妙に安心させないために
1996年09月17日(火)


 TC先生の古文、いい授業だぜ。問題よりも本文読解がメインか。今度は寝ぼけないで気合いを入れまくろう。
 SG先生の文法。よく聞いていれば、まあ、わかる。聞いていたほどわるい授業じゃない。ちゃんと要点は押さえているし、必要なところは漏らしていない。どこがわるいんだ。先生が変わった人だからだろうな。挨拶はドイツ語。文法は古文まじり。名札のとなりにバッチ。腰に手ぬぐい。どこのだか知らんが方言(いや、ただのbrokenな言い回しか)。おもしろい!いかすじゃねーか。

 時間が許せば、詳しく書きたい。おもしろく書きたい。でもダメね。おもしろく書きたいといっても、いくらいい内容でも自分の表現がよくなければクソになる。小説も凡庸な筋でも気合の入った記述をしていればおもしろい。すさまじく面白い話でも、三文論文みたいなつまらない書き方ではつまらない。違い媒体で描いたら面白くなったりする。

 風呂に布井氏と山田氏。よく考えたら俺の友人はこのふたりか。山田氏もいろんなテキストに手を出している。よかれと思ってやっているから特に言わないが、俺は両国一本を貫く。彼はとにかくやっている。布井氏、寮ではほとんどやっていない。やる気しない、とか。根性ねーってやつか。おもしろえ人だから批判したくはないが。俺は妙に安心させないために、やっていないことへの批判はしないまでも、否定的な態度。やること=受かる道ということを遠慮せずに言う。表現の上では遠慮はするが。
 今日のはちょっとこたえていたかも。夕食後、廊下で呼び止められて勉強法を聞かれた。困るなあ。俺のやり方を多少教えたけれど、俺だってわからないんだよ。それに「すぱーっと上がる方法」って。それはとにかく面倒で手間のかかる方法のことだ。単語のチェック、英文の全訳も面倒だ、と。根性入れてくれよ。俺は仲間に落ちてもらいたくない。決して。俺たちには後がないじゃねえか。廊下で話していたもんだから寮監が来た。寮監曰く、「蜘蛛の子を散らすように逃げる」 迂闊だった。自室で勉強していた人たちにはすまん。

 まあ勉強法のことも、寮のことも、予備校生活のことも、詳しく書きたい。推敲を重ねて面白い文にして。でもできない。というかやらない。すべては大学のため。
 プロの教育を受けていると、いろんなことがよくわかる。詰め込みのどこがわるい。知識なくして何ができよう。理解と知識の両方必須。特に現代は何でもすさまじい情報量だ。例えば医者になってみろ。どれだけの知識をぶちこむことか。
 学校教育から勉強漬けを、競争をなくそうなんて、勉強嫌いなバカの空論。確かに現状はよくないかもしれない。それは学校が勉強の扱いを間違っているためだ。くだらん感情のままに偏差値が中学校から消えた。迷惑っス。推知だけでなく教師の主観的な評価も重視されるようになった。なんていいかげんな!
 俺には制度を洗練(上のは改悪)する必要ないと思うぞ。その中で生き抜く術を身に着けるべきた。

 田山氏、小学校のとき、小学生で妊娠したバカがおったそうな。テレクラで。なんとバカな。相手の男はなんて奴だ!


この日のカネの動き

銀行 +30,000

財布残高 37,690円


解説
 講師については当然学生からの評判がついて回る。ここではSG先生の評判がよくなかったそうだが、受けてみると決して悪い講義ではなかった。単に変人で、ふるまいが奇天烈だから、その印象だけが独り歩きしていたのだろうけれども、変人であるということが「教えるのがダメなわるい先生」という評価につながるのはまったく解せない話である。しかし後の大学等や職場においても、妙な評価をされている人間と接してみるとまったく評価が不当であり、なぜそんな不当な評価されるのか困惑することはたびたびあった。考えてみると、顔立ちや声のトーン、些細な立ち振る舞いなどの雰囲気から導かれたイメージが、噂として語られ拡大再生産されているうちに尾ひれがついて不当な評価として定着したのだろうと推察する方ない。なんにせよ、まったく解せない話ではある。

 この風変わりな予備校生活について記録して、それを面白く描いて推敲を重ねて名文にしたいという野心があったようだが、そこまでの時間はなく(能力以前に)。しかしこうして思いつくままに雑然と書きつけた記録が、まずい表現、一時の感情の噴出、時として困惑する理解しがたい記述などを交えながらも、予備校のみならず遠く過ぎ去った時代のこと、自分の若き日のことについての貴重の一次資料となっている。

 両国は、勉強する習慣のない人間にしたくなくともやらざるをえない環境を提供して勉強を促進することが売り物の予備校である。そこにおいては、そうした仕組みを奮起するための材料として利用し、なんとか勉強する人間もいた。そうした仕組みを適当にやり過ごしつつだらける人間もいた。そうした仕組みをまったく軽視、あるいは無視する何しに来たのかよくわからない人間も若干はいた。
 そして別の軸として、ここに来た人間にはもともとそれなりに出来た人間とまったく出来なかった人間も当然いた。それなりに基礎の出来た人間ならば手を抜きながらもそれなりに成果を上げられたりしてかもしれない。しかしまったく出来ない人間は奮起して基礎を固めなければどうにもならない。
 そして「まったくできない人間」のうち「奮起している人間」もさらに細分され、成果を上げている人間と上げていない人間とがいた。山田氏は明らかに後者であった。一生懸命勉強しているけれど成果が上がらない。その原因は様々なことが考えらせる。義務教育やその前かにの積み重ねの不足、もともとの脳のつくりの問題(中にはそうとしか思えないぐらい何も理解出来ない人間もいた)。山田氏の場合は、おそらく勉強の仕方がよくなかった。繰り返しているが、もともとまったくできない人間が二足の草鞋を履いても共倒れになるだけで、自学自習しようとしても基礎がない人間は適切な教材を選んで体系的に身に着けることも消化することもそもそも自学自習することも困難である。そのケースはいくらもあった。

 田山氏の出身は北海道の小都市である。テレクラなどという先カンブリア代の古生物がごとき存在、今では想像が難しいが私の郷里の似たようなうらぶれた小都市にさえいくつもあった。おそらくうちの郷里においてもテレクラを通して様々な悲喜劇が繰り返され、人知れず悪徳や背徳も生み出されていたことだろう。子供が面白がって掛けることも多々あったというが、いたずら電話にとどまらないとは恐ろしい話ではある。


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