きちんと予復習こなせば
1996年09月25日(水)
いかん。せっぱつまってきた(いや、そんなたいそうなことじゃあ……)。今週各テある英解7の復習っていない(予習もやっていなかった)し、明日の10の予習も1/3しかやっていない。明日は修羅場になる。今日洗濯したからかえってすぐにやらねば。
そもそも連休に復習やって、今日もきちんと予復習こなせば大丈夫だったんだ。だが、後悔はしない。当時の判断も俺の判断。ただし、大いに反省するべきだな。今日も雑誌読んでいたろ。もう絶対に必要な情報(なんてないのだけれども)以外、本は開くな!
大丈夫だ。明日ふんばれば。たるむときはいつでもたるめる。落ちたら取り戻せないぞ。
今日は何か書こうと思ったけれど、時間なし。すでにAM00:15。明日というか今日というか、また気合いれよう。もっと気合いれて引き締めよう。亜細亜か法政かの分岐路だ。1日1週間1か月は速く、そしてやることが詰まっている。少しもムダにするな。
この日のカネの動き
電話 釧路 -430
のみもの ラムネード -109
月刊誌 SCL -480
財布残高 412円
解説
たるんでは危機感を抱く。その繰り返しである。人には勉強しろ、勉強が足りない、というようなことを日記中でよく言っているが(ときとして実際に当人にも言ったが)、私も日記や手紙に大なり小なり時間をかけ、禁制品の書誌に現を抜かすなどしていた。しかしそれでも消化するべきものは消化しきらないとならんと自らを律し、どうにか授業の予習復習をこなしてはいた。予習ができなかった場合は授業はあまり理解できないにしても講師のすべての文言を書き止め、その上で寮でまず予習と同じことをして、その後ノートを見ながら理解を深め、復習ノートを作るというプロセスを踏んだ。そのため予習を怠ると大変だったのである。
ほとんど無に近い手持ち現金からさらに出費をして小銭しかなくなっている。もちろん銀行口座には残高があるし、いざとなれば実家に電話て口実をつけてカネを無心すれば概ね振込されたし、衣食住には現金を必要としておらず(食と住は前納だが、季節の衣類は実家から送られてきたはずだ。衣類を買ったことはないはず)、カネにまったく困っていなかったが、財布の中身の少なさは新鮮に思える。