妄想を現実にする力強いコトバ
1996年09月26日(木)


 メシを抜かしてアニメイトへでもと思ったが、銀行で時間を喰い、やめる。今日は忙しいのだ。
 山田氏と一緒になった。カゼうつさんでくれよ。話すよき、こっちを向かんでくれ。会話でも菌は飛ぶ。

 寮に帰って、山田氏が白いハチマキをしているところに出喰わす。凝固している。沈黙して静止している。なにか気まずいので挨拶でもしようとしたが、彼はおそろしい像のような形相へと見る間に変化した。そして突然俺の方に接近してきて俺のナイフケースを抑えて、「今、宗教マニアだと思ったろ」と。何も思ってねーよ。宗教なんて考えたこともない。また「変な人と思われる」、と。そう言われたこと幾度か。ちょっと気にしすぎていやせんか?変な人だなんて、今、はじめて思った。ただ、行動の意図がよくわからんが、宗教だの変人だのと思ったことはないよ。そんなことより、この至近距離に顔を近づけないでくれ。

 山田氏のせいかどうか知らんが、このところノドが痛む。今日はうがいとのどあめの徹底抗戦で気にならなくなったが、熱37.0℃。少しまずいかな。しかしこんなものはどうでもいい。ハラが張っている。頻繁に動いているが便所では屁しか出ない。まったくでない。しかも屁の音がすごい。エアライフル並かそれ以上だ。すでに俺は何十リットルもの屁を出したのだろうか。きっとハラの中で気体を発生させているな。でもにおいはしない。
 たまらんの。下痢の次は便秘かいな。
 あらゆる薬が切れかけ、もしくは切れている。補給せねば。

 買い込んだ本を明日送る。まずい。カバンが満杯。辞書を抜いてカバンの前のポケットに筆入れと文法書(古・英ともに)を入れ、なんとか入った。ところでこのバインダー(英解・英法)はどこに……?明日考えよう。必要な紙だけ外して出してもいい。
 しかし入試日程見て思った。すべり止め、意味あるのか、と。締め切りの前に本命の発表がないとか。中大総合政策つぶして日大国際を入れて何とかすべり止めに。日大国際は3月にもあるけどね。

 日大がダメなら拓殖?行きたくないってこともないが、中間に亜細亜とかないのか?ほかにも3月入試ってあったな、後で本借りるか買うかしてしらべよう。

岩 淵氏に貸してあるラジオ、貸すの延長する。五十嵐氏に貸してある缶切り、とっとと返せ。なくても困りはしないがな。ねる。明日も詰まっている。


この日のカネの動き

銀行 -412
 +15,990
書籍 エヴァンゲリオンの秘密 アニメ編
雑誌 SAPIO 
週刊誌 ヤングジャンプ
のどあめ ノンシュガー -185

残額記載なし


解説
 銀行でまずマイナス勘定が発生しているのは、手持ちの小銭をいったんATMにぶち込んでいるのである。こうして手持ちの小銭の量を調整していた。ただ、後に学部卒業後、こうしたATMの使い方をしていたことをふと銀行員になった後輩にしたら、あまり大量の小銭をぶち混むのはよくないと言われたりもした。

 私は本を買っては実家に逃がしていた。今手に入れなければ入手困難になるという強迫観念があった。インターネットで検索して欲しいものを見つけるような後の時代と違い、店頭にあるものはその場で確保しないと後から手に入れることが困難になった。一般書籍なら取り寄せたり他の新刊書店を探したりもできるが、それも容易くなく、結局古本屋を絶望的なローラー作戦でつぶすことになる。雑誌ならば古本屋にも出ないかもしれない。私があまり買わない類の雑誌を単発的に買っているのは、『エヴァンゲリオン』特集などが組まれているのを見たからだろう。そうして確保した書誌はカバンにいれて持ち歩いて、部屋の手入れで発見・押収・廃棄されるのを防いでいた。だが送付が遅れるとカバンに本来いれるべき学用品のやり場に困りなどもした。

 山田氏は、それまでも「変な人」だと思われることへの怒りや悲しみを吐露することがたびたびあり、また、風呂場で第三者の話をしていたところ脱衣所にいた彼はそれを自分の噂話だと思い込んで洗面器を風呂場の床に叩きつけながら乱入してくるなどしていた。だが、この日までは彼について思うところは特になかった。せいぜい繊細な人だとか、自分の話をされていると誤解したんだろうとか、それまでのふるまいは理解できる範疇にとどまり、特に何の感慨もなかった。しかしこの日において、私ははじめて彼を異常者だと思うに至った。「今、俺のことを変だと思ったろう」として詰め寄られたところで、直前にいかなる考えを持っていようといなかろうと、その言葉を発した瞬間に思いは現実になるのだ。こんな力強いセリフはほかに聞いたことはない。
 怒って詰め寄った彼が私のナイフケース(くどいが軽犯罪法違反)を抑えたのは、私がナイフを帯びていたのと同様に彼の稚気だったのだろう。もちろん私が暴力沙汰においてナイフを抜くことなどあるはずがない。同様に、彼も私がナイフでも何でも使って自己防衛せざるを得ないような暴力を振るうつもりもなかったはずだ(ヴィクトリノックスが暴力にはまったく使えないことはさておき)。しかし彼のこの行動は、彼は暴力を振るうつもりであり、そのためにまず抵抗手段を封じる、というシグナルを送ったわけだ。稚気、茶番の類ではある。しかし形だけであったとしても、これは暴力の予告ではある。

 このときのポイントはハチマキだろう。これはおそらく宗教かそれに類するものの謂われのあるありがたい品で、それ人に見られたくなかったのだろう。オウム真理教による地下鉄サリン事件から強制捜査に至る一連の事件の翌年である。宗教に対する久々の忌避感は殊更強く、また、宗教が悪質な冗談のネタにも多用されていた時代である。人知れず傷ついていた者は少なくなかったことだろう。山田氏も後に「俺を変だと思ったろう」と再びすごみ、その直後に「宗教なんて家のことだからしょうがないだろう」と床を見ながらつぶやいたこともあったので、たぶん彼は新宗教を信じる家に生まれ、この当時の空気に傷ついてたのだろう。だからこそ、ありがたいハチマキをしているのを私に見られただけで、被害妄想が走った。それは不幸なことだし、そういう脳神経の在り方も不幸なことだ。しかし特に何てことなく暮らして同寮の人間と目が合っただけで、相手が突然、被害妄想を口走ったのだ。大変困ることである。ましてや相手が私の「加害」に対する「被害者」であると信じて、自分には復讐の権利があるとでもいいわんばかりに暴力を示唆ししてきたのだ。それは非常に困るし恐ろしいことである。山田氏のこの不幸な傾向は徐々に悪化していく。


戻る