アキバを回る
1996年09月01日(日)
今日はAM07:00から気合い入れてやった。幸先良いぜ。
フリータイム。外に出ると布井氏と合流。ともに行くことに。どこに行こうか。アキバか池袋か。どっちって言われても、買い物も何もないからなあ。まかせる。ああ、主体性のない軟弱者みたいだ。定期で行けるアキバへ。
地下鉄の女の子のポスター、彼はもらって額に入れているらしい。やるな!俺も欲しかったが言えば貰えるのかどうかわからなかった。わかっていても持って帰れないし(彼は堂々と筒を持って帰った)。
アキバへの道中、井上氏と合流。晴天っち暑くねーのか?と。この人民服か。確かに厚手で暑い。しかし俺はそう思っていてもそう感じないのだ。クーラーもつけてねえぜ。アキバで降りる。布井氏と井上氏はなにやらパソコン談義をしているようだが、このアキバの雑踏の中を3人並ぶのは難しい。3人になると話には困るな。それにPC9801RS21をなめただけの俺にはわからん用語も。『一太郎』がいいか『Word』がいいか?「ついていけん。うちのじゃ動かん」と言ったら、井上氏「CPUは?」と。386と答えたら氷河期だ、というようなことを。確かに。しかもHDなし、メモリ640KB、プリンターなし!何に使うんじゃ!ラジオを買う井上氏と別れて、2人で。さて、どこへ?どこって言われても、目的がないし、わからない。彼についていく。パソゲーの店「これって全部……」と言いかけると、「そういうことは口走らない方がいいよ」と。そう、ここは18禁がメイン。『エヴァ』のコレクターズがあった。彼もガイナファンらしい。ガイナックスのゲームはあらかた持っていると。『エヴァ』はタイトルも出てこないところを見ると、観ていなかった?それともど忘れ?『ナディア』はTOWNSで。声がでる。98とは違う。それに対して彼は98のみ。当時はTOWNSだけだった。
さて、どうしよう。ホント主体性がないようで。本当は散歩や買い物はひとりでするものだ。建物を出て俺の一声「駅はどっちだ?」 そうくるとは思わなかった、とのこと。
同人屋(18禁甚だしい)、マンガ屋(よく考えたら、どこでも売っているもの、必要なかったかも。しかも18禁コーナーは行くつもりない)行った。でも、あそこは彼とは違う世界らしい。全然わからん、と。俺にあわせてくれたのか?すまん。でも、俺は18禁には、あまり。
パソコン屋に行った。彼はノートが欲しいらしい。そんなもの経営学部の学生のやることだ。しかも高いわりにパワーがない。俺ならタワーだ!TV映るパソコン、彼はいいね、と。しかし俺はマルチというものをあまり快く思ってはいないのだ。TVはTV。パソコンはパソコン。ややこしくなる。チューナーで1つスロットが減る。
すさまじいことをしそうになった。「水槽」があった。魚が泳いでいた。しかしそれは映像。泡だけ、スクリーンの前の空間に水を張って出していた。近づいてわかった。「お、魚がいる」みたいなことを言いそうになったが、彼が先に「こんなのでだまされる人がいるかな」と。すげえ大恥かくところだった。
それにしても俺のために手数をかけたのか……。彼はいつも外食をするのだが、しなかったし、何も買わなかった(ただし水道橋駅でポスターを貰っていた)。うーむ、なんかわるいな。
地下鉄で金城氏と一緒になった。けっこうオヤジに見えるがけっこ若く見えないこともなかった。何浪?まあ、ここには1浪と2浪しかいないはずだ(よな)。
ポスターを見てどうするの、と。彼には『詩とメルヘン』か解せないらしい。そして「ロリコン?」と。うーむ。彼は三島由紀夫の読者という。そして漱石を批判していた。おお、なんと文学者なんだ。医系で。やるじゃねえか。やはり人間はおもしろい。
避難訓練のとき、藤田氏、寮監はいい人だ、寮監ファンだ、と。ふつうなら「1列に並べ」「早く走ってこい!」と言うだろうに。それに、公園で5分間休憩。さらに帰ってからシャワー許可。確かに。俺もすばらしい寮に来たと思う。ぜひとも「栄光のライン」を突破せねば!
この日のカネの動き
なし
財布残高 24,060円
解説
たった2時間の日曜日のフリータイム。めずらしく人と出かけるなどしていた。主体性がないというより、人と行動するときは遠慮が出るし、さらに言えば東京のこと、秋葉原のことは全然知らないので目的を定めるのは難しかった。結局、東京に(少なくとも私よりは)詳しい布井氏の案内であちこちハシゴして冷やかして回ったのだが、彼の方も特に買い物もなく、いつもしているという外食もせず、興味がないであろと類の本屋にも案内したり、私にだいぶ気を遣ってくれていたようだ。ありがたいことだ。出納がないということは、秋葉原まで定期券で往復して、本当に1銭も使っていない。
井上氏がラジオを買いに行っているが、ラジオは数少ない合法的な外部の情報源であった。ラジオについて特に寮内で許可が取り沙汰されたことはないので許可は必要なかったと思うが、学校では他の寮生が生活指導的なセクションで許可がどうこうと問い合わせているのを聞いたことがあり、運用がどうなっていたのかはよくわからない。
83寮は2浪を公言している者が1人だけいて、あとはすべて1浪だという話だったが、実際のところはどうだったのかわからないし、あやしい気もする。しかし同年代における「おっさん」「オヤジ」という風体などは、だいたいの場合はよく見たら顔が若く、歳食ってから見ると普通に若者だったりもするものだ。とはいえ、世の中には本当に10歳20歳単位で年齢を間違われる若者もいるので何とも言えないが。こういう風体については写真もなく、記憶は何よりもあてにならないのだし、金城氏の貫禄についてはもはや必ずや変質を重ねたイメージしかない。
寮監はやさしいし、いろいろと気の利く人だった。隅田川の花火大会のカケラをほんの少しだけとは言え見せてくれたり、暑い日の避難訓練で特に厳しい号令をかけることもなく休みもとり、シャワーまで使わせてくれるなど。他の寮から伝え聞く話では、底意地の悪い寮監、放任がすぎる寮監の話なども(真偽のほどは不明だが)聞いたが、83寮の寮内では寮監についてそういう人格への評判は聞いたことがなかった。