中大の資料が届く
1996年08月30日(金)
朝は山田氏と布井氏と行く。3人のとき、俺は会話に割り込まないから、どうも付随物のような感じがする。知らない話だと割り込みようがないからな。幅が狭いから、話もそういう面ではしずらいかも。ま、俺はこれでよいのだ。
「中央大学」の資料来た。寮監に「がんばれよ!」と渡された。なんか、気合いが入ったわい。風呂も5分早く上がったし、もちろん気合いややる気はなかろうがあろうが、やるしかないのだが、やるに越したことはない。
中大……いい大学じゃな。って、どこを見てそう思った?生協?食い物屋?なんだろ?いや、詳しく書いてあるからだ。もう、俺は実社会を眼中に入れているから、講義が楽しみなんだな。立派な社会人となるための講義。立派な人間となるための、もとい豊かな人間をはぐくむための講義。たまんねーや。
しかし行きたくなってきたぞ、中大。法−政治や総合政策、商も含めてな。俺は目に見えない法が嫌いだ。特に、それを倫理や法則と勘違いしている奴のコトバがな。法律は武器だぴっきりが俺の考えだ。実際、方便にすぎないと思うよ。だからこそ、武器を身に着けてやろうってな。
俺、やっぱり教職志望、司書教諭でね。採用、とっても狭い。なれないなら?さあ、他の道を作りながらなんてことはできるのか?いや、よくない。院生にでも?修士とか。やっぱり教職と民間就職の2つの活動を同時に大学でするって……できないだろうな。まあ、俺もそんな半端はいけないと思うし。
しかし何学にせよ、それを選ばないこと、違う学部学科に行くことがもったいない、惜しい気がするわい。ま、人はできることが限られているし、狭く極めるのがプロってものよ。中大・法大受けまくるかな。やっぱ「栄光のライン」は切りたくないんだよ。よし、受けよう。しかし文学部以外では教職はないものと思え!そのときは進路変更!仕方ない!
この日のカネの動き
コピー -10
水 -200
財布残高 24,110円
解説
中学生ぐらいのときから自覚していたが、私は1対1では饒舌でも、3人いると途端に発話が難しくなる。自分以外の人間が話しているところに自分が発話するタイミングの難しさ、そして自分以外の人間が自分によくわからない話題を扱っていることの多さ(話題の狭さかそういう印象が多くあった)、そういうことから3人でいるときは人知れずなかなか難しい思いをしていた。今でもだ。それはそういう人間だからそういうものだとするほかない。
中央大学の資料が届き、郵便でそれを受け取っていた寮監は私にそれを渡すときに檄を飛ばし、読んだ私はぜひここに行きたいと思いなどしている。こういう場面を思い返すと、実際に中央大学に合格して、入学して卒業までして本当によかったと思う。「栄光のライン」というのは、法政か中央あたり(この受験用語はまだ知らなかったはずだがMARCHクラスということだろう)が入りたい「栄光ある」進路であり、そこよりも格下には行きたくないという話であった。現役のときに、格下どころか、だいぶ入試難易度が易しいところにも箸にも棒にもかからなかった人間が、大きく出たものである。しかしここに入りたいというのは現役のときからの偽らざる気持ちであり、そして宝くじと同じ程度にありそうのない、入れる蓋然性のない目標と長らく思っていたのが、勉強をはじめて成果が出る感触を得て、ひょっとしたら手が届くのではないのかと期待を抱きはじめもしていたのだろう。しかし同時に2浪はしない、どこでも入ったところに行くと決意してもいた。結果がでるまではわからないので気合が入るばかりであった。
中央大学法学部政治学科という実際に入学する学部学科に言及された。なぜここで法学部政治学科なのか。以前記述されていたように、同じ教室の人間が「法学部政治学科という響きがかっこいい」と言ったことが耳に残っていたのか(ただしそれはこの日の前か後かわからない。後の気もする)、世界史をやって天下国家のダイナミズムに関心を抱いたのか、大学案内で興味を惹かれたのか。
社会人や大学の講義について過大すぎる期待をしているのは、後の目から見るとまぶしすぎる。しかし若き日はよい未来を期待しいる方が、していないよりはずっとよいのだ。