気合いを入れて詰めればまだまだ時間はある
1996年09月29日(日)
PM11:30に現文を終えて10分。もう布団の中で日記を書いている。早いものだ。気合いを入れて詰めればまだまだ時間はある。今日は英解(予)と英演(復)を出来なかった。前の週の復習を日曜にさばききれてないなんて、なんたる失態。
いくら発展テキストとはいえ、まだ、こなせるはずだ。今日もAM08:30まで寝ていた。平日もPM07:00まではほとんどやっていないようなものだろう、ここ1〜2週間は。AM08:30に、今日から、今から気合い入れ直すと思ってまあまあやった。でも足らん。明日はもっと気合い入れよう。
ヒロスエ写真集を買った。やはり1日前か。この寮に何冊これがあるのだろうか。
昨日、猫を殺すクソ野郎をどうこうしたいと書いたが、そんなこと当然できるはずも、見たくもないし、存在してほしくもない。相手が存在していてはいけないようなクソ野郎であっても、自分の手でクソ野郎をどうこうすることはとてもできない。恐ろしすぎる。.30-06のソフトポイント弾なら人体の一部分など吹き飛ぶだろう。指にわずか数kgの力をこめるだけだ。でも、そんなこともできない。自分の手でやるのではなく、自動的にチェンソーのスイッチやライフルのトリガーが作動するような仕掛けをつくって、タイマーをセットしてその部屋を出て、どっかに行けるか?できない。もどって止めてしまうだろう。
永遠に身体の部分、それも重要な機能を持つ(そうでない部分があるのか?)部分が失われるなんて、他人でもおそろしい。倫理は、他人の苦しみを自分に投影することだと思っている。ただ、自分がそうされることの恐ろしさゆえ他人に対しても恐ろしいと感じるのでさえ倫理だと思う。
昨日の模試の古文で雀が出てきた。この雀に残忍な行為をできるか?いや、できないのは当然として、そういうことが「ありうる」と思っただけで恐ろしい(同じ形容詞に頼りすぎ)。胸が地の底まで落ちていきそうだ。
俺は極めて「倫理的」な人間だ。猟銃を持っても何も生き物を撃てないに決まっている。襲われたときは仕方がないし、鹿の増えすぎで鹿全体が危機に瀕している場合もやむを得ないとは思う。でも、見たくないし、自分でやりたくもない。しかし俺は感情だけでは物を言わない。
俺はこんなにも「倫理的」だというのに、高校の■■先生は俺が正当防衛として加害者を被害者が撃つことを肯定したことに対して、セックスすれば簡単に人は生まれるが、死ぬのはどうこうと説教しやがった。緊急回避の必要性、それしかできない極限状態の話をしているのに。先生は、阪神淡路大震災のとき、カネ以外の支援は迷惑だと明言されて繰り返し報じられていたのに、「カネは親が働いたカネだ。キミたちの心をモノで、手紙で届けろ」などと言いやがった。物は迷惑、手紙はくだらん。物だって親のカネだ。心が何だ。向こうに要るのは一刻も早い救援だ。物だと混乱して行き届かないからカネにしてくれと切に願っているのに、それを冷徹だとでも?くだらん。くだらん感情で実を失うことと、どちらが「道徳的」かな。
俺は、自分や自分の大切な人間を殺して金品を奪おうとするクズに対しては、それを阻止するために銃で撃つことも厭わない。しかしそれがただ機械的な、非人間的な、感情のない冷酷な行動だとでも思うのか。そんなことしたくもない。いい解決法があればする。しかしそれがないからする最後の、極限状態の話だ。
高校の■■君、「北大行ったら教卓で『炎の矢ー!』って叫んだらビクっとする(俺は擬態語は使わない)ようや奴ばっかだ、そうだ、そうに決まっている」と自暴自棄のように口走っていた。お前に北大の何がわかる。どこの社会でも意外に少数派なんだよ!その手の集まりならばともかく学校では例外なく!レベル高い学校だから低い学校だからというのもあまり差にならん。少しは差があるだろうけれど。
■■君、とにかく何でもわかったような口を叩く。何が根拠か聞いてみても「わかるんだ」ってくる。ちょいと論争になったときに、通りがかった人間に「『うん』と言え」と強いて言わせて、よくわからない通行人が「うん」と言えば自分が肯定された、自分の味方をしているという体裁をつくっていたのも、くだらん冗談というより奴のガキじみた負けず嫌いのなせる業か。
しかし人は人。だか、俺のような狭量な人間は気合と理性で克服するのみ。
少なくとも同じ時代を共に生きた親友を、一瞬とはいえ敬服した男を、そんなムゲに扱うべきできない。受け入れられる部分もある。それでいいのさ。再会したときは違う社会に生きる、古い友人だ。あまり戦うなよ。
