TV特集、大学合格後の展望
1996年08月24日(土)


 ゴールド(の色をした)カードで電話をかける。むこうは俺がいなくておかしな感じだという。親戚宅まで同様らしい。俺はもう慣れたぞ。いや、そもそも、俺はここ以外の場所へ行ったのか?記憶にはある。俺の故郷は釧路だという記憶、それ以外の記憶はない。『攻殻機動隊』や『トータルリコール』ではないけれど、これを他人に細工されたら恐ろしいね。釧路は朝、ストーブをつけているという。さすがは釧路。ほめてつかわす。

 夕食時のTV、「援助交際」。不愉快な話だ。この手の特集の信頼性が疑わしいこと自体も不快だ。チャンネルを変えるわけにはいかんので観る。くだらないものを見ないのは逃げではない。もっとも、どんな情報でも見て聞いてそして考えた方がいいのだが。社会学者として(英文学に行くかもしれんが)。でもまあ、社会学ってのもいまいち信用したくないところもあるんだよな。表層の事象や統計で何がどれだけわけるのか?まあ、表層も統計も事実には違いないし、その奥を探るのも社会学なのかもしれない。
 売春少女(少女なのか?)のインタビュー。本物かどうかはともかく(本当の娼婦であっても本当のことを言っているのかどうか)、くだらん女だ。「かわいい」なんて声も最初はあったが、後に「ふざけんな」「バカヤロー(野郎?)」「どういう生活してんのよ」だけに。我ら83寮生もこういう手合いは嫌い。いや、認めない。我が83寮生にもいろいろな経歴の人間がいる。遊び人もいたかしれない。でもカネで売買というのは別の話だ。くだらん話だ。男も、女も。
 しかしこの女はどうなるんだ?いまは大金が入っても、歳喰えばそうはいかなくなる。風俗産業に入ればしばらくはやっていける。だが、そういう組織の中では遊びやガマン程度の生半可のことではない。まあ、それなりのカネは入る。しかし歳を食えば相場は下がる。それもある程度の歳になるとどうにもならなくなる。そこからどうする?一度知ったバカな生活はそうそうガマンできない。どこからカネを得るか?どれが雇うか?家族は?足を洗って結婚しても、後遺障害から子供ができないもしれん。精神も病むかもしれない。
 やはりバカなのだ。気にすることはない。こういうバカはまっとうな人間に対して「古い」「遅れてる」「気持ち悪い」のようにほざくらしいが、何を考えているのか。いや、言っているコトバの意味もわからないのだろうな。歳食ってからこういバカがどうなるのか、そして自分のことをどう思うのか。

 五十嵐氏、91寮リンチの話のとき、「長風呂する方も無神経じゃないのか」って、おい。長風呂に文句言った方が被害者だってわからなかったのか。解釈能力はどうでもいいとしても、リンチに正当化もくそもあるか!長風呂ごときで。だいたい、風呂で長々と話して顔磨いて髭剃る(彼は風呂でヒゲを剃っていたか?)人がいうことか。
 忘れていた。五十嵐氏はあまりの分け合って食べるおかずを一人でトレイひとつ独占していた。ほう、大した態度だこと。なんて迷惑なんだ!しかも悪いと思っていないみたいだ。寮監に言われても一応の納得はしたみたいだが、わるいとは思っていないな。三浦氏への攻撃・罵倒(本人は注意といっている)を注意されたときもそうだった。独善者め。俺は注意も苦情も正しければ受け入れる。
 俺は彼をそんなにわるく言っているつもりはない。ただ、腹の立つところは腹が立つ。ただそれだけだ。結構面白い人だと、いい人だよ、基本的には。

 大学受かってからはやること山ほどあるな。移動の作業はもちろんのこと、書物の整理・選別、パソコン選び・購入、ゲームも同じ。メガネ金縁・グラサン、金時計。やることあるなあ。それに空白だなんてことは絶対にないが、ヒマなうちに少しでも日記を読めるものにしないと。高校のときの紙片の山を。我が良き友との再会・宴会もすばらしい。そうそう、『エヴァ』をLDプレーヤーで観るんだな。それと『ガンダムW』もレンタルだ。書物の整理が1番大変だ。俺は本を捨てる・売るという行為が大嫌いだ。まあ、持っていかない本は置いていくだけだが、どう選ぶか。今度は思い切ってかなり切り捨てる(といっても廃棄はしない)つもりだけれども。これは弱者ではないことの証明か?でも、以前は大人になると「〜を卒業」などと言ってマンガや娯楽をやめる人がいるのを切っていた。「卒業」ではない。「足を洗う」とでも言え!今回の俺はただの思い切り、なのか?最近のアニメ・マンガ・ゲームは推年前の俺にとっては夢でも見ないようなすさまじい広がりを見せている。でも俺はそんなには興味を感じない。歳を食うとそうなるのか?それとも作品に魅力が乏しいのか?(観てみりゃ楽しいかみしれないが)。いや、やりすぎて見る前から食傷か。
 まあ、とにかく、時間はなくなるし(大学生は最も時間を好きにできる立場だが、俺はひとつのことに費やしたくない)、どこかで見切りをつけないとカネも足りないしな。

