投函しなかった手紙
1996年08月16日(金)


 夏休み中につき時間はある。したがって書く。ついでにボロが出ないうちに丁寧口調はやめておくる
 複数の情報筋の全てがA氏とB氏との怠惰を伝えている。A氏は案の定といったところだが、B氏までもか。まだ結果は出ていないが、残念だ。連中はその程度の男なのか?俺はそんなつまらない男を相手に怒り、笑いなどしてきたのか。連中には受かってほしいよ、本当に。
 別に勉強できなかろうが大学に行かなかろうがどうでもいいけれど、親に大金払わせね期待されて、いい気なものだな。高校の時、俺とA氏とは「効率よく勉強し、あとは遊ぶ」というのが標語だった。もっとも効率どころか意味のない勉強を少しやっただけだが(俺は)。俺は入寮する直前まで、宿題の単語帳をやがめるだけで、何もしていなかった。しかし授業がはじまってからは、意地で勉強をした。単語も構文も何もわからん英文を無理矢理全訳して予習し、講師の書いたこと、言ったことは全て書きとめ、復習で整理し、また訳し直し、何度も噛みしめながら読んだ。そんなことをやっているうちに英語をはじめ、学力が目に見えて伸びた。
 最初の3〜4か月でここまで伸びる人はそうそう聞かない。両国も伸びるのは12月だとしきりに説明している。同じ偏差値47でも潜在的な学力が違うのかもしれないし、俺がはじめからある程度勉強法を確立していたこともあるが、俺はこの成績がいつ崩れるかと思っている。高3に合わせて公開模試の問題はやさしいものかもしれないしな。それでも2回目で上昇しているし、医歯系の多い両国の校内模試でもそれなりの偏差値をたたき出している。不安なんて持つだけムダだし、第一不安なんて感じもしないが、自分の成績が実のないものでは、次の模試でそれが現れるのでは、とたまに思う。
 今の俺は非常に効率のよい勉強をしている。効率のよい勉強は楽をすることとは全く違うし、勉強のやり方はどうであれ、やっている中で洗練していくものだということは、高3のときから知ってはいたが、実行していなかった。これは「今しかない高校時代」を出来る限り楽しもうということで、今も全く後悔していない。「高校でいいかげんにやっていた奴は浪人しても無駄だ」と先生方は言っていた。これは意地でも現役合格するようにとの言葉だと思うが、俺は全く根拠のない、人を決め付けたようなこの言葉を嫌悪している。A氏が冗談ではない口調で、「(両国に行ったら)死ぬぞ」と何度も口にしたことも気に食わない。これらの言葉を実践でたたき返してやる。もしかしたら、自分の将来よりも、この反発心・怒りこそが俺の原動力なのかもしれない。
 俺は俺以外全員年上の環境で育ち、家が金持ち(これはまったくの誤解)だのぼっちゃんだの病弱だのとなめられながら成長した。この俺の反抗心、負けず嫌いは強烈だ。中学のとき、実際やりはせんが、人を殺したり破壊したりしようと思ったのも、俺が弱者ではないこと、俺の考えていることがガキのたわごとではないことを証明したかったからだろう(注、俺が単に上からの圧力を嫌うガキだというわけではない。両国の成績表で「素直」「感謝の心」は優だったし)。
 そんなことはどうでもいいが、A氏は何を考えている。自分が自分のための受験勉強もできない弱者だと、札幌に行って堕落する湖陵生の見本だと見なされることに何とも思わないのか。まさか、今の勉強で十分だとでも?それとも遊びながら受かることを実証したいのか?まあ、A氏の勉強を見たわけではないし、成績も知らない。受かるかどうか、そのときまでわからない。とにかく受かってほしい。親睦を深め、一瞬であろうと敬服し、ときには憤りと葛藤に心を砕き、共に生きてきた人間に失望したくない。
 なんてことを言いながら、自分が落ちたらザマないな。両国でこれだけやっと落ちたとなりゃ、本当に無能だからな。結果はどうあれ努力したからよし、なんていう日本的評価は好きじゃないし、やっぱり自分の望むような大学に入りたいからな。まあ、とにかく自分の望む、優秀かつ気合の入った行風の大学に行けるよう努力を続けるわ。


解説
 誰かに手紙として書き始めたが、手紙になる代物ではないと思い直して日記として綴じたものである。後年の目になって見ると、出さなくてよかったという気持ちしかない。共通の友人に対する批判を延々と書き連ね、他方で自分の努力と成果を喧伝するのは美しいことではない。ただ、それでも他者に出すことを前提としているので、くだんの友人の成功を祈ったり、自分の成功の不確実性について念を押すなど、当時の心の動きがある程度日記とは違った形で表れている。なお、くだんの友人は本当に親しい友で敬服する面も多々あった。浪人中は連絡を取っていないが、友好関係は居住地が離れてからも長く続いた。だからこそ思うところがあったのだろうけれども。

 私が勉強をした原動力は、他者からの過小評価を覆したい、根拠薄弱な他人の未来に対する予想を覆したい、という稚気であった。10代の少年らしい怒りである。それがここではよい方向に働いたのだろう。そしてくだんの友人は、どういう思いで享楽をやっていたのか、人から言われるほど堕落はしておらず勉強していたのかはわからないが、結果としてそれなりの国公立大学に入り、それなりに堅実な仕事について地歩を築いて立派な大人になったのは何度も言っている通りである。私が心配あるいは誹謗するほどには堕落していなかったのかもしれない。また、「遊びつつも受かる」という目標を彼が持っていたかどうかはわからないが、もしそういう考えならばそれは実現したことになる(当初掲げていた志望校には届かなかったとは言えども)。  


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