さあ寝よう。「今日も」気合いと根性だ。
この日のカネの動き
写真集 広末涼子「R」「H」 -1,500×2
コピー -70
残額記載8,150円
解説
あいかわらず倫理と共感とを錯誤している。
それはともかく、一度腹を立てたら、火が収まらず、連想のまま最初とは関係のない方向にも矛先が向いている。わずか数か月前の近過去である高校時代について、思い出しては腹を立てることがやはり目につく。私は当時も今ももちろん人を殺したことなど一度ととしてないが、どうも必要ならばなんの感慨もなく安易に他者を殺す人間だと確信されることがたびたびあった。それは銃規制や自己防衛の問題に対して加害から緊急避難するためには相手を殺して回避することも必要であるとの立場をとっていたせいもあり、また、おそらくその表現も少なからず露悪的、偽悪的なものだったせいだろう。
■■君については、北大に行きたくてたまらなかったが、私と同様に高校時代にろくな勉強もせず、そんなものに行けないということが確定した高校時代の末期におかしくなって言い放った言葉が「炎の矢」発言である。行きたかった北大に行けなかったから北大の学生を貶めようとしたわけだ。その貶め方として、みんなアニメとか観てるやつばかりだろう、として自分も観ていた『魔法騎士レイアース』をのセリフを挙げたわけで、自分がなりたかった存在を貶め、今の自分をも貶めたわけだ。これは北大に入れないことが確定して精神が動揺して錯乱していたのだろうとは思う。北大に入れない実力なのは、彼自身、前々からわかっていたことだが、それでも模試のたびに毎回「今回は調子が悪い」と放言し認めようとはせず、努力もしなかった。しかしいよいよ北大に行けないことが避けようもなく確定して錯乱したのである。が、過去の自分の判断を貶めるのは過去の自分への侮辱であると信じるほど高潔だった私は、そうした二重の自己への侮蔑を許せなかったのだ。北大生について何がわかるのかと責めたら、「わかる」と根拠もなく強弁するのも彼のいつものパターンである。そういうところは気に入らなかった。だが、繰り返しになるが相容れないところがあるにせよ彼は同時代を過ごして敬服する面も持ち合わせている親友であり、他の多くの人間と連絡が途切れてからも密に連絡をとり続けている旧友であり続けている。
高校時代には阪神淡路大震災があり、クラスの善良な呼びかけによって義捐金を出そうとう話になり、実現しかけていたときになって、ストップをかけたのが担任である。「親のカネを送るのは心がない。君たちの使っている物を送るか、お手紙を送って心を届けよう」などと作り話みたいな世迷言を言い始めたのである。しかし現地自治体や支援関係団体が送るな名言している物品を届けるわけにもいかず、ましてやどこの誰にそんなものを届けるべきかもわからず、結局、支援自体がなし崩し的に消滅してしまったものである。
物を送られても混乱して保管も輸送にも難儀し、医薬品さえ混乱の中で放置され使用期限が切れるなどしていた状況下、物を送るなとは繰り返し報じられていたことである。ましてや古着など検品の手間がかかるようなゴミを送られても、廃棄されるしかなかった。すべて報じられていたことである。しかし地元自治体がゴミの分別を始めるというときに、何を「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」とに分類するかという繰り返し為されていた広報も報道も一切見ずに、思い込みに基づいて誤った分別をし、正しい分別をして生徒を叱責などしていたこの人物が、報道など知る由もなかった。ましてや生徒がそれを言ったところでもそれを聞き入れるはずもなかった。
それはどうしようもない話である。仕事や家庭のことで忙しい中、新聞もテレビも広報も目に入れる暇がなかった社会人の悲哀である。しかし当時の私は、些細とはいえ善意の行いを、まったく意味のわからない不合理な理由で潰すことが許せなかった。それしてそれは、私を銃規制や正当防衛の話などのつまらない世間話で意見が合わないという理由で、私を知性に欠け人格に劣るクズと扱ってきたこの人物への怒りが相まって増幅していたのである。別に罪のある人間が他者の罪を裁いてはいけないということにはならないが、人間は自己を裁く者の罪が気になるのである。
しかしこう悪しざまに言っている先生についても、卒業後も何年にもわたってメールのやりとりなどしている。