夏休み4日目・自学自習12時間
1996年08月10日(土)


 今日は08:00〜12:00、13:00〜18:00、19:00〜22:00の間、親戚宅の離れにいた。久しぶりに12時間勉強した。やっぱり両国は電車も乗るし、外も歩く。何よりも勉強そのものが授業中心に進む。けれども、今は自分で選んで、時間も自分で区切ってやらにゃならん。帰ったら娯楽等も何でもある。やっぱり宅浪の人は偉大だわ。現役で合格する人もね。

 12時間のノルマ達成の後、レンタルした『攻殻』を再見する。堂々たり。2度目は味わいが違うものだ。俺はなによりも初めて観るときを大切にする。だからこそ先に観ていない作品の情報を得ないようにしている。特に『エヴァ』は徹底しているぜ(同人誌もアニメ誌も気を付けているが、たまに情報が目に飛び込んでくることがある。これはたまらない。最初から何も見なければいいのだが)。しかし■■め、余計なことを言いおって。俺が何も言うなと言っているそばから。人の言っていることが聞こえて理解してたのか?それとも自分の知識をひけらかしたいのか?昔のことはまあいい。俺は奴にではなく、俺の記憶に腹を立てているのだから。どんなに詳細な記録をとろうと、当時の感情なんてもうわからない。思い出して生じる感情は、記憶への感情なのだ。たとえぶっ殺してやりたいような感情を誰か他人に抱いても、その本人を殺そうとも、本人が詫びようと、どうにもならない。自分の記憶のみの問題なのだから。第一、その問題は自分しか覚えていないことも大いにありうる。世間によくある過去の恨みつらみで復讐する話って、そう考えると、本当にそんなことで納得するのか、目的になるのかと思う。まあ自分の肉親を殺されて、なぜ当の殺人犯が生きているのか、という場合だとまた違う話だろうけれど。

 話がそれた。2度目の鑑賞は一応話を知っているから余裕もあるし、あの、はじめてのときのような緊張も興奮もない。伏線とやらも見えてくる。俺は伏線とやらはあんまり好きではない。あとで起きることの原因や予兆というものは確かにあるし、それにカメラがいくのも自然なことだ。そういうのではなく、鳩が飛んでいる→平和、とかいうような、必然性のない象徴は嫌いだな。まあ、そこに単に鳩が飛んでいて、それがカメラのファインダーに入るということはも、当然としてあり得ることなのだが。
 最初の亡命騒ぎのときにプロジェクトがコトバとして出てきたが、これは必然・当然・自然なやり方だ。まあこれは最初みたときも感じたのだが、6課の襲撃者を負うときの音がすべて消え、BGMだけ流れていた。事態は確実に進行している。これから決戦か?なんというときに、なんか悲愴な、というか追い詰められたというか、逸脱への予感というか、悲劇の予兆みたいに感じたね。どういう意図なのかはしらんけれど。それは俺か原作でそうなるのを知っているせいか、偶然、アニメの最後の方でバラけるシーンを見てしまっていたせいかもな。

 姉ちゃんの電話番号を教えろというあやしい電話。●●?そんなやつは知らんわ。何者だ。


この日のカネの動き

なし

財布残高 記録なし


解説
 親戚の離れを使わせてもらって、12時間も勉強ができたとは大層はかどった日である。授業があればそれをしっかり受けるために予習し、授業で新しい知見や勘所について聞きけて、わからないところを聞きもし、そして得た知識を復習で整理し、整理した情報を徹底的に反復してものにしようとし、テストの存在が復習の必要性を増し、物事を為す強力なペースメーカーとなってくれた。独力でやること・やる範囲やる速度を設定して管理するのは大変なことである。しかしたまには自分のペースで自分で目標を設定して勉強してみるのも新鮮な経験となった。ただ、それが現役のときに出来たかというか、「今しかない高校生活」を楽しむことに夢中で、また、自分なりの読んだり書いたり観たりすることも多く、今手に入れないとならないという強迫観念から本屋等を回り、まったく勉強どころではなかった。宅浪していたも、やはり勉強が出来なさ過ぎて、どこから手をつけていいかもわからず、思うようには組み立てられなかっただろう。両国で4か月間、レベルの易しいクラスから物事を教わってきたからこそ、自学自習することが出来た。上でも述べているが、高校の現役や宅浪、それに一般の予備校に通って結果を出せる人間には頭が下がるばかりである。後に私も自学自習してそれなりに難しい国家資格に受かったりもしたが、それも両国時代のやり方をモデルケースとして再現してきたからこそ出来た気もする(コピーを持っていた未使用の学習時間管理表をそのまま使用したりもした)。

 ここで■■として挙げているのは高校時代の友人だが、別に夏休みに会ったわけでも電話したわけでもなく、過去である高校時代のことを思い出しているのだろう。まったく唐突な回想である。

 姉の電話番号を聞くような電話は、ときどき実家にかかってきたという。中学高校等の名簿をもとに現状とその連絡先とを聞いて新しい名簿を作って売るような業者なのだろうか。ひどくアナログで人手というコストをつかってそれほどの成果もなかろうに、そういう電話は実家にも親戚宅にもたびたびかかってきた。実家あてには私に対しても「ありそうだけれども実際の同級生にはいない名前」から同級生だがクラス会をやるなどの口実で連絡先を聞き出そうとする電話が来たこともあったはずである。 


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