夏休み7日目・友人に電話をする
1996年08月13日(火)
今日AM06:10から『メモリーズ』を観た。ちょうどAM08:00に終わる。目が覚めた(やがて眠くなったが)。うーむ、115分/3本は結構短い。たけど、その方がああいうはっきりしない作品には向いているのかな。はっきりしないといっても、つまらないという意味ではない。『メモリーズ』は多分、「彼女の想い出」がメインだと思うけれど、あの話の技巧の深いこと。ありゃフランスでも認められる「芸術」だわ。寝ぼけながら観たから表面をなめるだけだったが、何度も観てみたい気がする。「最臭兵器」は、まあすっきりして、オチもある。いうなれば笑い話だ。しかし、あの男(例のスカンク野郎)、あの後どうなったんだろう?「大砲の街」も象徴的というかな。大友氏本人がやったのはこれだけだという。これも深そうだ(別に「最臭兵器」が浅いというつもりはないが)。画面の切り替わりがまったくないというが、やっぱりあるわ。写真から本人に移ったり、と。それは仕方がない。それよりも全て続いているのは何かまどろっこしいというか、すっとろいところもあったな、まだ、トライアル&エラーの段階の新しい技巧のひとつか。
母さんは「彼女の想い出」の後半を観た。そして言った。大人向きだ、と。俺のような青二才にはこの味はわからないか?そして結構気に入っている、とのこと。
親戚宅の離れへ。AM11:00。だがとりあえず草刈部邸へTELを入れる。父上が出なさった。もう今朝の汽車で札幌に帰ったたという。うーむ。早い。そんなに何日も休みとれないか。
今日は3人でM.R.でランチ(外来語の多用は好みところではないが)。生姜を「なましょうが」と読むというバカをさらす。
さて……S館に電話を入れる。始発で行った、もとい帰ったのならもういるはずだ。内線を押し、呼び出し音。出た!「晴天だけれど」という。そうしたら「おお、晴天!」と。驚いていたぜ。詳しくは別紙で。
録音に入らなかったところ。A氏は授業にろくに出ないわ、夏季講習はほとんど出ないわ、B氏&C氏のいる学生会館に引っ越すわと、すさまじい堕落をしているという。その上、何にでもB氏の許可を得て行動している、と。『スレイヤーズ』のLD-BOX買っていい?『エヴァンゲリオン』のLD買っていい?と。お前のカネだ、お前が決めろ!奴め、人格までいかれてきたか(これはけんしろ氏との会話だったか?)。
『鉄拳2』はたまらんと。腕2回折ってクビを折る技がたまんねーとのこと。来年は拝聴したいものだ。草刈部は明日から仕事。課題もたんまり出ているので忙しくなるという。今日のうちに俺のために何か描いて送るという。ああ、なんとありがたい。明日の朝いちばんに出すという。やはり草刈部は我が友だ。
けんしろ氏にもかけてみる。休みでご家族がおるかな。それに、本人も忙しくないかの。妹さんが出た。取次ぎを頼む。……けんしろだ!取次の際に誰からは言わなかったようだ。「ふふふ」とだけ俺が言ったら、「おお、晴天か!」と。何話したっけ?録音してないと忘れるのお。夏季講習終わったかというから、両国にはそのようなものはない。英語の偏60いった。東大?まさか、努力目標じゃ。たぶん後期試験なんぞは受けんし。M氏がけんしろに文III(後期)を勧めたことがあったらしい。
受ける学校はもちろん法政。あとA日程で都立か。あと、あまりめぼしいところないんだよな。慶応?学風が好かん。早稲田?いかすけれどどうかな。東洋と法政の間、結構あるんだよな。A氏とB氏の件、草刈部と同じようなことを。C氏が神経ピリピリしている(つまり勉強の妨げになっているということか)。あの2人に何をいってもムダ。2浪できないことをわかっていてやっている。「受験勉強もできないような奴が働けるかよ」などと。会館では毎晩部屋に入り浸っているらしいし。もう草刈部よりも奴らはゲームが上手い、と。B氏は同級生だったWさんと対戦なんぞしているらしい。Wさんは藤女子だが、奴は代ゼミじゃないか。ゲームしている場合か。
俺が密室で世の中のことを知らないと言ったら、O157は?と。ふ、両国では世間が騒ぐ前から消毒薬は完備するわ、メシの業者に5時間の講習はやるわとすげーぜ。すると、すごくいい予備校だ、生徒のことを気遣っている、と。もちろん!俺にとっても最高の予備校だ。
ついに反省書取られたぜ!一瞬寝ていたら目の前に!それに対し、俺だったら取られまくっているのでは、と。
うちの寮は有刺鉄線、鉄格子で囲まれているぜ!でもうちのところは何もないけれど、よそでは一杯ひっかけに行くバカがいるそうだ。ここでけんしろ、酒の楽しみがわからん、と。自分は弱いが、強い人にとっては楽しいだろう、とのこと。B氏は北大生のM氏よりも札幌の飲み屋に詳しいらしい。あの野郎……!けんしろは飲まされんように逃げ回っているが、ようは飲まなければいい、と。うむ。でも明治とかバンカラな学風のところに行ったらどうだろう。学校の先生によると運動部なんかすさまじいらしい。ケツふかせたり。そういうことも聞くこともあるが、と。まあ30年前の話だ。でも、今はどうなんだろう?
