「アウトロー3人組」
1996年09月08日(日)


 今日は池袋に行った。久しぶりに駅で迷い、出たところは西側。東側へはどうすれば?必ず道があるはずだがわからない。外から線路をくぐる道を見つけてここを通る。えらい遠回りだが、確実だ。しかし東口のスタート地点に到着したのは40分。よし、大丈夫。
 まんがのもりに『エヴァ』のポスタースロットがあった。ポスターは持って帰れないし、カネも食う。例のシリーズの同人誌21を買った。なんかだんだん切羽詰まった構成になってきたような……それに、なんかいまいちなんだよ、話が。これも時間ゆえか。14〜16のあたりは最高に面白かったんだけれどもね。ま、今回もそれなりに楽しめた。18禁本っといつても、俺はそれが目的ではないからね。ただ、その一線を越えた話を読んでいるだけだ。
 『プリンセスメーカー夢みる妖精』を買うた。ふふふ。プレーヤーないから買うのさ。もってても聞かないけれどもね。俺の意志力をみよ!
 アニメイトカード、大学入ってから使うけれど、すでに釧路の住所書いてあるやつはどんなIDを?名前がわかれば大丈夫か。
 『日経クリック』なるパソコン雑誌を買う。このようなパソコンそのものの雑誌はためになるわ。パソコンそのものといってもハードの雑誌ではないけれど、俺はゲームの雑誌しか読んだことがないもので。

 さて、来年はCPU166MHz(ペンティアム!)、メモリ32EDO、いやこんなスペックはいつも書いている。周辺機器に行こう。

 フルカラーフラットベッドスキャナ、フルカラープリンタ、MOドライブ、フィルムスキャナーってところか。デジタルカメラはいらない。APSや35mmの銀塩をスキャンした方がすばらしい。MOドライブぐらいないと管理できないな。MOの他にもPD、Zipとかよくわからんものがあるが、MOなら安い。しかし使いこなせるかな?いや、使うのだ。しかし、そり写真のデータをMOにぶちこむとか特殊なことなのでは?周辺機器との連動は……?来年考えよう。ようするにだ。玉川大じゅなくて、明治中央法政に行けということだ。60万円弱の違いを見よ!

 高山氏・本田氏・藤田氏について寮監「アウトロー3人組」。寮監に「83寮で一番わるい」「友達を選べ」と言われたそうだ。先日は、内藤氏が「一番悪い」と言われたそうだが。タスキ渡すか、だの、そっちはようするにアウトオブ眼中だってことだ、などと張り合っていた。

 さーて寝よ。もう少し時間があるな。

 高校時代、俺は■■君に言いたいこと(説得ではない。感情による攻撃かも)は山ほどあった。しかしほとんど何もいわなかった。表面上の友好を崩すことを懸念していたわけではない(もちろんそれもあるが)。入試前に奴の精神状態を乱し、勉強を妨げることになっては、と思っていたからだ。そして受験を終えてからも何も言わなかった。俺が落ちたからだ。落ちたせいで荒れている、とか、それまで一緒に遊んできて、落ちてからお前のせいだ、とほざくアホ野郎ととられてはたまらん。そして今は、すでに過去のことになった。過去のことで非難するのは好まぬ。これでいいのだ。最善の判断だった。
 結局、俺と■■君との葛藤は、世界観の違いのためというところもあったのではないか?いや、それは表層だ。やはり俺と彼との思考方式に原因があるのだろう。


この日のカネの動き

交通 白山⇔巣鴨 -170×2
同人誌 シリーズ21 -1,000
CD ゆめみる妖精 -2,500
月刊誌 日経クリック -480

財布残高 12,254円


解説
 パソコンの話をしているときに、なぜ玉川大学が出てくるのかといったら学費が他のめぼしい私大より60万円弱高いということで、高額なパソコン一式を買ってもらうには高い学費は気が引けるという話だろう。実際問題として、当時はパソコンがまだまだ高く、周辺機器は出回る数量がまだまだ少なくさらに高い時代だった。といっても、玉川大学が合格した大学の最高格であったならば(実際には受けていないのだが)、その大学に行き、かつ、望みのスペックのパソコンも買ってもらおうとしたことには間違いない。
 最初に買ってもらったパソコン一式は、MOドライブ、プリンター、フラットベッドスキャナーから構成された。デジタルスチルカメラとフィルムスキャナーは学部を卒業してから自力で購入した(35万画素のトイデジカメは学部在学中に入手していたが)。しかしパソコン雑誌を買って理想とする営みを実現するために周辺機器を見繕いつつもあったが、接続する方法についてはまったくわかっていなかった。当時はSCSIボードを指して、様々な口の形が乱立している中で保有する機材に適した口と口とを持つケーブルを探し、そして接続する必要があった。そのため最初に一式買ったPCショップでは適したケーブルがそろわず、しばらくはケーブル探しなどもし、この口とこの口とを持つケーブルは存在しないのではなどと困惑しさえもしていた。これもネットショップで検索すればいい時代ではなく、足で在庫を探すしかなかった。
 デジカメについては、当時はまだまだ画質は貧弱で、銀塩フィルムカメラの代わりになるとはまったく思わなかった。学部時代を通してもその考えは変わらず、いちいち現像したプリントをスキャナーで読み取りなどしていた。手間はともかく、現像にはカネがかかり、学部時代の私にとってはかなりの負担になっていたはずである。しかし学部卒業後にいちど300万画素のデジタルスチルカメラを購入した後は、画質は必要十分と認められ、また、スキャンの手間にもスキャン時の埃に悩まされることのない簡便さに圧倒され、以来銀塩フィルムはほとんどまったく使わなくなった。予備校時代には想像しなかった変化である。

 「アウトロー3人組」については、勉強しない、小さな規則を破る常習犯、という程度のことで他者に迷惑をとりたててかけていたわけではなく、ましてや他者を害していたわけでもなく、悪人というわけではない。もちろん法の外に置かれているわけではないが、規範を軽視しているという程度の話である。

 高校時代の友人との云々は高頻度で回想しているようだが、この人物は住む場所が遠く離れた学部在学中も密接に通信し、会うときは忌憚なく、そして高校も大学も同時代を過ごした人間との関係が少なからず自然消滅する中、今なお関係を保ち続けている人物である。なお、私の高校時代末期の行動原理として、何か物事を荒立てると「大学受験に落ちたショックのせいだ」と見なされかねず、ややもすると「大学に落ちたのはお前のせいだ」と言っているようにさえ解釈される懸念を強く抱いていた。だからこそ物事は荒立てずに過ごしてきた面が多分にある。そして内心がどうあれ外形は和をもっと友人づきあいをして高校時代を最後まで終えたことは、まったくもって正解だった。ただ、言いたいことを言わずに過ごしたことはどうもすっきりせず、こうした日記に書きつけて吐き出すこともしばしばあった。


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