ここ数日朝の出発が早い
1996年08月29日(木)


 今日、布井氏と。彼はここ数日早い。昨日は抜かされた(名札返していない。山田閣下が気を利かせて返してくれた)。何を話したっけ?入学式行ったときの道(大多数の人がこの道を通る)で仔猫3〜4匹見た。布井氏、かわいい。でも生意気になるとかわいくない、と。俺はそれがいいんだ、俺は人間よりも猫の方がいいから、と。そうしたら、あぶないね、と。単に尊重するという意味だ。
 彼は北陸大の案内申し込みハガキを持っていた。道医療大も受けるかもしれないが、あまり地方には行きたくないそうだ。北陸大は過去の住んでいた金沢で、けっこう気に入っているらしいが、やはりあまり、と。北陸は夏は暑いし、湿度は高いし、冬は山ほど雪が降るそうだ。北海道の方が俺としては住みやすいと思うな。今時期でも朝にストーブをつけると聞いてもさほど驚かなかった。やはり転勤族はわかっているのか?
 金城氏、彼は秘密と言っているが、相当安く入ってきているらしい。理科大蹴って、カネが高い医学部も蹴ってきたという。やはりできるんだ。噂では慶応医学部を狙っていると。なんか、につかわしくないなあ。布井氏いわく、早大(医学部はないが)の方が似合っていると。俺は、彼なら九大医学部だな、と。さて、俺が法大も意外だという。俺は軟弱なところへは行きたくないというと、ああ、軍人だもんね、と。市ヶ谷キャンパスはたまんねーわ。というと、「やっぱり、君、あぶないね」と。俺は入試で行って、こここそ彼の行くところだと思ったと続ける。来年受かったら法政遊びに行くから、とのこと。
 横浜は東京のテレビ入るよ、地元のテレビもあるから東京より局多い、と。テレビの設定に入りきらないそうだ。
 両国の猫、大きいね、と。うちの猫より小さい。舶来品だから、と。アメリカンショートヘアといってもわからない。まあ特別猫好きでなければわからんか。有名種だけれどもね。

 寮周りの先生が来た。というか、いた。いつものおばちゃん、というかおばちゃんしか来ないな。
 数名やられた。禁止物を見つかった、と。しかしバカだねえ。持って歩けよ。もっと慎重になれよ。言うまでもないが、両国舐めているな。
 藤田氏、ヒロスエ(プレイボーイか)を没収されたそうだ。これは凄絶にいたいみたいだ。気の毒に。でも要領悪いんだ。今度から、トランク(カギ、ダイヤル付)に入れておく、と。

 明日のためにやることが多い。明日は持っていくもの多い。


この日のカネの動き

なし

財布残高 24,320円


解説
 朝出発時間は決まっておらず、予備校の所定の教室にいなければならない時間は決まっていたが、そのギリギリまで寮に居座る人間も、なるべく早く準備をして出かける人間もいた。私は早い方の部類で、なるべく早く出て、予備校で自習などしていた。自習したいというのもあるが、突出して早く出ることに愉悦を覚えもして、競争の気配もあった。また、早い方が電車の混み具合が比較的軽いという事情もあったような気もする。

 金城氏は、あんまり話したことはなかったが、噂では元暴走族だか地元では名のあるワルだったとも囁かれており(真偽不明)、体格はよく大柄で、顔はコワモテで傷跡らしいものもあった。だが、医学部を目指しており、比較的難易度の低い医学部は蹴ってきた、両国の入学金を決める試験(点数がよいほど安く、悪いほど高い。私を含めたほとんどの学生は最低ランク・最高金額だった印象がある)で高得点を取っていた、という段階で相当な秀才である。元ワルだったかどうかは知る由もないが(単に風貌や雰囲気でそう噂されているだけとは思う)、その風貌にふさわしい大学とは何かについて、なかなか粗雑なステレオタイプが開陳されている。

 私の常軌を逸した猫好きを「あぶない」と言われるのはまだしも、法政の当時は本当に小汚くて古いばかりだった市ヶ谷キャンパスが琴線に触れるといっても「あぶない」と言われるのは解せない話である。単に、自分が価値を覚えないものに価値を覚える姿勢に異様なものを覚えただけか、それともセクトの方まで考えが及んだのか。

 寮監も巡回の職員も、寮の部屋を点検して、持ち込み禁止品がないか高頻度でチェックしていた。そしてその度になにがしかのものが見つかった。手入れがあるとわかっていて、見つかったら取られる反省書始末書は気にしないとしても(実際問題として退学退寮になるという脅し文句は実現しなかった。ただ親には通知がいく)、見つかったブツは処分された。当時崇拝者が多かった広末涼子については、雑誌に写真が載るたびに普段まったく読まない雑誌でもコンプリートして集めようとする者もおり、そうした者にとっては没収は痛かったことと思う。私は禁止物は常に持ち歩いていた。留守中の部屋はどこに隠してもだいたい見つかったが、身に着けているものの身体検査まではなかった。そして私の場合、手に入れた品々は実家に定期的に送ることができた。だから後に備えて買い逃したくない物品を買い集めて保管することができた。親としては厳しく勉強したいといって頼んできたので高額な学費寮費を払って送り出した息子から、こうした品々の小包が定期的に届くことについてはどう思っていたことやら。これも納得のいく結果を出したからよい話であったが、そうでなかったら後々まで言われていた気がする。  


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