夏休み5日目・ついに『エヴァ』を借りた
1996年08月11日(日)
ついに『エヴァ』を借りた。放送終了より数か月。あらゆる情報がはじめての楽しみを阻害するので、いろいろと気を付けてきた。4か月前、あと少しでレイが本格的に出る3巻が発売されるのに、と思いつつ両国へ出発した。それが今日、観られる!さほど感動はしなかった。内容に、ではなく、その、待ち望んでいた、最も希求しているものを、やっと観られるということに対して。まあ、4か月間、すべてを停止していたしな。それにレンタル屋の1本を奪い合うような新作ではなく、すでに何本もあるんだし。
いくら気を付けているとは言っても、どうしても情報は入ってくる。必要なところだけ読んでいるつもりでも、アニメ雑誌にせよ、ゲーム雑誌にせよ、思いがけず目に入ってしまうこともあるし、同人誌でも(これは読まなければいいのに)そんなことがある。直接キーワードとなることを知らなくてもね、なくとなく慣れてしまうんだよね。俺はレイのことなど何も知らないのに、なんとなくわかるような気がするんだよね。ま、オリジナルから得た情報ではないけれど。しかし観光地に行って写真や解説通りだと確認して満足するようなことをしているような気がしないでもない。
感想ね……どう書けばいいんだ?最初の零号機暴走、これは最初に暴走したままの零号機が見えたし、宣伝ビデオでも見た(これはガイナックスの出しているものだからよい)。そしてオヤジ、心配して、なんてもんじゃねーや、素手でハッチをこじ開けるとかすさまじい。レイのことをどれほど思っているのか。レイもオヤジのことをどれほど信頼していることか。あの笑顔。オヤジと話しているときの。これも知っていたけれど、オリジナルを見てみるとやはりあらためてそう感じるね。
そしてレイ。オヤジのメガネを大切にしている。そして抱きしめるように。どれほどオヤジのことをしたっているのか。うーむ、同人の激しい描写とは明らかに違うね。
しかし、レイの住んでいるところ、クソキタネー廃棄されているようなマンション。しかも中もすごい。靴を脱ぐのをためらうような……。そして何もない。薬があったな。オープニングといい、これ、彼女にまつわる重要なことだよな。まあ、いずれわかる。オーブリングといえば、わからなかった一瞬の顔、これカヲル君だよね。ああ、カヲル君のことを知っている必要はないのに。しかも1回しか出ないということまで知ってしまった。
話もどる。レイは強い人だ。よいね。俺は人間は強くあるべきだと思うよ。しかし何でシンジに「あなたは死なないわ。私が守るもの」と。どういう心境か?うーむ。オヤジのことで怒るし。なさけねーシンジに冷徹にものを言い切るし。いや、これも、どういう心境でかはよくわからない。もっと観ないと。
日本中のエネルギーを集めるというときに北から南というところで北海道別海市!別海を知っているか!ああ、競馬で有名か?まあ、そんなもの調べればいい。そして旧東京三鷹区と。まあ三鷹は奥まっているし、生き残っていても不思議できない。そしてここにはガイナックスがある。そういや貞本氏の漫画ではガイナックスが沈んでいたが……まあ別々のものだ。
レイ、シンジをシールドで、いや、身をしている守る。やっぱりすごいわ。職務意識か、オヤジのためか。何だか知らんが。
そしてシンジ、エントリープラグのハッチを、手を焼けさせながら開ける。ここでオヤジとシンジとが重なった、と。心、開いた。でも、どういう顔していいからわからない、と(母さん「人間なの?」と。そりゃなんとも言えんが)。
「人の造りしもの」では、リツコ、ミサト、両おねえさんのおもしろい(?)一面が見られたわ。ここいらかな、カジが出てくるのは。なかなか重く、あやしい。あやしいというのは、不正規活動、策略、工作など灰色の活動というか。
アスカ来日で、はじめてアスカを見た。どこかで、そう、イラストの論評で「強さは弱い自分を隠すため」のようなことが書いてあった。こいつはいけねえ。キーワードだよ。そりゃよく考えればわかったかもしれないけれどさ。
なかなか強気で性格もクセのあること。ガイナックスの作る性格に難のあるヒロインだな。ナディアみたい(似ているという意味ではなく難があるという意味で)。この女を許せるかどうかで人間がわかる、とも聞いた。たぶん俺は許せるよ。まあ近くにいてほしくはないかもしれんが……。
たぶんムリして7巻まで借りてもそこまで。続きは合格、いや、受験の後か。うーん、まあ、もとの生活に戻った方がいい。今の俺はたるんでいる。やることがあって、やらんとならなくなると、やっぱり乱れる。それに同じ部屋(いい部屋だが)にこもっているなんてつまらねい。やっぱ宅浪は偉大だ。
この日のカネの動き
レンタル エヴァ3巻4巻 -580
財布残高 記録なし
解説
やはり『新世紀エヴァンゲリオン』には手を出してしまった。1〜2巻(1〜4話)までしか観ずに上京して何もない寮に暮らしつつも、ひそかに買って隠れて読んでいたアニメ雑誌や同人誌などですでに放送終了した上で人々が語る情報を摂取してしまっていた。なるべく初見の悦びを失わないようにしようと、核心的な情報が目に入らないよう目をそらしながら既知の出来事だけ描かれているかどうか判断して見たり見なかったりしていたが、やはり26話観終わった人間たちが語る情報をどう読んでも5話以降の情報に触れないわけがなく。その結果、アニメ雑誌のライターや同人誌の作者が解釈して語るキャラクター像ばかり触れてきた上でオリジナルである本編を鑑賞すると「観光地に行ってガイドブック通りでおるのを確認する」ような心地にもなったりした。しかしそれでも本編を観る悦びは本編でしか味わえず、アニメ雑誌でも同人誌でも言及されていない細かい描写やしぐさ、表情、人間関係らしきものについていろいろ感じ入ったり、疑問に思ったりしていたようだ。いま思うとあまりにも当然のように見なしている設定や定番の解釈も持っておらず、いろいろと考えている様もうかがえる。
カヲルなどという存在については、確かに1〜2巻はもちろん、7巻まで観てもそんなものは出てこない。オープニングで1コマだけ映し出される未知のキャラクターでしかなかった。しかしすでにアニメ雑誌や同人誌でその存在を知っている。知っている必要なはなかったのに、と煩悶もしている。
あと、このときはミサトとリツコとを「おねえさん」と認識呼称している。確かに作中では主人公らよりもだいぶ年上でそういう位置づけだが、これを書き起こしている今となってはだいぶ年下となってしまった。「おねえさん」という単語は物語の上でそういう位置づけだとしてもなかなか出てこない。
このように前日は12時間勉強したのに、さっそくビデオ鑑賞とその感想書きに夢中になり、たるんでくるのであった。しかも鑑賞していたのは居間である(ビデオとテレビとがあるのは居間である)。親も横眼で目に入っていたりしている。予備校生の息子が、アニメにうつつを抜かしているのは大変な光景だったと思う。それでいて、夏休み中は様々な口実で小遣いまでくれている。大変な話である。結果を出せたから許されるとは思うが、これで鳴かず飛ばずだったら半永久的にこのへんなことについてなんか言われていたかもしれない。