスク、今度でるWindows95ゲーム、他のガイナックスのPCソフト……どれも買いたいものだ。貯金で買うか?品切れ絶版になったらコトだ。それともパソコン本体を買うときにまとめてか?そんときはセットでちっとは安くなるだろうか?でも、パソコンや他の周辺機器の選定は大丈夫かな。あんまり時間がない。
久しぶりに『Gun誌』を呼んだ。専門用語や受け入れ体制は大丈夫。でも、知識はだいぶ忘れているだろうな(1度覚えたものは、またすぐ覚えられるが)、しかし以前(中学生くらいか?)は知識を他の人に得られるのが悔しかった。でも俺の知っている知識なんぞはそれほどでもないことはわかりきっているけれどもね。釧路では、目に入る本を買っておけばそれでよく、注文すればいろいろと手に入っただろうけれど、とりあえずそれで満足していた。でも、東京には買いきれないぐらいたくさんある。選ばないとな。そして英語!英語をマスターしていれば、日本の本なんぞよりもはるかに多く、詳しく、実地的な知識が手に入る。やはり英語だ。
親戚宅の離れに移動。埃が多く鼻水流れるも、集中してできる。俺は閉じ込められないと何もできんのか?そんなことはない。でも、「ほかのことをしない労力」を使わないで済む。これで12時間体制を構築できるぜ。しかし日栄の英解、立教のか。どおりで難しい。できるけれどもさ。
さて、寝るか。
この日のカネの動き
レンタル 攻殻機動隊+更新料 -490
財布残高 記録なし
解説
帰省してレンタルビデオを借りしている。「浪人中はゲームはやらない」という誓いについては夏休みも含めて完全に守り通したが、映画については単発の1本ならいいという発想だったのだろう。アニメのテレビシリーズは長く観ることになるから観ない、と。あれほど焦がれていた、両国に行く直前に冒頭を観ただけの『エヴァ』についてはビデオが7巻(13〜14話)まで出ており、手元のLDは鑑賞する方法がないにしてもVHSはレンタル店にあったはずなのに、それは手を出していない。それは自分なりの線引きで自制していたのだろう。少なくともこの日においては。
銃器描写については、「こういうのは興ざめ」とそのあり方についてうるさい小僧だったが、しかし『攻殻機動隊』については無心に受け入れ、賞賛している。久々の娯楽がよほど感動的だったのか、士郎正宗への傾倒が全肯定の態度を促進させたのか、押井映画の手法が琴線に触れたのかはわからないが。ひどく感動している。
ガンマニアとしては、田舎では入荷した本だけ真っ先に買えばいいとしていたが、東京の文物の豊かさに圧倒され、選別の必要性を心に抱いているのは繰り返している通りである。英語をものにして本場の銃器本を読みたいというのは、まったく実現していない(本場のものなら優れているかといえば必ずしもそんなことはないが選択肢は猛烈に広がる)。後年には、洋書も多少は購入して、多少眺めたり、部分的に翻訳したりもしてみているが、このとき思い描いていたほど読み込んで英語講読を深めてきたわけではない。
実家では勉強できないとして親戚宅の離れ(祖父が生前使っていたが、予備校入りする数年前に亡くなった)を使わせてもらっている。ここでは実家よりは多少は勉強できたらしい。ただ、それでも納得がいくほどではなかったはずである。何もない両国の寮の6畳より広く、勉強机などなく、落ち着きはしなかったが、しかし「ほかのことをしない労力」を要しないというのは小さくなかった。
なお、夏休み中は支出と収入とについては記録しているが、財布の残高については計算を怠ってまったく記録がされていない。こういう細かいところでも横着している。