ビデオの持っているテープを思い出していた
1996年10月02日(水)
肺のむかつき、だいぶ軽くなっている。効くもんだな、ロビンカプセル。ねむくなるけれど。
今日は布井氏を追う。ゴミを忘れた差だ。
またしてもCN先生の指し棒で起こされた。すいませんねえ。もっと気合いだ。予習してきて寝るな!しかし起こしてもらえるのはありがたいことだ(だからといって寝るな!失礼だ)。
帰り、MM先生に「さよならー」を言ってきた。というか、帰りに路上でね。
今日は勉強をした。9時間だ。4時限(この言葉、つかう人がいないな)でな。30分はロビンカプセルで寝て、登校の30分をサバとしても8時間。まあまあだ。
世史のテスト、余り時間でビデオの持っているテープを思い出していた。そのとき思った。さして東京に持っていきたいとは思わない。まあ観れば面白い。しかし2時間も時間がかならずかかる。もったいない気もする。だが、観ればそんなことは思わないだろう。
観たいときに、また、観る。1回観ただけでいいってことはない。何回も観て、そして時間をおいて観るともっとよく味わえる。しかしそんな時間あるのか?
撃ち合いばかり抽出して観ていたこともあった。それはそれでよかった。しかし今はもう、どうでもいい。俺の知識が映画を上回っている。いや、それでもどうでもいいってことはない。その映画なりの「見せ」があるし、やはり観れば得るものはある。知識だけの問題ではない。
でも、そんなに興味、執着はなくなってきた。やはり味がある、再三の繰り返しに耐えうる話でないと。『ダイハード』や『ターミネーター』も十分味があるが、何か、薄い気がする。いや、そんなこともないさ。ヒューマンドラマだけがドラマではないし、これらも人間が出てドラマをしているではないか。濃い薄いなどない。繰り替えねえ……2度目はどうでもいいってやつもある。はじめての緊張だからこそいいとか。でも2度目3度目と観るたびに味わうことはできる。ただ俺が飽きただけだ。
今まで何をやってきたかはどうでもいい。当時はそれでよかった。問題はこれからだ。
この日のカネの動き
ケースキャリー 無印良品 -450
のみもの 玄米茶HOT -106
小計税込み-572
ルーズリーフ B5 中羅 -200
ルーズリーフ B5 中羅 -194
スタンプ 「済」
小計税込み-504
水-200
財布残高 4,879円
解説
ゴミ出しを忘れてもどったから出発が出遅れるなど、相変わらず競うように朝早く出発している。
映画について、テレビの録画などをかなりの本数撮りためていたが、それを持っていくか考え、持っていかないことにしている。実家にある持ち物の在庫やかつて享受した作品のタイトル、その内容について書き出すことは、刺激少ない寮生活においてはよい娯楽となった。
なお、映画については、少年の若き日には銃について知るための情報源としての役割を期待したが、しかし当然のことながら多くの場合において、専門の書誌の方が情報量が多く、高校時代にはもう映画は知識の源ではなくなっていた。しかし情報源とする方が間違いなので、情報源としての価値よりもドラマや演出について価値があると述べている。「俺の知識の方が映画よりも上回っている」というのは、まあ知識を得る源としては使えないという話だが、そもそもそういう享受の仕方が間違っている。