 玉川大学……キリスト教か。別にめずらしくもない。学風はリベラルだな。ということは学内の雰囲気が軟弱だったりするのか?そんなわけがない。まだ何もしらないではないか。何よりも俺はこの校章がどうも好きになれない。グッズを持ち歩くのにも抵抗を覚える。ここが難点だ。ようするに法政に入ればいいのだ。
 俺は自由を好む。誰でもそうだ。だが俺は手放しの自由ってのは気に食わない。抑圧とは言わないまでも、ある程度の規制の下での自由、自分で開拓する自由というものにこそありがたみを感じる。心地よい事由ではないか。高校の時、めずらしい道具や行動を示したかった。スイス・アーミーナイフ、バンダナ、IBM PC、電動ガン、ガス・ブローバック・ガン、金縁、グラサン、軍足……高校のときに欲しかった。
 今持っているものもある。でも、もう18〜19。当然だ。カネの動かせる額も違う。何でもできる。何をしても当然だ。子供向け以外のあらゆるものは大人のためにあるのだから。俺は自分を大人とは思っていないが、同年代で働いている人も少なくないし、18超えれば、一応は大人だ。うーむ。俺は大人か。まあ、いいや。十分子供を楽しんだ。今を生きているんだもの、今がサイコーさ!

 言いたい、というか意味したいことと文字で表す文との間にんでもない距離がある。いや、距離というより異質とも思える。これは当然だ。文字も発音も記号に過ぎないのだから。しかしその表現力というものが落ちている気がしてならない。文字もただ書いている。言葉もただ空気を震わせている。すべて、上っ面をなめている気がしてならない。それは自分で努力。文は時間をかければある程度は納得できるものになる。言葉は?人とあまり話していないから文章以上の劣化だ。訓練に次ぐ訓練しかないか、あまり話す機会がないな。来年、友人との再会でどれぐらい話せるかな。それよか大学に入って新しい人々とどう話すかな。さあPM11:35。なぜか眠くてたまらん。さあ、とけよう。


この日のカネの動き

のみもの ラムネード -109
水 -200
ペリカン便 -1,240

財布残高 記録なし


解説
 「援助交際」という語がまさに当時大きく語られはじめていた。高校時代から「女子高校生による売春」が社会問題として語られていた記憶はあるが、この奇怪な語が流行語となったのは1996年のことである。もちろん私の身近に売る者も買う者もおらず、センセーショナルに語る巷間の風潮にも売買春それ自体にも強い嫌悪感を抱いていた。自分も10代だったので、10代の中の一部の人間の問題行動を世代の象徴のように語る大人の声も不愉快だったのかもしれない。寮生においても番組で描かれる当事者の生態には嫌悪の声が浴びせられた。そのためこの日記においても、売春当事者への強い批判が記述されている。が、後になって考えると売買春について売春当事者だけを裁くような言説はあまりに粗雑である。買う方をも裁かなければならないという話でさえなく。売春はそれをする、せざるを得ない人間を発生させる社会自体の病だという発想がなかった。それこそ社会学にでも進んでいたら研究テーマにできたかもしれない。しなかったとは思うが。

 91寮のリンチとは、日記から読み取ると「長風呂に対して、文句を言われた方が、文句を言った方に暴力をふるった」事件らしい。五十嵐氏は、どうもそれを錯誤して「長風呂は迷惑行為だから、長風呂をした奴が殴られても仕方がない」のような事実関係の錯誤をし、些細なマナー違反に対する過剰な暴力の肯定をもしたようだ。こうした言動に私は何かのスイッチが入ったらしい。
 
 玉川大学についてはどういう校風か今も知らない。ただ、キリスト教系→瀟洒な大学→軟弱という図式が働いたっぽい。質実剛健か軽佻浮薄かで校風を二分してどちらかに振り分けるというまったく粗雑なイメージで大学選びをしていたのである。そして質実剛健というところから選んだ中央大学に入ることになり、校風は実に私に合っていたと5年間の学部生活で実感したところである。18歳そこいらのときのイメージ、大学選びの基準とするには粗雑すぎるものだが、しかしこうした粗雑な好悪に逆らうと、入って思うような大学生活を送れなかった場合に自らの選択の誤りを悔いたかもしれない。なんにせよ、経済的にも親の理解の面でも大学を好きなような選べたというのは幸福なことであった。

 無制限な自由より一定の制約下での自由を求めるというのは、「鉄の規律」を謳う両国予備校でなくても、リベラルな校風を謳う大学であっても同じことである。人間社会はどこにおいても秩序がある。そういうことを認識したのだろう。  


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