俺は運動場入んないから大丈夫だ、というと、文化系もなめたもんじゃない、と。D氏はひどい目にあっているらしい。■■部に入ったのだが、そこは安保に反対するサークルだったらしい。そこでやつは議論で20分演説ぶちかましてブーイングの中を退場したという。そして安保賛成の集会に行ってクビになったそうだ。その数日後、そのサークルの人が殺されたという。もちろんそういう思想がらみかどうか、やった人のこともわからんけれど、怖いな。イタ電も、かかりまくっているらしい。なんて幼稚な連中なんだ。D氏、気をつけろよ!
なんてことだ。敵はつくるものじゃないね。せっかくの大学生活が。ナイフ持っていても、何を持っていても、殺す気の相手への防衛は難しい。
15kg痩せたというが、心労からじゃないだろうな。
サークルはよく調べないと。先生が言っていたけれど、オウムなんて氷山の一角、政治や宗教の危ない連中は山ほどいるという。気を付けよう。
サークルはやった方がいい、と。そうでないと人脈ができないらしい。そしてでっかい大学の方がサークルが豊富でいい、とのこと。
釧教大はボロだという、東京は立派?とんでもねー。東京の方が昔から大学があるし、カネあったら新しいキャンパス作ってしまうもん。
塾で講師をやるらしい。先輩の教育実習の穴埋めで一瞬らしいが。どうやるか考えているという。そうそう俺、47から62へ上がったもんで、結構相談受ける。帰る前の日なんか1時間半相談受けた。そいつ、勉強の量も足りないし、やり方も悪い。だから、そんな量じゃだめだ、そんなやり方ではダメだというようなことを言ってしまったら、そいつは最後には泣き出してしまった、と。まあ言ってやつべきことなんだろうけれどもね、とけんしろ。先生って大変だな。
来年受かったら、来い。今がA判定でもB判定でも気を抜かずにせれ、と。押忍!結果がすべてはB氏も同じ。そのときまで評価保留。ではこれにて。
手紙の返事は書かなくてよい。とのこと。
そうそう、両国にTさんがいた、クラス抜かれた。するとN氏もどこだか知らないが東京の予備校にいて早慶だかを目指しているという。東京まで行く人は気合が違う、とのこと。いいかげんに札幌に行くとな……堕落の道がある。
この日のカネの動き
なし
財布残高 記録なし
解説
ついに友人たちと電話までしてしまう。手紙も含めて、連絡をとるかとらないかの基準は、浪人かどうかであった。相手の気を散らしてしまうという懸念か、互いの進路が決まってから連絡しようと決めていたのか、とりあえずすでに進路選択を終えた次の段階にいる人間に対してのみ、甘えることができた。友人はありがたい。
A氏B氏C氏D氏は、実名ともあだ名とも関係のないこの日のこの記述だけの記号である。A氏B氏C氏のことは以前も言及していたが、彼らは札幌の同じ学生会館に住んで、毎日のようにゲームアニメ飲酒の享楽に耽っていた。そんな中でも温度差があって、C氏が焦燥感を募らせたり、A氏とB氏とがますます暴走したりと、そんなことを複数の人間の口から聞くのは迫力のある話だった。自分自身が禁欲を選び、克己して成果を上げているという自負からか、彼らの姿は私には堕落に見え、厳しく批判などしてもいる。勉強しないで遊んでいるという意味では自宅外で浪人している予備校生としての本分を果たしていないとは言えるし、もっと努力すればもっと成果が出たような気もする。しかし結論からいえば、彼らは3人とも1浪の後に国公立大学に入学し、就職し、それなりに立派な大人として暮らしを営んでいる。つまり次に繋げたという点では予備校生活は成功と評すことが可能である(この進路がどの程度納得のいくものだったかはわからない。当初の志望ではなかったはずではある)。けんしろ氏がいみじくも評した、「今どんな判定だろうと、結果がすべて」という話。その通り、私も彼らも結果を出した。つまり等価なのである。
対外的には結果が大切だといえども、当人においてはそこに至るまでの過程をどう過ごしたかも大切なことであり、体験は後の自身を積み上げていく礎となる。私は禁欲の場所に身を置き、その上で成果を出したことが自信となった。彼らは、気の置けない友人たちと同じ屋根の下で暮らして共に笑い遊ぶという、後の学部時代とも異なる貴重な体験をし、初めて暮らした都会を謳歌し、田舎から出てきた同窓生らとも交流を深め、若き日のよい思い出を作った。これもまた財産である。A氏B氏C氏はそれぞれ別々の札幌ではない小都市の小規模大学に進学し、学部ではこの浪人1年間の札幌時代ほどには派手な享楽はできなかったとも聞く。学部時代は一転して、刺激の少ない小都市で、気の合う友人も出来ず、孤独に過ごしていた様子も後に窺っている。それならば尚のことこの1浪の日々は輝かしく見えることだろう。「堕落」などと一概に評価するべきことではないのは後になって気づくことである。
そしてもっとも重要なこととして、やはり経済的な条件の差異である。A氏B氏C氏らは札幌の予備校に通わせてもらえる程度には親のサポートを得られたが、しかし予備校から東京に行かせてくれなんてとても言えるような状況ではなかったと想像する。そして東京のカネのかかる大学に進学することも選び難かったはずである。「東京まで行く人とは気合が違う」というのは、良い教育を受けたい、友人から離れて学びたいという意気込みが違うという意味ではその通りかもしれないが、しかしそれを言い出しせる境遇自体が稀有な幸運というべきである。そうした条件の違いに目を向けず、人を裁くようなことを言うのはちょっと無神経すぎたきらいもある。
友人はありがたい。あまり裁くものではない、と相当後になってから思いもする。