AM07:00の電車が行ってしまった
1996年09月12日(木)


 今日は勝負だ!AM07:00の電車が行ってしまった!でも、買った。彼(KK氏)がコンビニによっていなければ負けていた。
 行きは布井氏とともに。アニメの方のウェイトが高くなっているな。軍人⇒アニメ師匠に移っていったうな。ふ、まあ、俺も自分がどっちなのかわからん。まあいい。
 髪、なくならないうちに色変えたら?と。そうだった。彼は茶髪だった。俺はいいっス。しかし「髪なくなる前に」っては失礼だったとのこと。それはまあ軽率な発言だったのかもしれないが、俺はまったく意に介していないぞ。それなのに失礼だったと断りを入れてくるとはなぜ?俺って、ツラつきをコントロールできていないのでは?何とも思っていないのに、相手が「冗談だ」ととってつけることがよくある。怒ってもいないのに「怒るな」ということも(そういう場合は、人を勝手に見透かしたようなことを言われてはじめて怒る)。言葉の制御の問題は自分でわかるが、ツラの制御はわからん。

 Q1で一緒になって、山田氏と接することが多くなったな。今日は学校の昼飯抜いてラーメン屋へ。俺は食い物にカネはかけんのだが、まあつまにはつきあいだ。貸し借りはしない主義ッス。自分で払う。
 彼は重い。野球が生き甲斐で、野球の名門高校に入ったが、考え方が違っていた、と。しかも身体壊してもう野球できず、「廃人」とのこと。優勝した時の写真(持ってきている)見てたまに泣いている、と。そして3年間野球で勉強もろくにできず、今にいたる、とのこと。かなり後悔もあり、そして生き甲斐ってやつがわからないようだ。今まで野球に人生かけてきたのだろう。経済学部と専門学校のダブルスクールして税理士の資格を取るという大目標はあるようだが、なにか満たされない、と。野球引退してから鉄道模型とか手を出してみた、と。でも趣味とまでにはいかなかったのだろう。
 いろんな人がいるね。俺みたいに楽しんで、日々がうれしい人間とはまた違う。俺は彼の話に相槌を打つぐらい。何言っていいかわからんし。彼には彼の観念があるから、余計なことを言うこともないだろう。それと彼は影響を受けやすい人だから、迂闊なことを言ったらいかんし(教育者の苦悩っていうものには、こういうことも含まれると思う。俺は教育者では決してないが)。
 白山のラーメン屋で味噌ラーメン。山田氏はタンメン&ギョーザ。関東人はニンニク&納豆が好き、とのこと(一緒に食うわけではないとは思う)。納豆ねえ。別にカネだしてまで喰いたいとも思わんが。彼は帰りに納豆を生協で買っていた。そこでガキ(幼稚園入るかどうか。いや入っていないか、ぐらい)が通せんぼするようなことをして、戯れていた。「子供好きだからさらいそうになった」とのこと。また返答に困る。
 東洋大の裏の方通ったら近くの家のいたるところに「東洋大学ナントカ工事反対」の張り紙が。窓に目をやっただけで家の中まで見えた。これは都会の宿命か。「白山公園の子供が飛ぶ」とあったが、これは高層ビルが建つと気流がおかしくなるということか?しかしガキが飛ぶのか?何かをすると、何かの影響があり、影響を受ける人、受けると考える人は必ずいる。政策とは難しい。

 寮監室に誓約書があった。「布井」と署名が。マンガ読みません、と。
 「他の国からの手紙」は高林氏か。なんと絵葉書できたらしい。なんとまあ。看護婦になる学校へ行っているらしい。

 西内氏、差をつけられる以前に差を詰める、と。志望校は常盤大か?まあ自宅に近いしいい選択かも。しかも本田氏、「トキワならB判定だ」って、あんた偏差値ないな?

 うちで2浪は、根岸君。彼、そうだったのか。どおりでシブイはずだ。しかしあとはタメ年かい。そういえばそう思えるような。


この日のカネの動き

食事 味噌ラーメン -620
水 ×2 -346

財布残高 8,190円


解説
 前日にどちらが早く教室につくか勝負だと言われたので、その気になって早く寮を出て、先に教室についたことに密かな悦びなど見出している。ささやかな日常風景である。しかもそんな張り合いをしているからといって私がひとりで寮を飛び出したわけではなく、同じような時間に寮を出た布井氏と出かけなどもしている。出寮時間が早まる人は同じぐらい早まっていった。

 付き合いで、学校の仕出し弁当を食わないで外のラーメン屋に行くようなことをしている。正直なところ、私は学校の仕出し弁当で何一つ過不足なく、おいしくいただいて満足し、幸福感を覚えていた。他者の嗜好も行動も他者の勝手ではあるが、学校のメシを徒に「まずい」と連呼し忌避し、外で外食を繰り返すことも、結果として弁当を余らせ廃棄させてしまうことも、そしてなによりも大切な現金をムダに支出してしまうことも、好むところではなかった。それでも付き合いだとして行ったが、こういうことはしたくないのであった。しかも山田氏は彼なりの友好の示し方としてカネまで払おうとしたようだが、それは奢られるいわれがないので断った。この後、とにかく奢ろうとする彼の友好の示し方には私は困惑を深め、申し出を拒絶された山田氏も困惑を重ねることになる。
 習慣の違いは歴然と存在するが、他者との関係では思うようにいかないものだ(私の表情が時としてどうも他者にいい印象を与えていないのと同じように)。他者へのアプローチが功を奏さなかったとき、あるいは他者からのアプローチがあまり快くなかったときには、そのやり方や受け答え方がまずかったか顧みたり、相手はそういう人物なのだと認識を改めたりしていくのが他者との関係の築き方(あるいは距離の取り方)ではある。が、山田氏は関係の築き方を変えず距離もとらず、むしろ同じやり方で接近を繰り返してきたので、後になればなるほど辟易したものである。


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