両国はすべて艱難辛苦で片付ける
1996年09月10日(火)
ミーティング
・メシ喰うように。犬のメシに毛が生えたようなものと言われて入ったんだから、これも艱難辛苦。両国はすべて艱難辛苦で片付ける。
・洗面所で歯磨き、外を見ながらやっている人が多い。シャバの空気が恋しいだろうけれど、これからの長い人生に対していい経験になる。
・いい大学入った人は赤本を少し見たぐらいで、学校の復習しかしていない。ただし、やらないとダメ。何もせんでおいてそろそろ3倍の学力が付いたか、なんてことはない。
・やっとる人は上がっておる(俺も入っている)。
・2番目の表彰1班。今週はすさまじかった。追試無視11名。反省書12名。始末書11名(数字は自信がないがこれぐらい)。まったくとんでもない。うちの寮だけだそうだ。
・他の国から手紙が来たことがあった(彼女から)。どんな良いことを書こうか考える。時間のムダ。
・センター試験、住民票は移さんでいい。文京区役所に転入届出しに行ったのがいたらしい(今年じゃないよ)。
本田氏、母と出かけた。
「うまいもん喰いに行った」「怒られに行ったんじゃねーか?」「うまいもん喰いながら怒られてんだろ」「うまくねえって」と話になっていた。
寒い。今日はフル装備で寝る。パザマ、Tシャツ、毛布、掛布団。当然窓も閉める。カゼひいたらたまらん。もう鼻水出とる。熱を加えろ正常体だ!
風呂行くとき、2階の階段に座っている岩本氏の隣を通り過ぎた。そのときスポンジを落とした。ひろった。しかしこの動作、岩本氏をのぞき込んでいるようで気まずかった。なんか(女か?)、写真を見ていたもの。
女といえば、TS氏、彼女が具合わるいというから、行ってサンドイッチでも作ってやろうと思ったが、来るなと言われたそうだ。「なんてやさしい彼氏なんだ」と自分で言っていた。しかし彼はすごい男だ。世史切ったが、それは極めているから。現代文もCにいた。偏69はダテじゃないな。
SG先生の文法。古典や現代の言葉の乱れなど、国語の授業が混ざっているようなそれはそれで面白いがな。YN先生の方がはるかにためになる授業をしてくれた。
古典、TC先生。威勢のいいねーちゃん(?)だ。俺の姓を読んでくれよ。立教大学院(だっけか)。まあ名札は達筆な筆書きで部首が違う形に見えるもんね。テキスト無視して、いきなり「に」の識別。ためになる。テキストApの13をやる。ためになる。古文も多読精読だ。テストに出ないからって文末やる1を飛ばしてさ。そして俺はかえって両方自学自習。なんてためになるんだ(俺の勉強法が)。
山田氏、UO先生の読み方を見違えていた。訂正する。俺が判定やらんでもクラス上がるのは実力あるからだと言う。もちろん。でも判定やっていないから落ちるかもと思っていたんだけどね。
わざと特Bまで英語落とした金田氏。帰ろうかと言っている。そして受験のときにここに泊まる、と。まあ彼もある程度完成しているから、そういう手もかるかな。せっかく来てんのに。
この日のカネの動き
水 -200
財布残高 9,611円
解説
ミーティングでの寮監の檄は、関西出身のイントネーションが刺激的で、またその言い回しもおもしろく、文字にしたら乱暴なことを言っているようにも聞こえるがだいたい笑いがよく巻き起こっていた。「犬のエサ」云々はそういうまずいメシを出すと説明会で言っているから、それを踏まえた上で来ているのだろうとして、寮の賄いや学校で取ってる昼の仕出し弁当を食わずに外食する人間を諫めている。口に肥えた人間にはメシがまずいと感じられたのだろうか。しかし地元の中小企業の大将の家に育ち、様々な機会に外食を頻繁にして幼少期からそれなりに奢侈な食生活をしていた私にとって、別に不味いという感想を持ったことはなく、特に不満もなく賄いや仕出し弁当を食って幸福感を味わっていたものだった。
学校の勉強を主軸にすることを強調して、市販も教材に労力を注ぐことを戒めているのは、肝心の授業がおろそかになり、結局授業はろくに参加できず消化もできず、市販の教材も十分な時間を投入できず、そもそも自学自習できるのならばこんなところに来ておらず、どちらもうまくいかないのがよくあるパターンだからだ。学校の教材と市販の教材のどちらが優れているという話ではなく、私のように高校の授業にまったくついていけなかった基礎がまったくないボンクラには、適切なレベルで体系的な学習計画を立てることが出来ない。ましてや二足の草鞋を消化する余裕もなければ学習習慣もない。したがって人に言われるまま与えられる勉強に必死でついていき、消化しようとするのが唯一出来そうな勉強法であった。
「正常体」という言葉は、カゼの気配に対して、自分はカゼなどひいておらず健康だと、つまり正常な身体の状態であると言い聞かせていたのだろう。一度熱を出して寝込むことはあったが、このときは平気だった。
寮からは少しずつ人間が減っていた。学校からも。いなくなる人間は、だいたいは勉強することが出来ず諦めたパターンだ。授業をものにしようという努力をできず、勉強への乗り越えられない抵抗感と管理されることへの抵抗感も相まって、ドロップアウトするパターンだった。辞めるとき、ここのやり方は不合理だ(確かにムダというかあまり意味のない統制も多い)、自分でやった方がうまくいく、というようなことを言う。が、寮を出て自宅通学に切り替えたものはすぐに学校にも来なくなった。学校から消えた後自学自習できたかというと、それができるのならこんなところに来ていないはずであるので、どうだろう。結果が出たかどうかは非常に疑わしい。
しかし中には、できる奴が見切りをつけていなくなるパターンもときどきあった。出来る人間は、自学自習することが出来るし、もっといい勉強法があるのでそちらに専念したい、勉強はほどほどでもう目的達成できそうなので若い日を楽しみたい。そうしていなくなる人間もたまにいた。金田氏はそのパターンで、しばらくしてからいなくなった。どういう結果を出したかはわからないが、彼ほど出来た人間はそれなり以上の結果を上げたと思う。