夏休み13日目・親戚の離れを引き払う
1996年08月19日(月)
母と天ぷら喰いに行った。うーむ、スナック菓子みたいに揚がっていてうまいぜ。しかし落ち着かない席だ。2つの入り口のどちらかにも直線上、側面とやや後ろだ。ガラスの棚がある。何かあったら破片が飛ぶ。落ち着かない。そう言ったら、そんな考えるな、疲れる、肩こる、と。俺は好きで、楽しくて考えているんだせせ。神経質とかマイナス思考ではなく。ならばいちいち口に出す必要はないということかな。
父は業界ではやり手で、会社では気合入れまくり、けっこう恐れられているとも聞く。確かに怖い。家では居場所のない人だけれど、会社では生き生きとしているんだな。
勉強のため離れを使わせてくれていた親戚の夫婦、俺が昼に引き払ったら、なんかさびしい、と。やはり「別の生き物がいた」という感触はうれしかったのかしれない。家賃を払うぐらいなのに、逆に1万円を頂いたし。夫婦どちらにとっても血縁の甥、本当にめずらしい話だ。俺にとっても家族に近い親戚だ。まあ結局は親戚だけれども。
こうされると、なーんか専修や東洋LVには行きにくいな。自分としても行きたくないけれど。やっぱり東京国際でも帝京でも、そこしか受からなかったらそこに行く。2浪はしすぎだ。2浪したら草刈部氏が社会人になってしまう。他の大学生の友人らも、学問を修めて、資格を取って、確実に進歩していく。それなのに2年もムダにできない。浪人は勉強しているという意味ではムダではないけれど、やっぱり本当は必要のない半端者だ。2年は長すぎる。2月に急性盲腸炎にでもなって入試を受けられなくなったのならば仕方がない。東大を目指して2浪するしかない。
しかし某人たち、2浪して、■■■■大学、■■■■大学?どんな勉強をしていたんだ?伯母さんいわく、「ハングリーではない」と。それでも勉強してこれか?いや、大してしていなかったのでは?生徒会やっていて■■■■大学には推薦があったけれども、蹴った。ま、現役でいきなりあそこに行こうとは思わないか。そして2浪して結局受かったのが■■■■大学。まあ納得はいっただろう。そしてちゃんと卒業して、給料のほどは知らないけれど、自分のやりたい仕事をやって、まあ、うまくやっているんだろう。
■■■■大学へ行ったのは、まあ、いいだろう。高校の先生からは奇跡だと言われていたが。だが、単位落として留年?なんとまあ。
この日のカネの動き
CD-ROM エヴァンゲリオン・コレクターズディスク Vol.1〜3 -14,700
-500(書き留め送料か?)
クリアファイル B5・20枚 -234
収入 親戚から +10,000
収入 父・ペットボトル貯金 +5,000
財布残高 記録なし
解説
文中で出てくる「■■■■大学」は複数の大学を敢えて同じ文字列で表している。ここにおいても、他者の入試難易度の低い大学行きや多浪や留年を裁くようなことを言っている。これは予備校時代において一貫した見解であるのでもはや注釈はしないが、留年については私もしたことである上、留年どころか語学学校や大学院でさらに多くの年数を費やしたのであった。また、他者の入試難易度の低い大学行きについて蔑んでいるのと同時に、自分は1浪で入ったところに必ず行く、例えそこが入試難易度の低い大学でだろうとも、のような決意をも書いてもいる。やはりこれも入試難易度の低い大学を軽視しているが故の言葉だが、しかし現役のときはそれらの大学レベルのところからも不合格を受けたのであった。